『本音でミャンマー』 寺井融
NLDが勝って政権を握った場合
「(過去に)首相職は大統領の下だった。私は大統領の上。(新政権では)全ての重要な政策は私が決める。トップがそうするのは当然だ」
少数民族と政府の対立について
「政府が対処する問題で、私は議会の民族委員会のメンバーではなく干渉すべきではない」
「私は関係ない」
なんだか上記のような発言が取り上げられていたけど、アウンサンスーチーは政治家だ。言を左右したとしても、またはついつい本音が出てしまったとしても、別に驚くには当たらない。
彼女の長世界に知られるようになるのは、1988年にまだビルマと呼ばれていたミャンマーに帰って、おりからの民主化運動に担ぎあげられて以来。以降、常に軍政批判の象徴として取り扱われ、“軍部独裁”を批判する欧米民主主義勢力によって後押しされてきた。欧米民主主義勢力は彼女に軍部独裁と戦うことが出来るだけのさまざまなアイテムを準備した。その一つが経済制裁であり、ノーベル平和賞の授与であった。
欧米民主主義勢力にとって、アウンサンスーチーは聖女となった。彼らは聖女が好きなんだそうだ。この本に聖女の条件が書いてあった。①欧米の価値観を持っていること。②欧米の言語で発信できること。③欧米の一流大学をでていること。④まあまあ美人であること。・・・扱いやすい程度の単純であることって言う条件はいらないのかな。
“扱いやすさ”はあくまで欧米にとってであって、彼女がミャンマーに向かい合った時、それは欧米社会がミャンマーに向かい合った時と同じかそれ以上に扱いにくい存在だった。彼女が軟禁された自宅は、おそらく私の一日の活動面積よりも広く、その期間に彼女が置かれた不自由な状況は、おそらく9割方の日本人よりも自由なものだったろう。
最初の軟禁が解かれて自宅門前で演説会を開いた時、聴衆は群衆となり、出店まで出て道路は歩行者天国状態だったという。警察が移動を促しても聞く耳を持たず、制止しようとすると「軍政当局が政治活動を妨害した」と騒ぎ出すって言う状態だったんだそうだ。・・・始末に置けない。


気に入らないのはイギリスだ。イギリスから遅れたアジアたたきの材料を与えられていい気になっている欧米民主主義勢力だ。それからおまけの日本だ。・・・いつまで“おまけ”なんだ。
軍部独裁云々って言うけど、もともとアウンサン指導下のビルマ国民軍の力がイギリスからの独立の原動力だ。独立後、民主化と軍政のあいだをグズグズして経済活動を発展のレールに乗せられなかった。しかし、独立直後の民政時代から少数民族各派が高度な自治を求めて各地で反乱を起こし、周辺諸勢力からの干渉、政治闘争の激化と腐敗、印僑、華僑の跋扈と混乱が続く。そんな状況で、青年将校たちから突き上げられたネ・ウィンが1962年に決起して軍政を布く。
イギリスに植民地にされた地域ってのは、本当にかわいそうだ。・・・植民地にされたアジアなら、イギリスだろうが、フランスだろうが、オランダだろうが、アメリカだろうが、みんなかわいそうだけど、イギリスの植民地支配はあまりにも念が入りすぎていて、とりわけかわいそうだ。
イギリスは人口の70%を占める最大多数は伸のビルマ族を支配するため、山岳少数民族を山から下ろし、キリスト教に改宗させて下級公務員や警察官に登用してビルマ族を支配させた。トップにたつのは当然イギリス人、次が印僑や華僑、さらに基準した民族やキリスト教徒に改宗させた少数民族、最下層にビルマ族。
そのビルマ族の青年たちが日本軍の特殊訓練を受け、アウンサンやネ・ウィンを中心に、彼らが軸になってビルマ独立義勇軍ができる。なんだかんだあったけど、アウンサンは軍の力を背景にイギリスを追い出した。だから、“軍”とか、“軍部”とか、“軍政”と呼ばれているグループは、実はイギリスからの独立を成し遂げた原動力。イギリスと、イギリスに焚き付けられた欧米民主政力と、おまけの日本は、それに対抗する力の象徴として、アウンサンスーチーを育て上げた。言ってみれば、かつて植民地時代、アジア各地でイギリス人の手先になってアジア人の上にのさばった華僑連中の役割を与えれたのがアウンサンスーチーだ。
アウンサンスーチーの絶大な任期の背景には、もちろん父親、アウンサンの存在がある。しかし、アウンサンとアウンサンスーチーでは、あまりにも違う。最後に、次の本に書かれている父娘の違いに触れた部分を紹介して終わりにするね。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
「(過去に)首相職は大統領の下だった。私は大統領の上。(新政権では)全ての重要な政策は私が決める。トップがそうするのは当然だ」
