『日本人は何を考えてきたのか』 齋藤孝
思想信条の自由も、学問の自由も、日本では保証されている。にも関わらず、現日本国憲法下において、まるで厳しく禁止されてでもいるかのように、コソコソ勉強しなければならない学問がある。
日本そのものについて学ぶこと、それから軍事について学ぶこと。日本については、ずいぶんと学べるようになりました。・・・といっても、そのほとんどは、苦労して識者を選び、その人の言動について、主に本を読むという方法。「そんなことはない」と言われる方もおられるでしょう。場合によっては、自らも、大学等において、そういった先生について学んだという人も・・・。そういう人がいれば、それはまれに見るほどの幸運に見舞われたんだと思いますよ。
だって、大変だもん。敗戦と占領政策の呪縛から自由な立場で発言できる人を探すの。敗戦利得の恩恵はマスコミと学問の世界に甚だしかったというが、さすがにその第一世代は引退したろうけど、第二、第三世代も平然と利得を引き継いでいる場合が多い。
アメリカは、戦前の日本を全否定したわけで、・・・私、それを全肯定しているわけじゃないからね。未熟で、目をつぶりたくなるような対応も数々。それらの中には日本人の民族性に根ざしたものもあると思う。だけど、概して言えば、世界の諸族に対して、けっして引けを取るものではなく、むしろ、世界に対して大きく貢献できる要素を多く持っている。そう思っているだけ。
そんな本来の日本と日本人の姿を封印して、アメリカの全否定を前提にして利得を保証されてきた人たちが、学問の世界にドカーンと居座ってきたわけだ。
でも、最近、少しずつ、その封印が溶けてきている感があるよね。いろいろな人が頑張ってくれているおかげでね。こういう本は貴重だよね。
こういう本が出てきて、それをもとにしていろいろと言い合って、そういうふうにして、日本人に対する日本人の認識が深まっていく。伸ばすべきところ、世界に貢献できるところ、なんかの際に注意をしなければならないところ。日本そのものを研究対象にして、私たちが認識を深めなければならないことは、数限りない。
だから、・・・ということでもないが、ちょっと書かせてもらうと、日本人は〈宗教よりも現生の楽しみのほうが大事〉という著者の考えは、どうかな。著者がそうとらえたのは、「《宗教》をどうとらえるか」というところに問題があると思う。神道・・・、仏教・・、といった既存の枠の中で考えればそういうことになるかもしれないが、日本人の自然への崇敬を《宗教》ととらえれば、日本人は十分に信仰心厚いし、それをもとに社会が構成されていると考えれば神秘的ですらある。
また、国家神道の成立過程にしても、著者は、「宗教心というよりは、社会主義国でよく見られる個人の神格化によって改革を進め、国家に統一をもたらすという手法に近いもの」と書いているが、そういった面を否定はしないが、遥かに入り組んだ事情を感じる。
倒幕のスローガンであった尊皇攘夷の流れで“天皇”という存在がクローズアップされたこと。その流れの中で神道家が政治に関与していったこと。江戸時代、仏教は支配の末端として民衆に退治する存在であったこと。西洋キリスト教社会、およびその文明へのコンプレックス。西洋型法体系の背景にあるキリスト教思想への対抗。・・・極めて複雑だ。
高校の現代社会の教科書なんかで、“日本国憲法成立”のくだりを読んでみると、やはり今でもけっこう酷い。日本国憲法はアメリカのお蔭さまで、良い憲法を作ってもらいましたって感じでね。そんなところで思考停止してしまうのは、やっぱりウソが前提になっているからだよね。利得者の先生方のお蔭でもある。
そんなつまんないところから、さらに先に進んでものを考えられるのは、まさしくこういう本のお蔭だな。同じ“お蔭”でも、ずいぶんな違いだな。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
日本そのものについて学ぶこと、それから軍事について学ぶこと。日本については、ずいぶんと学べるようになりました。・・・といっても、そのほとんどは、苦労して識者を選び、その人の言動について、主に本を読むという方法。「そんなことはない」と言われる方もおられるでしょう。場合によっては、自らも、大学等において、そういった先生について学んだという人も・・・。そういう人がいれば、それはまれに見るほどの幸運に見舞われたんだと思いますよ。
だって、大変だもん。敗戦と占領政策の呪縛から自由な立場で発言できる人を探すの。敗戦利得の恩恵はマスコミと学問の世界に甚だしかったというが、さすがにその第一世代は引退したろうけど、第二、第三世代も平然と利得を引き継いでいる場合が多い。
アメリカは、戦前の日本を全否定したわけで、・・・私、それを全肯定しているわけじゃないからね。未熟で、目をつぶりたくなるような対応も数々。それらの中には日本人の民族性に根ざしたものもあると思う。だけど、概して言えば、世界の諸族に対して、けっして引けを取るものではなく、むしろ、世界に対して大きく貢献できる要素を多く持っている。そう思っているだけ。
そんな本来の日本と日本人の姿を封印して、アメリカの全否定を前提にして利得を保証されてきた人たちが、学問の世界にドカーンと居座ってきたわけだ。
でも、最近、少しずつ、その封印が溶けてきている感があるよね。いろいろな人が頑張ってくれているおかげでね。こういう本は貴重だよね。
『日本人は何を考えてきたのか』 齋藤孝 祥伝社 ¥ 1,620日本の思想 一三〇〇年を読みなおす すごい本だな |
だから、・・・ということでもないが、ちょっと書かせてもらうと、日本人は〈宗教よりも現生の楽しみのほうが大事〉という著者の考えは、どうかな。著者がそうとらえたのは、「《宗教》をどうとらえるか」というところに問題があると思う。神道・・・、仏教・・、といった既存の枠の中で考えればそういうことになるかもしれないが、日本人の自然への崇敬を《宗教》ととらえれば、日本人は十分に信仰心厚いし、それをもとに社会が構成されていると考えれば神秘的ですらある。
また、国家神道の成立過程にしても、著者は、「宗教心というよりは、社会主義国でよく見られる個人の神格化によって改革を進め、国家に統一をもたらすという手法に近いもの」と書いているが、そういった面を否定はしないが、遥かに入り組んだ事情を感じる。
倒幕のスローガンであった尊皇攘夷の流れで“天皇”という存在がクローズアップされたこと。その流れの中で神道家が政治に関与していったこと。江戸時代、仏教は支配の末端として民衆に退治する存在であったこと。西洋キリスト教社会、およびその文明へのコンプレックス。西洋型法体系の背景にあるキリスト教思想への対抗。・・・極めて複雑だ。
高校の現代社会の教科書なんかで、“日本国憲法成立”のくだりを読んでみると、やはり今でもけっこう酷い。日本国憲法はアメリカのお蔭さまで、良い憲法を作ってもらいましたって感じでね。そんなところで思考停止してしまうのは、やっぱりウソが前提になっているからだよね。利得者の先生方のお蔭でもある。
そんなつまんないところから、さらに先に進んでものを考えられるのは、まさしくこういう本のお蔭だな。同じ“お蔭”でも、ずいぶんな違いだな。


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