死の商人(覚書)『戦争の発明』 熊谷充晃
やっぱりなあ。やっぱり、そのことが大きく影響していたんだな。・・・ノーベル賞のこと。アルフレッド・ノーベルが、なぜ身銭を切ってノーベル賞を設立したのかということ。背景には、そのことに関する重荷があったんだな。
人間って言うのは、“生き切る”ってことだけでとても大変なものだよね。それぞれの時代の常識の中で生き切ったのであれば、ちょっとの過ちはともかく、そのこと自体がすごいことだと思うんだ。人が生きるってことは、時代や場所に大きく影響されるしね。違う角度から見れば、愚かしかったり、時には恨みつらみにつながることもあるけどさ。程度によりけりってところもあると思うけど、最後は自分で自分を許せるかどうかってことになるんじゃないかな。
だからアルフレッド・ノーベルは、自分や家門の名誉云々はもちろんあるんだけど、心のどっかで自分を許せないってところがあったんだろうと思うんだ。
いまや、アルフレッド・ノーベルの名を聞いて、「死の商人」という言葉を思い浮かべるものはないだろう。その名は、世界の人々の頭に、「ノーベル賞の設立者として、学問の発展に尽くした人物」として刻まれている。もはや、ノーベルの名前から、ダイナマイトを連想できるものさえ少ない。・・・それでいいかどうかは別にしてね。
もしも、実際の歴史の中にシーザー・クラウンのモデルを探して見れば、この人になるのかな。
ドイツ人の化学者フリッツ・フーバー。第一次世界大戦の中、愛国心あふれるフリッツ・フーバーは催涙ガスをの研究とともに塩素ガス身も着目していた。フーバーの妻クララは、当時の女性には珍しい化学分野で博士号を取得した際所であったが、夫の毒ガス実験に強硬に反対した。しかし、フーバーは研究を重ね、開戦した1914年には塩素ガスと防毒マスクの実験に成功していた。
毒ガスは、翌年、ベルギー戦線で実戦に投入されたという。ドイツ軍から連合軍に向けた風に乗ってフーバーの毒ガスが血を這うように進む。やがて連合軍の兵士に異常が発生し、兵士は口から泡を吹き出し、眼球の飛び出すものもいたという。窒息死した兵士5000人。その他にも多くの兵士が宣戦離脱を余儀なくされた。
フーバーがこの戦線から戻ってしばらくしてから、妻のクララは夫の軍用ピストルで自分の胸をうちぬいて自殺したという。だけど、フーバーには、ノーベルほどに自分のやった事の善悪にこだわった様子はない。この後もフーバーは毒ガス開発にかかわっているし、彼が「辛い」と言ったのは、自分の発明品への後ろめたさではなく、ユダヤ人であるがゆえに弾圧されたことであった。
そのこと自体を軽く扱うつもりはないが、だからって免責されるわけでもない。彼だけが毒ガスにかかわったわけでもなく、時代の要請でさえあった。だけど彼には、それを協力に止める妻がいて、それを振り切っての毒ガス開発だった。どこか、人間として欠落している部分があったのか・・・。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
人間って言うのは、“生き切る”ってことだけでとても大変なものだよね。それぞれの時代の常識の中で生き切ったのであれば、ちょっとの過ちはともかく、そのこと自体がすごいことだと思うんだ。人が生きるってことは、時代や場所に大きく影響されるしね。違う角度から見れば、愚かしかったり、時には恨みつらみにつながることもあるけどさ。程度によりけりってところもあると思うけど、最後は自分で自分を許せるかどうかってことになるんじゃないかな。
だからアルフレッド・ノーベルは、自分や家門の名誉云々はもちろんあるんだけど、心のどっかで自分を許せないってところがあったんだろうと思うんだ。
1888年、兄のロベルトが死去したとき、新聞に訃報が掲載されたのだが、紙面を見たノーベルは目を疑った。執筆した記者は亡くなったのがノーベルだと誤解し、さらに見出しに《死の商人死す》と打ったのだ。 ノーベルは、それを見て自分に対する世間の評価を思い知らされる。このままでは殺人兵器・ダイナマイトの発明者として、歴史に永遠に汚名が刻まれてしまう・・・。思案の末にたどり着いた結論が「ノーベル賞の設立」だった。 本書p198 |
『戦争の発明』 熊谷充晃 彩図社 ¥ 1,296あなたが使っているアレも、戦争が生んだ発明品だった❢ |
《ワンピース》の中に、ガスガスの実を食ったガス人間のシーザー・クラウンってやつが出てくる。ガス人間であると同時に科学者で次々と猛毒ガスを生みだして、兵器として裏社会に流している悪者。《ワンピース》見てても、こんな能力を持ってる奴が本当にいたら、雷の人と並んで最強なんじゃないかって思った。 | ![]() |
ドイツ人の化学者フリッツ・フーバー。第一次世界大戦の中、愛国心あふれるフリッツ・フーバーは催涙ガスをの研究とともに塩素ガス身も着目していた。フーバーの妻クララは、当時の女性には珍しい化学分野で博士号を取得した際所であったが、夫の毒ガス実験に強硬に反対した。しかし、フーバーは研究を重ね、開戦した1914年には塩素ガスと防毒マスクの実験に成功していた。
毒ガスは、翌年、ベルギー戦線で実戦に投入されたという。ドイツ軍から連合軍に向けた風に乗ってフーバーの毒ガスが血を這うように進む。やがて連合軍の兵士に異常が発生し、兵士は口から泡を吹き出し、眼球の飛び出すものもいたという。窒息死した兵士5000人。その他にも多くの兵士が宣戦離脱を余儀なくされた。
フーバーがこの戦線から戻ってしばらくしてから、妻のクララは夫の軍用ピストルで自分の胸をうちぬいて自殺したという。だけど、フーバーには、ノーベルほどに自分のやった事の善悪にこだわった様子はない。この後もフーバーは毒ガス開発にかかわっているし、彼が「辛い」と言ったのは、自分の発明品への後ろめたさではなく、ユダヤ人であるがゆえに弾圧されたことであった。
そのこと自体を軽く扱うつもりはないが、だからって免責されるわけでもない。彼だけが毒ガスにかかわったわけでもなく、時代の要請でさえあった。だけど彼には、それを協力に止める妻がいて、それを振り切っての毒ガス開発だった。どこか、人間として欠落している部分があったのか・・・。


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