『ニッポンのトリセツ』 ゴーシュ編
最近、時々耳にする“トリセツ”が、取扱説明書のことだと知ったのは、そんなに前のことではありません。どうにもここのところ、「同じ日本のことだから・・・」なんて油断していると、若い人たちやテレビに登場する芸人の言葉が、日本語であるにもかかわらず、わからなかったりする。
「なんだそりゃ」って聞いても、若い連中は、すでに私を本気で取り扱おうとはしない。“トリセツ”には、「無駄」とでも書いてあるのだろうか。
この本は、アメリカ、韓国、チャイナで出版されている日本に関するガイドブックに掲載されている内容を編集したもんだそうです。「ははは、日本っていうところは、こうなんだってよ」って、アメリカ人や韓国人やチャイニーズが面白がる“日本”は、たしかにそのままの延長線上に《日本論》を語れるものでもあろうけど、日本のそんなところを面白がる彼らの延長線上にも、日本を鏡としてみた《アメリカ論》、《韓国論》、《チャイナ論》が見て取れる。

お辞儀であるとか、すぐに「すみません」と謝るとか
、感情を露わにしないとか、日本人の人との距離のとり方に言及する“取扱説明書”が多くあるみたいだな。少しのことで敵を作るより、何かのときにみんなで助け合わなければならないところだからね。日本ていうところはさ。
だから、ちょっとした心地よさのために、無理を通して人の感情を害さないように心がける。距離のとり方には、気を使うよね。言葉の通り、気疲れするくらいにさ。
韓国人は、初対面でも、すぐに距離を詰めてきて、それにたじろぐ日本人を、〈冷たい〉と感じるとか。以前に、呉善花さんの本で読んだな。
でも、“距離のとり方”ということに関していえば、まず間違いなく、悪意はない。どんなにとっつきにくい顔をしていてもね。街角で配っている無料のティッシュは、受け取っても何の害もない。日本人がスキンシップを敬遠しても、何ら気にすることはない。プライベートな質問に答えてくれないことがあるかもしれないけど、嫌われているわけじゃない。
そうそう、食べあるき。私、これだめなんだ。若い奴が、食いながら歩いてるのを見ると、「んだ、みっともねえ」って感じちゃう。お祭りとかさ、そういう時は別よ。だけど、平常時にそういうことしてる若い奴が目について仕方ないんだけど、アメリカ人からしてみると、「極端に少ない」とか。そうかねえ?
テレビの宣伝で、寝坊した女子高生が、食パンをくわえて飛び出していくのがあった。あんなの、パンツはき忘れて人前に飛び出すより、もっと恥ずかしい。
・・・典型的な、年寄りの“「最近の若い奴は・・・」ボヤキ”になってしまった。
全般的に好意的に書かれている様子にちょっと安心した。でも、日本は今、急速に変わりつつある。私が子供の頃に当たり前だった“良き日本”の多くは、すでに失われた。どうにも、取り戻すことはできないだろうな。この本の中にも、そんな、残念な日本が顔をのぞかせる部分があった。・・・多くはないけどね。
日本独自の“トリセツ”が生まれたには、それなりの背景があって、そしてそれらの多くを外の世界の人々が好ましく受け止めてくれているようだ。そんな、外の人たちの目線が、逆に私たちに何かを気付かせてくれているような気がする。この本に表わされるところの“日本論”を通した“諸外国論”。そんな“諸外国論”の反映された“日本論”に、私たち日本人が何かを気付かされる。そんなことがあったら、けっこう嬉しいな。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
「なんだそりゃ」って聞いても、若い連中は、すでに私を本気で取り扱おうとはしない。“トリセツ”には、「無駄」とでも書いてあるのだろうか。
この本は、アメリカ、韓国、チャイナで出版されている日本に関するガイドブックに掲載されている内容を編集したもんだそうです。「ははは、日本っていうところは、こうなんだってよ」って、アメリカ人や韓国人やチャイニーズが面白がる“日本”は、たしかにそのままの延長線上に《日本論》を語れるものでもあろうけど、日本のそんなところを面白がる彼らの延長線上にも、日本を鏡としてみた《アメリカ論》、《韓国論》、《チャイナ論》が見て取れる。
『ニッポンのトリセツ』 ゴーシュ編 立東社 ¥ 1,296外国人向け日本観光ガイドブックには何が書かれているのか? |
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だから、ちょっとした心地よさのために、無理を通して人の感情を害さないように心がける。距離のとり方には、気を使うよね。言葉の通り、気疲れするくらいにさ。
韓国人は、初対面でも、すぐに距離を詰めてきて、それにたじろぐ日本人を、〈冷たい〉と感じるとか。以前に、呉善花さんの本で読んだな。
でも、“距離のとり方”ということに関していえば、まず間違いなく、悪意はない。どんなにとっつきにくい顔をしていてもね。街角で配っている無料のティッシュは、受け取っても何の害もない。日本人がスキンシップを敬遠しても、何ら気にすることはない。プライベートな質問に答えてくれないことがあるかもしれないけど、嫌われているわけじゃない。
そうそう、食べあるき。私、これだめなんだ。若い奴が、食いながら歩いてるのを見ると、「んだ、みっともねえ」って感じちゃう。お祭りとかさ、そういう時は別よ。だけど、平常時にそういうことしてる若い奴が目について仕方ないんだけど、アメリカ人からしてみると、「極端に少ない」とか。そうかねえ?
テレビの宣伝で、寝坊した女子高生が、食パンをくわえて飛び出していくのがあった。あんなの、パンツはき忘れて人前に飛び出すより、もっと恥ずかしい。
・・・典型的な、年寄りの“「最近の若い奴は・・・」ボヤキ”になってしまった。
全般的に好意的に書かれている様子にちょっと安心した。でも、日本は今、急速に変わりつつある。私が子供の頃に当たり前だった“良き日本”の多くは、すでに失われた。どうにも、取り戻すことはできないだろうな。この本の中にも、そんな、残念な日本が顔をのぞかせる部分があった。・・・多くはないけどね。
日本独自の“トリセツ”が生まれたには、それなりの背景があって、そしてそれらの多くを外の世界の人々が好ましく受け止めてくれているようだ。そんな、外の人たちの目線が、逆に私たちに何かを気付かせてくれているような気がする。この本に表わされるところの“日本論”を通した“諸外国論”。そんな“諸外国論”の反映された“日本論”に、私たち日本人が何かを気付かされる。そんなことがあったら、けっこう嬉しいな。


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