『台所のニホヘト』 伊藤まさこ
子供の頃、雪の日に、ぼやで台所が燃えた。もとから煙突が傷んでたんだろう。雪の重みで天井裏で折れ曲がり、熱がこもって火が出た。折から、大往生した背戸のおばあさんの通夜の席だった。雪の中、母が裸足で、そこに集まっていた男衆を呼びに行った。大勢の男が怒鳴り散らしながら出入りするのを、庭で、雪に震えながら見てた。
はっきり覚えてるわけじゃないんだけど、「だいどこ」は、子供時代の私にとっては遊び場の一つだった。広い「だいどこ」で、風呂の焚口に、かまどが二つ並んでてね。忙しく立ち働く母から、「お前は火の番がうまいね」って褒められた。そう言っておけば、かまどの前でじっとしていたんだろう。それが私が火を燃やすことが好きになった一番の理由だな。・・・え?危ないって?
そうそう、一度だけ、大失敗があるんだ。消防車が集まってきてね。・・・逃げた、逃げた。
「・・・ニホヘト」ということは、「“イロハ”はないよ」ということか。まあ、ある意味、味も素っ気もない装丁の本だからね。こんな本・・・失礼、この本を手にするような人は、最初から”イロハ”を期待するような人ではないでしょうからね。”ニホヘト”ということで、よろしいんじゃないでしょうか。
《台所は料理をするだけの場所ではなく、スープを煮ているあいだ、本を読んだり、座り込んで考え事をしたり、時にはスタンディングバーになることも・・・》
いいなあ。まあ、「人さまの生活をうらやむくらいなら、自分でやれば」って言われちゃうよね。その通りなんだけどさ。ただ、“台所”っていうと、どうしても母を思ってしまってね。母にとっても、台所は一番自分らしくいられた場所であったかもしれないけどね。いくら台所でも、母にとっては、自分のために何かをする場所ではなかったしね。ただ、泣くときだけは、自分のための場所だったかもしれないけどね。
『普通が一番』は弁当に関するエピソード。いいね、木の弁当箱。ミニマヨネーズに、型取りの金具。包みの布もいい色でね。私のはアルマイトの弁当箱だったな。ただでかいだけが取り柄のね。新聞紙での上に小さいふろしきに包んであった。
梅酒、しょうがの砂糖漬け。各種の常備菜も、いろんな下準備がめんどうなんだよね。そんな仕事も、自分の好みに合わせた「だいどこ」なら、なんだかいいな。時間を忘れて没頭できそうな気がする。そう言えば、そろそろらっきょうの季節。いっぱい漬けて、娘のところにも分けたやりたいんだけど、下準備がめんどうなんだよね。
自分使いのいろいろな台所用品にしても、料理にしても、この本に紹介されているものは、いずれも角張ったものを感じさせられない。程よくこなれて、肌にすっと馴染みそうな、なにか自分の一番いい時を思い出させてくれそうな、そんな気がする。
私の連れ合いも、台所でそんな風に過ごして欲しいもんだけど、どうも、少し角張ったものを感じる。・・・それは私に対して・・・、ということか?



一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
はっきり覚えてるわけじゃないんだけど、「だいどこ」は、子供時代の私にとっては遊び場の一つだった。広い「だいどこ」で、風呂の焚口に、かまどが二つ並んでてね。忙しく立ち働く母から、「お前は火の番がうまいね」って褒められた。そう言っておけば、かまどの前でじっとしていたんだろう。それが私が火を燃やすことが好きになった一番の理由だな。・・・え?危ないって?
そうそう、一度だけ、大失敗があるんだ。消防車が集まってきてね。・・・逃げた、逃げた。
『台所のニホヘト』 伊藤まさこ 新潮社 ¥ 1,620一日のうち、一番長く過ごすところは、・・・台所❢ |
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《台所は料理をするだけの場所ではなく、スープを煮ているあいだ、本を読んだり、座り込んで考え事をしたり、時にはスタンディングバーになることも・・・》
いいなあ。まあ、「人さまの生活をうらやむくらいなら、自分でやれば」って言われちゃうよね。その通りなんだけどさ。ただ、“台所”っていうと、どうしても母を思ってしまってね。母にとっても、台所は一番自分らしくいられた場所であったかもしれないけどね。いくら台所でも、母にとっては、自分のために何かをする場所ではなかったしね。ただ、泣くときだけは、自分のための場所だったかもしれないけどね。
『普通が一番』は弁当に関するエピソード。いいね、木の弁当箱。ミニマヨネーズに、型取りの金具。包みの布もいい色でね。私のはアルマイトの弁当箱だったな。ただでかいだけが取り柄のね。新聞紙での上に小さいふろしきに包んであった。
梅酒、しょうがの砂糖漬け。各種の常備菜も、いろんな下準備がめんどうなんだよね。そんな仕事も、自分の好みに合わせた「だいどこ」なら、なんだかいいな。時間を忘れて没頭できそうな気がする。そう言えば、そろそろらっきょうの季節。いっぱい漬けて、娘のところにも分けたやりたいんだけど、下準備がめんどうなんだよね。
自分使いのいろいろな台所用品にしても、料理にしても、この本に紹介されているものは、いずれも角張ったものを感じさせられない。程よくこなれて、肌にすっと馴染みそうな、なにか自分の一番いい時を思い出させてくれそうな、そんな気がする。
私の連れ合いも、台所でそんな風に過ごして欲しいもんだけど、どうも、少し角張ったものを感じる。・・・それは私に対して・・・、ということか?


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