『ドキュメント 滑落遭難』 羽根田 治
危険への臭覚は、けっこう鋭い。・・・怖がりってことだよ。山に行くんだったら、怖がりって大事だよね。安全が確認されないなら、次の一歩は踏み出さない。その姿勢を常に貫けるなら間違いは起こらないんだけどね。あるいくつかの条件にはまってしまった時に限り、その姿勢を忘れてしまうんだよね。「何日も雨に降りこめられて」とか、「何らかの原因で、時間をロスしてしまって」とか、それらはいずれも“時間”に関係している。・・・私の場合ね。
「ああ~、油断しちゃった~」って思いながら落ちるんだよね。
ひどいのは一度だけ。雲取からから三峯神社にに向かう途中、白岩小屋に荷物をおいて、小屋裏から下に少しのところの水を汲みに行った。ここの水はうまい❢・・・一度どうぞ。秩父が生まれ故郷なので、ここのうまい水をお土産にしようと思ってね。ロープウェイが動いているうちに降りたかったので、ちょっとした注意を怠った。草に隠れた小さな浮き石を踏んでバランスを崩し、2mほど落ちた。必死に藪を掴んで、横倒しにはならずに済んだけど、けっこう強く膝を打ち付けた。
骨折とかはしてなかったけど、動けなくてね。こんな時、あきらめがいいのは私の美徳の一つ。今日は帰れない。食い物は少しある。だましだまし小屋まで戻れば、それでいい。朝にはなんとかなるだろう。・・・水は汲んだ。ちょっとだけ、一人の登山はやめようかと思った。ちょっとだけね。
それでも、命にかかわるようなところは、どんだけ急いでいても、根が怖がりだから、ちゃんと怖がる。だから、滑落って言っても、そんなもんで済んでる。


この本読んでると分かる。「自分は遭難しない」っていう思い込みは無意味だ。無意味であるばかりじゃないな。それはよくないことだ。この本で扱ってるのは《滑落遭難》だけど、その“滑落”に至る前提があるわけだな。一般ルートなら、まず足場が見つからないということはない。大キレットやカニの横這いで、「見えない足場」に足を下すってことはあるけど、平常心で一歩一歩確実に行動すればまず間違いない。問題は、危険度の大小によらず、「平常心で一歩一歩確実に行動」できない事態が、なにがしかの理由で発生しているってことだな。そして多くの場合、本人はそのことに気づいていない。
この本に書かれている《滑落遭難》は、“滑落”に至る前に“道迷い”しているケースが多い。すでに道迷いによって平常心を失っているわけだな。あるいは、“疲労”。さらには、“遅れ”。さらに、“自信”。「平常心で一歩一歩確実に行動」できない事態は、さまざまな理由で発生する。
《近年の事例》として、埼玉県山岳救助隊の報告が掲載されているが、いずれもかつて歩いた道だった。熊倉、十文字、両神。なんでもない山のようであるけど、山は山、危険なことを見つけようと思えばきりがないほどあるっていうことだよね。
まだ山登りしてた頃、安全のために一番に気を使っていたのは、朝。朝、できる限り早くに行動を始めるってことだな。朝早く行動を初めて、お昼までに決着をつける。そして、予定より早すぎる結果になっても、決しておまけを付け加えない。それだけで、ずいぶん防げる事故があるよ、きっと。
そんな私見たいのが、歳とってから登山を再開して、昔の間隔でいい気になってるのも結構危ないんだろうね。
書いているうちに、もう一度、危なかったことがあったのを思い出した。高校2年の夏休み、甲武信の小屋でアルバイトした。朝お客を出してから、長野側に降りて歩荷。一週間やったんだけど、その最終日、もっと稼ぎたくて、荷物を増やした。正確には覚えてないけど、50kg以上背負った。
川沿いの岩場をへずっていたとき、岩の角に背負子を当ててバランスを崩し、あんまり重たくて踏みとどまれずに川へ落ちた。冷たさに気がつくまでおそらく5分くらいかかったろう。死ななくてよかった。荷物のほとんどは重さを稼ぐための缶ジュースだったので、損することはなかった。・・・はした金に目がくらんで、命を落とすところでした。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