少数民族と政府の対立について
「政府が対処する問題で、私は議会の民族委員会のメンバーではなく干渉すべきではない」
「私は関係ない」
なんだか上記のような発言が取り上げられていたけど、アウンサンスーチーは政治家だ。言を左右したとしても、またはついつい本音が出てしまったとしても、別に驚くには当たらない。
彼女の長世界に知られるようになるのは、1988年にまだビルマと呼ばれていたミャンマーに帰って、おりからの民主化運動に担ぎあげられて以来。以降、常に軍政批判の象徴として取り扱われ、“軍部独裁”を批判する欧米民主主義勢力によって後押しされてきた。欧米民主主義勢力は彼女に軍部独裁と戦うことが出来るだけのさまざまなアイテムを準備した。その一つが経済制裁であり、ノーベル平和賞の授与であった。
欧米民主主義勢力にとって、アウンサンスーチーは聖女となった。彼らは聖女が好きなんだそうだ。この本に聖女の条件が書いてあった。①欧米の価値観を持っていること。②欧米の言語で発信できること。③欧米の一流大学をでていること。④まあまあ美人であること。・・・扱いやすい程度の単純であることって言う条件はいらないのかな。
“扱いやすさ”はあくまで欧米にとってであって、彼女がミャンマーに向かい合った時、それは欧米社会がミャンマーに向かい合った時と同じかそれ以上に扱いにくい存在だった。彼女が軟禁された自宅は、おそらく私の一日の活動面積よりも広く、その期間に彼女が置かれた不自由な状況は、おそらく9割方の日本人よりも自由なものだったろう。
最初の軟禁が解かれて自宅門前で演説会を開いた時、聴衆は群衆となり、出店まで出て道路は歩行者天国状態だったという。警察が移動を促しても聞く耳を持たず、制止しようとすると「軍政当局が政治活動を妨害した」と騒ぎ出すって言う状態だったんだそうだ。・・・始末に置けない。
『本音でミャンマー』 寺井融 カナリアコミュニケーションズ ¥ 1,512もうこの国の建前論はいらない 定点観測で語るミャンマーの昨日今日明日 |
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気に入らないのはイギリスだ。イギリスから遅れたアジアたたきの材料を与えられていい気になっている欧米民主主義勢力だ。それからおまけの日本だ。・・・いつまで“おまけ”なんだ。
軍部独裁云々って言うけど、もともとアウンサン指導下のビルマ国民軍の力がイギリスからの独立の原動力だ。独立後、民主化と軍政のあいだをグズグズして経済活動を発展のレールに乗せられなかった。しかし、独立直後の民政時代から少数民族各派が高度な自治を求めて各地で反乱を起こし、周辺諸勢力からの干渉、政治闘争の激化と腐敗、印僑、華僑の跋扈と混乱が続く。そんな状況で、青年将校たちから突き上げられたネ・ウィンが1962年に決起して軍政を布く。
イギリスに植民地にされた地域ってのは、本当にかわいそうだ。・・・植民地にされたアジアなら、イギリスだろうが、フランスだろうが、オランダだろうが、アメリカだろうが、みんなかわいそうだけど、イギリスの植民地支配はあまりにも念が入りすぎていて、とりわけかわいそうだ。
イギリスは人口の70%を占める最大多数は伸のビルマ族を支配するため、山岳少数民族を山から下ろし、キリスト教に改宗させて下級公務員や警察官に登用してビルマ族を支配させた。トップにたつのは当然イギリス人、次が印僑や華僑、さらに基準した民族やキリスト教徒に改宗させた少数民族、最下層にビルマ族。
そのビルマ族の青年たちが日本軍の特殊訓練を受け、アウンサンやネ・ウィンを中心に、彼らが軸になってビルマ独立義勇軍ができる。なんだかんだあったけど、アウンサンは軍の力を背景にイギリスを追い出した。だから、“軍”とか、“軍部”とか、“軍政”と呼ばれているグループは、実はイギリスからの独立を成し遂げた原動力。イギリスと、イギリスに焚き付けられた欧米民主政力と、おまけの日本は、それに対抗する力の象徴として、アウンサンスーチーを育て上げた。言ってみれば、かつて植民地時代、アジア各地でイギリス人の手先になってアジア人の上にのさばった華僑連中の役割を与えれたのがアウンサンスーチーだ。
アウンサンスーチーの絶大な任期の背景には、もちろん父親、アウンサンの存在がある。しかし、アウンサンとアウンサンスーチーでは、あまりにも違う。最後に、次の本に書かれている父娘の違いに触れた部分を紹介して終わりにするね。


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