春ー心がふるえます(覚書)『日本人は何を考えてきたのか』 齋藤孝
この間書いたけど、いま、本が読めない。精神的に不調。背景に身体的不調か。・・・いや、・・・。
・・・どうしようもないでしょ。・・・ふと気がつくと、そんな堂々巡りをあってるわけですよ、頭のなかで・・・。
そんな時に、九州の大震災。五年前の東日本大震災のとき、石原慎太郎さんは、《我欲に縛られ政治もポピュリズムでやっている。それが一気に 押し流されて、この津波をうまく利用してだね、我欲を一回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心のあかをね。これ はやっぱり天罰だと思う。被災者の方々、かわいそうですよ》って言って物議をかもした。
背景に、民主党政権の酷い衆愚政治があったにはあったけど、“我欲にまみれた”という点は、じつは今も変わりない。我欲に突き動かされて運営される資本主義は、逆に先鋭化してさえいる。自分はその流れから脱落しかけている。もはや自分を騙しきれない。・・・私は、・・・本当は今の仕事をやめるべきだろう。・・・でも、定年を本の数年後に控えて、それは愚かな選択だろう。・・・もう一度、自分を大胆に騙してみよう。
・・・ここまで、・・・精神薄弱児(幼児期にそう診断を受けたことがある)の真夜中の御託として、勘弁して下さい。
そんな私が読むべき本かもしれない。すごい本ですよ。じつは、購入しておきながら、読みもせずにお蔵入りさせてしまうところでした。心の疲れた状態の私でも、「少しづつでも、読んでおきたいな」って思わせられました。最初は、何かを読み取ろうとしていたわけじゃないんです。ただ、身体的習慣で、脇にある本をペラペラめくってただけ、物理的に目に飛び込んだ文字の幾つかに、脳みその方が勝手に・・・。・・・いけない。また御託に走ろうとしている。
私が惹かれたのは、最初の章、《日本語の表現に込められた精神》のなかの、〈日本人とは日本語である〉という項目です。言語の特徴は、それを使う人々の人間性を表している。まさにその通り。
まさしくその通り。

その独特の感性や知性と、その暗黙知のもとにしか存在し得ない文化。暗黙知それ自体は、多かれ少なかれどこにでもあろうけど、日本のそれは独特であるだけに、暗黙に陥らざるをえない場合さえある。他者に添えを伝達することは、それだけにかなりの困難を要する。
日本列島にルーツを持たない者を吸収していっても、数の上で少数であれば、日本的情緒の中に希釈していける。その程度を越えるものであっては、この情緒は持たない。移民問題ってのは、その線を前提とする。経済的な秤だけで判断するべきものじゃない。
それでなくても、言葉にされないことは“無意味”、あるいは“無価値”という考えは、日本の〈知性〉と呼ばれるグループの中にも存在する状況だ。
さまざまな議論の中で表明される「春入学」支持の中でも、じつは“心情的”理由によるものは、雰囲気的に軽視される傾向があるように感じられる。じつは、・・・ああ、くたびれる。その一番大事な部分が、なぜ軽視されるのか、それが私にはまったくわからない。
“春ー新しい何かが始まるってことに、私の心がふるえているから”・・・それ以外の理由は、私にはありません。その状況で日本のグローバル化がならないなら、それを失ってまでグローバル化しなければならない理由なんて、これっぽっちの感じない。
・・・やっぱり、少し病んでるかな。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
・・・どうしようもないでしょ。・・・ふと気がつくと、そんな堂々巡りをあってるわけですよ、頭のなかで・・・。
そんな時に、九州の大震災。五年前の東日本大震災のとき、石原慎太郎さんは、《我欲に縛られ政治もポピュリズムでやっている。それが一気に 押し流されて、この津波をうまく利用してだね、我欲を一回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心のあかをね。これ はやっぱり天罰だと思う。被災者の方々、かわいそうですよ》って言って物議をかもした。
背景に、民主党政権の酷い衆愚政治があったにはあったけど、“我欲にまみれた”という点は、じつは今も変わりない。我欲に突き動かされて運営される資本主義は、逆に先鋭化してさえいる。自分はその流れから脱落しかけている。もはや自分を騙しきれない。・・・私は、・・・本当は今の仕事をやめるべきだろう。・・・でも、定年を本の数年後に控えて、それは愚かな選択だろう。・・・もう一度、自分を大胆に騙してみよう。
・・・ここまで、・・・精神薄弱児(幼児期にそう診断を受けたことがある)の真夜中の御託として、勘弁して下さい。
そんな私が読むべき本かもしれない。すごい本ですよ。じつは、購入しておきながら、読みもせずにお蔵入りさせてしまうところでした。心の疲れた状態の私でも、「少しづつでも、読んでおきたいな」って思わせられました。最初は、何かを読み取ろうとしていたわけじゃないんです。ただ、身体的習慣で、脇にある本をペラペラめくってただけ、物理的に目に飛び込んだ文字の幾つかに、脳みその方が勝手に・・・。・・・いけない。また御託に走ろうとしている。
私が惹かれたのは、最初の章、《日本語の表現に込められた精神》のなかの、〈日本人とは日本語である〉という項目です。言語の特徴は、それを使う人々の人間性を表している。まさにその通り。
日本に生まれ育ち、日本語の中で育つことによって必然的に身につく日本的な感覚。これを持つ人を、私たちは日本人だと感じているのです。 本書p14 |
『日本人は何を考えてきたのか』 齋藤孝 祥伝社 ¥ 1,620日本の思想 一三〇〇年を読みなおす すごい本だな |
その独特の感性や知性と、その暗黙知のもとにしか存在し得ない文化。暗黙知それ自体は、多かれ少なかれどこにでもあろうけど、日本のそれは独特であるだけに、暗黙に陥らざるをえない場合さえある。他者に添えを伝達することは、それだけにかなりの困難を要する。
日本列島にルーツを持たない者を吸収していっても、数の上で少数であれば、日本的情緒の中に希釈していける。その程度を越えるものであっては、この情緒は持たない。移民問題ってのは、その線を前提とする。経済的な秤だけで判断するべきものじゃない。
それでなくても、言葉にされないことは“無意味”、あるいは“無価値”という考えは、日本の〈知性〉と呼ばれるグループの中にも存在する状況だ。
BROGOS 2013/01/18 東大「秋入学」――事実上の"断念"を考える http://blogos.com/article/54279/ (抜粋) 野田佳彦前首相は、昨年5月25日、政府の国家戦略会議(議長・野田前首相)で、「グローバル人材の育成という観点からすると、大変評価できる動き」と歓迎の意向を表明。「これからも官民挙げての議論をしていきたい」と東大案に前向きな姿勢を示し、各省庁に検討も指示していた。また、自民党安倍晋三総裁のもとで行われた衆院選の選挙公約「教育再生」の中でも、 「大学9月入学を促進し、高校卒業後から入学までの半年間などを活用した大学生の体験活動の必修化や、評価・単位化を行う」とある。 |
さまざまな議論の中で表明される「春入学」支持の中でも、じつは“心情的”理由によるものは、雰囲気的に軽視される傾向があるように感じられる。じつは、・・・ああ、くたびれる。その一番大事な部分が、なぜ軽視されるのか、それが私にはまったくわからない。
“春ー新しい何かが始まるってことに、私の心がふるえているから”・・・それ以外の理由は、私にはありません。その状況で日本のグローバル化がならないなら、それを失ってまでグローバル化しなければならない理由なんて、これっぽっちの感じない。
・・・やっぱり、少し病んでるかな。


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