「ああ~、油断しちゃった~」って思いながら落ちるんだよね。
ひどいのは一度だけ。雲取からから三峯神社にに向かう途中、白岩小屋に荷物をおいて、小屋裏から下に少しのところの水を汲みに行った。ここの水はうまい❢・・・一度どうぞ。秩父が生まれ故郷なので、ここのうまい水をお土産にしようと思ってね。ロープウェイが動いているうちに降りたかったので、ちょっとした注意を怠った。草に隠れた小さな浮き石を踏んでバランスを崩し、2mほど落ちた。必死に藪を掴んで、横倒しにはならずに済んだけど、けっこう強く膝を打ち付けた。
骨折とかはしてなかったけど、動けなくてね。こんな時、あきらめがいいのは私の美徳の一つ。今日は帰れない。食い物は少しある。だましだまし小屋まで戻れば、それでいい。朝にはなんとかなるだろう。・・・水は汲んだ。ちょっとだけ、一人の登山はやめようかと思った。ちょっとだけね。
それでも、命にかかわるようなところは、どんだけ急いでいても、根が怖がりだから、ちゃんと怖がる。だから、滑落って言っても、そんなもんで済んでる。
『ドキュメント 滑落遭難』 羽根田 治 ヤマケイ文庫 ¥ 864ほんの一瞬の・・・、それがなければ、遭難なんかしてないはず |
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この本読んでると分かる。「自分は遭難しない」っていう思い込みは無意味だ。無意味であるばかりじゃないな。それはよくないことだ。この本で扱ってるのは《滑落遭難》だけど、その“滑落”に至る前提があるわけだな。一般ルートなら、まず足場が見つからないということはない。大キレットやカニの横這いで、「見えない足場」に足を下すってことはあるけど、平常心で一歩一歩確実に行動すればまず間違いない。問題は、危険度の大小によらず、「平常心で一歩一歩確実に行動」できない事態が、なにがしかの理由で発生しているってことだな。そして多くの場合、本人はそのことに気づいていない。
この本に書かれている《滑落遭難》は、“滑落”に至る前に“道迷い”しているケースが多い。すでに道迷いによって平常心を失っているわけだな。あるいは、“疲労”。さらには、“遅れ”。さらに、“自信”。「平常心で一歩一歩確実に行動」できない事態は、さまざまな理由で発生する。
《近年の事例》として、埼玉県山岳救助隊の報告が掲載されているが、いずれもかつて歩いた道だった。熊倉、十文字、両神。なんでもない山のようであるけど、山は山、危険なことを見つけようと思えばきりがないほどあるっていうことだよね。
まだ山登りしてた頃、安全のために一番に気を使っていたのは、朝。朝、できる限り早くに行動を始めるってことだな。朝早く行動を初めて、お昼までに決着をつける。そして、予定より早すぎる結果になっても、決しておまけを付け加えない。それだけで、ずいぶん防げる事故があるよ、きっと。
そんな私見たいのが、歳とってから登山を再開して、昔の間隔でいい気になってるのも結構危ないんだろうね。
書いているうちに、もう一度、危なかったことがあったのを思い出した。高校2年の夏休み、甲武信の小屋でアルバイトした。朝お客を出してから、長野側に降りて歩荷。一週間やったんだけど、その最終日、もっと稼ぎたくて、荷物を増やした。正確には覚えてないけど、50kg以上背負った。
川沿いの岩場をへずっていたとき、岩の角に背負子を当ててバランスを崩し、あんまり重たくて踏みとどまれずに川へ落ちた。冷たさに気がつくまでおそらく5分くらいかかったろう。死ななくてよかった。荷物のほとんどは重さを稼ぐための缶ジュースだったので、損することはなかった。・・・はした金に目がくらんで、命を落とすところでした。


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