『日本人はどこから来たのか?』 海部陽介
人類の誕生はおよそ七〇〇万年前。進化は五つの段階に分けられ、初期の猿人、猿人、原人、旧人、新人となる。初期の猿人は七〇〇万~四四〇万年前のアフリカにいた半樹上・半地上性のグループ。その後、地上での活動を強めた猿人の段階があり、そのうちおそらく東アフリカにいた集団から、三〇〇万~二〇〇万年前に原人が進化した。
原人は一八五万年前ころにはじめてアジアの土を踏む。原人の次に登場するのが旧人で、一番良く知られるのがヨーロッパのネアンデルタール人。インドや支那でも発見されているが、集団名はつけられていない。ただ、およそ五万年以上前のアジアでは旧人と原人が共存していた。
さらに進化したのが新人、現生人類で、ホモ・サピエンス一種類だけである。旧人がアジアに進出したと思われるのが三〇万年前、そして新人は五万~四万年前にアジアに登場する。

そうか、支那や韓国までは来ていて、日本にも来ている可能性はあるんだけど、今のところ旧人・原人の存在は日本では確認されてないのか。明石原人とか、港川原人とか言ったけどね。あれらはみんな、ホモ・サピエンスと確認済みなんだってさ。
ホモ・サピエンスと確認済みなんて、うらやましいくらいだな。なにしろ、秩父原人チプーなんか、藤村新一さんの“いかさま”であったことが確認済みなんだからさ。その後、ご家族まで嫌がらせを受けて大変だったみたいね。でも、地元も大変だったんだよ。
3万8000年前。これが基準になるんだって。旧石器時代の遺跡が1万個以上あるのに、3万8000年前よりも以前のものは1つも確認されてないんだって。突如発生する3万8000年前以降の人類の形跡。これを後期旧石器文化と呼んでいる。
その最初のグループは、朝鮮半島から対馬ルートを通っては言ってきたようだ。それらは4万8000年前頃にヒマラヤ南北のルートに分かれ、およそ1万年後に東アジアのいずれかで出会ったグループで、南北双方の特徴を併せ持っている。彼らの形づくった後期旧石器文化は、そのまま1万6000年前に始まる縄文文化に流れ込んでいく。縄文時代は1万3000年ほど続いて、2500年前に始まる弥生時代へとつながる。
南ルートで沖縄方面からホモ・サピエンスが入ってくるのは3万5000年前当たり方のようだ。さらに、2万5000年前には、北海道に細石刃が広がる。北海道ルートを通ってのシベリアからの移動である。2万年~1万6000年前までの間に本州でも細石刃が使われるようになる。
弥生文化をもたらした渡来人の数は、“莫大”というほどでもなかったようだ。彼らは平野部に水田を開発して人口の増加をもたらし、それ以降、渡来人の列島内拡散とともに縄文人との混血が進んでいった。アイヌ、沖縄においては、それぞれ異なる経緯をたどり、日本列島に居住する人々が形成されていった。
日本って、そういう場所だった。

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原人は一八五万年前ころにはじめてアジアの土を踏む。原人の次に登場するのが旧人で、一番良く知られるのがヨーロッパのネアンデルタール人。インドや支那でも発見されているが、集団名はつけられていない。ただ、およそ五万年以上前のアジアでは旧人と原人が共存していた。
さらに進化したのが新人、現生人類で、ホモ・サピエンス一種類だけである。旧人がアジアに進出したと思われるのが三〇万年前、そして新人は五万~四万年前にアジアに登場する。
『日本人はどこから来たのか?』 海部陽介 文藝春秋 ¥ 1,404日本に至る人類のグレートジャーニー そのあらたなる仮説 |
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ホモ・サピエンスと確認済みなんて、うらやましいくらいだな。なにしろ、秩父原人チプーなんか、藤村新一さんの“いかさま”であったことが確認済みなんだからさ。その後、ご家族まで嫌がらせを受けて大変だったみたいね。でも、地元も大変だったんだよ。
3万8000年前。これが基準になるんだって。旧石器時代の遺跡が1万個以上あるのに、3万8000年前よりも以前のものは1つも確認されてないんだって。突如発生する3万8000年前以降の人類の形跡。これを後期旧石器文化と呼んでいる。
その最初のグループは、朝鮮半島から対馬ルートを通っては言ってきたようだ。それらは4万8000年前頃にヒマラヤ南北のルートに分かれ、およそ1万年後に東アジアのいずれかで出会ったグループで、南北双方の特徴を併せ持っている。彼らの形づくった後期旧石器文化は、そのまま1万6000年前に始まる縄文文化に流れ込んでいく。縄文時代は1万3000年ほど続いて、2500年前に始まる弥生時代へとつながる。
南ルートで沖縄方面からホモ・サピエンスが入ってくるのは3万5000年前当たり方のようだ。さらに、2万5000年前には、北海道に細石刃が広がる。北海道ルートを通ってのシベリアからの移動である。2万年~1万6000年前までの間に本州でも細石刃が使われるようになる。
弥生文化をもたらした渡来人の数は、“莫大”というほどでもなかったようだ。彼らは平野部に水田を開発して人口の増加をもたらし、それ以降、渡来人の列島内拡散とともに縄文人との混血が進んでいった。アイヌ、沖縄においては、それぞれ異なる経緯をたどり、日本列島に居住する人々が形成されていった。
日本って、そういう場所だった。


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