『敗者列伝』 伊東潤
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というのはビスマルクの言葉。言われるまでもなく歴史は教訓の宝庫。「時代が違う」だの、「生きた前提が違う」だのという人がいれば、過去の人間よりも自分が優れているかのような勘違いをしているか。あるいは、もともと学ぶという素養がないかのどちらか。
もともと学ぶ素養がないならどうしようもないが、過去の人間よりも自分のほうが優れていると勘違いしているだけなら、場合によっては直しようもある。よく、自動車に乗ると、メカの能力を自分の能力と勘違いしてしまう人と同じ。物質的なことだけじゃなく、法制度、ものの考え方においても、今あるものは過去の人たちのおかげであって、自分の人間としての能力には何ら関係ない。
新聞も、ラジオも、テレビもない。無線も、電話も、もちろん携帯もない状況で、あなたは何の判断を下せるか。「ないならないなりに、自分に出来る限りのことをする」? そう、みんなそうした。そして一つの判断が、自分だけじゃなく、一族の、時にはより大きな集団の絶滅につながるような判断を下した。必死で下した。
今の時代なら、大きな判断でも自分一人が死ねば、なんとか埋め合わせができるだろう。でもそんな時、歴史の中に生きる人々は、かならず何かを教えてくれる。
『敗者列伝』とは言うものの、この本に取り上げられているのは大物ばかり。敗因ばかりではなく、人生そのものに学ぶべきところは多い。また、私は第一バッターの蘇我入鹿に関して、その真実の歴史の解明の必要を感じている。それに関しては、前に書いた。著者は、明智光秀に関して、本能寺の変前後の出来事に関する新たな捉え方を紹介している。この本に取り上げられている一人ひとりについて、もしも新たな歴史的事実が解明されれば、また私たちは大きな教訓を得ることができるだろう。

《勝って兜の緒を締めよ》、《おごる平氏は久しからず》・・・、油断を戒める言葉は多い。この本にも、あらためてこれらの言葉を送りたいものも入る。「平氏へ送れ」って? 《おごる平氏は久しからず》って? そのときに送ってたら、間違いなく殺されるね。
多くの敗者が、私たちに教えてくれている。では勝者はどうか。この本の主人公である“敗者”たちも、最終的には“敗者”になるが、場合によっては勝者であった。この本には四つのコラムがあって、そこで取り上げられているのが、源頼朝、足利尊氏、徳川家康、大久保利通。彼らは他の者達と違い、最終的な勝者である。そこには、最終的な勝者になれなかった者達にはない特別なものがあった。
大事なところで、冷酷に徹すること。政治的判断に、私情を持ち込まないこと。それを貫けること。
四人は・・・、足利尊氏は外そう。三人は、冷酷に徹した。政治的判断に、私情を持ち込まなかった。では、生涯を通じて勝者で在り続けることができたか。
頼朝は、やはり殺されてのだろう。大久保利通も暗殺された。ふたりとも、“やり遂げたのち”にね。徳川家康こそが真の最終勝者か?
これが、最終勝者の言葉だろうか。日本史には、真の勝者っていうのはいないんじゃないかな。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
もともと学ぶ素養がないならどうしようもないが、過去の人間よりも自分のほうが優れていると勘違いしているだけなら、場合によっては直しようもある。よく、自動車に乗ると、メカの能力を自分の能力と勘違いしてしまう人と同じ。物質的なことだけじゃなく、法制度、ものの考え方においても、今あるものは過去の人たちのおかげであって、自分の人間としての能力には何ら関係ない。
新聞も、ラジオも、テレビもない。無線も、電話も、もちろん携帯もない状況で、あなたは何の判断を下せるか。「ないならないなりに、自分に出来る限りのことをする」? そう、みんなそうした。そして一つの判断が、自分だけじゃなく、一族の、時にはより大きな集団の絶滅につながるような判断を下した。必死で下した。
今の時代なら、大きな判断でも自分一人が死ねば、なんとか埋め合わせができるだろう。でもそんな時、歴史の中に生きる人々は、かならず何かを教えてくれる。
『敗者列伝』とは言うものの、この本に取り上げられているのは大物ばかり。敗因ばかりではなく、人生そのものに学ぶべきところは多い。また、私は第一バッターの蘇我入鹿に関して、その真実の歴史の解明の必要を感じている。それに関しては、前に書いた。著者は、明智光秀に関して、本能寺の変前後の出来事に関する新たな捉え方を紹介している。この本に取り上げられている一人ひとりについて、もしも新たな歴史的事実が解明されれば、また私たちは大きな教訓を得ることができるだろう。
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《勝って兜の緒を締めよ》、《おごる平氏は久しからず》・・・、油断を戒める言葉は多い。この本にも、あらためてこれらの言葉を送りたいものも入る。「平氏へ送れ」って? 《おごる平氏は久しからず》って? そのときに送ってたら、間違いなく殺されるね。
多くの敗者が、私たちに教えてくれている。では勝者はどうか。この本の主人公である“敗者”たちも、最終的には“敗者”になるが、場合によっては勝者であった。この本には四つのコラムがあって、そこで取り上げられているのが、源頼朝、足利尊氏、徳川家康、大久保利通。彼らは他の者達と違い、最終的な勝者である。そこには、最終的な勝者になれなかった者達にはない特別なものがあった。
大事なところで、冷酷に徹すること。政治的判断に、私情を持ち込まないこと。それを貫けること。
四人は・・・、足利尊氏は外そう。三人は、冷酷に徹した。政治的判断に、私情を持ち込まなかった。では、生涯を通じて勝者で在り続けることができたか。
頼朝は、やはり殺されてのだろう。大久保利通も暗殺された。ふたりとも、“やり遂げたのち”にね。徳川家康こそが真の最終勝者か?
人の一生は重荷をおうて遠き道を行くが如し 急ぐべからず 不自由を常とおもえば 不足なし 心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし 堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思え 勝つことばかり知り負くる事を知らざれば 害その身に至る 己を責めて人を責むるな 及ばざるは過ぎたるに優れり |


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