やっぱり山に登りたい
過去記事、それもそんなに前じゃない。今年の1月に書いたもの。・・・ちょっと思うところあって・・・
「2時間弱までなら・・・」なんて言いながら、歩いていたんだよね。実際、その後も歩いた。3月、4月、5月くらいまでは歩いていた。その後かな、痛みがけっこうきつくなって、仕事してても午後になるとつらい。休みの日はできるだけ体を伸ばしていたい。平日も、できれば早く帰りたい。そんな状況になった。それにしても、ついこの間まで、山を歩いてたんだよね。なんだかんだ言って、必死だったんだな。じつは今、まったくそんな状況にありません。
2月に、足の状況を見てもらいに、今までとは違う医者に行ってみました。これまでは、私が痛みを訴えても、レントゲンの状況からすれば、「そんなに痛いはずはない」とか、「いま、手術を考える必要はない」とか、繰り返されてきた。
今度の医者は、地元の市民病院。なんでも、股関節の専門医がいて、地元の市長も股関節の手術を受けて、1ヶ月で仕事に復帰したと、幼馴染の市議会議員が教えてくれた。最近、痛みが増してるんだけど、どうせ、「大したことないって言われるのが関の山」くらいのつもりで、保護者同伴で行ってみた。・・・医者の返事は、予想に反していた。
「症状はだいぶ進んでいる。手術を希望されますか?」
そう言われてみると、それはそれでショックでね。でも、同時に安心した。・・・というのは、ようやくこの先の成り行きを考えられるんだから、稜線にかかっていたガスが風に吹き上げられて、目標の山頂を遠望できるようになったような気分。とりあえず、仕事の成り行きにめどが立つはずの来年2月に手術を受けることにして、それまでは痛み止めの薬でやりくりすることになった。
でも、その先生。実は私が診察を希望した先生ではなく、整形外科でも股関節は専門というわけではない先生。次回は、該当の専門の先生に診てもらうことにして、3か月分の薬を処方してもらった。
「2時間弱までなら・・・」なんて言いながら、歩いていたんだよね。
薬の飲み方が不まじめだったもんで、4ヶ月後の6月下旬、該当の先生に診てもらってきました。1週間が過ぎましたが、まだ心の動揺が続いています。先生に言われたのは、「すぐに手術を受けた方がいい。来年の2月までは持ちそうもない」とのこと。「悪くすれば・・・」歩けなくなるんだそうだ。市長だって仕事とのやりくりで苦しんだけど、手術前の状況はこんなにも悪くなかったって。でも、その写真は、2月に撮ったものなんだよね。
じつは、今の仕事。3年をひとつの周期とする仕事で、来年の3月で片がつく。2月まで行けば、後は人手にゆだねられる。つまり、今年は仕上げの3年目。この周期の仕事は、定年を考えてもこれが最後。なんとか最後まで、・・・。
話を聞いてから、足の痛みが増した。病は気からというが、「悪くすれば・・・」という言葉に、心が縛られている。にもかかわらず、この間の週末には、孫をだっこして歩いてしまい、連れ合いに怒られた。
定年を前にして、この仕事だけはやり遂げたい。早く足を直して山に行きたい。今はどうしても仕事を抜けられない。孫と走り回りたい。足が痛い。手術を受ければ、この痛みがなくなる。山にも登れる。抜ければ、周りに迷惑がかかる。仕上げの3年目。この夏が正念場。あの山頂に立ちたい。
とりとめもなく、アトランダムに、そんな思いに突然胸が占領されることが、日に何度かある。・・・死んだ母親が、いつか歩けなくなったらって、よく心配してたな。でも、なんとか人生の終盤戦までこぎつけた。・・・さて、どうしたもんかな。


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