『「暗黒・中国」からの脱出 逃亡・逮捕・拷問・脱獄』 顔伯鈞
- 中国共産党最高学府・中央党校修士課程で学んだ体制内エリートの卵
- 北京市通州区人民政府で陳情者の対応を行うが、民衆の要望を反映できない行政に失望し、官を辞し大学教授に転出
- 人権活動家・許志永(現在投獄中)の主宰する社会改革団体「公盟」に参加
顔伯鈞の来歴
許志永の新公民運動は、毎月一度、全国各地の参加者たちが現在の社会問題を話し合う食事会を開く行為を中心とした運動で、正面から現体制を否定しない穏健姿勢が支持を集めたようだ。胡錦濤時代は、まだその程度の運動なら目くじらを立てないゆとりがあったんだそうだ。それが習近平時代になると変わる。その程度の運動でも弾圧の対象となる。折から公盟の運動も積極化し、当局と向き合うことになる。主要メンバーに対する拘束が始まり、組織も壊滅状態に追い込まれる。顔伯鈞の身の回りにも公安の影がさす。彼は、逃亡した。
文春新書 ¥ 842 凄まじい人権侵害と闘い続ける若者群像を描いた現代の『水滸伝』 |
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青竜刀を振りかざしてバッサバッサとやりあうわけではないけど、民を自分の財布としか考えない腐敗官僚を相手に立ちまわるあたり、《現代の「水滸伝」》というのは、さほどオーバーな表現とも言えない。驚くべきはシナという世界には、それを可能とする社会的背景があるってこと。
《人が人として生きる》ってことと国家の運営が同じ方向を向いている社会では、本質的にそんなことはありえない。国家の運営が《人が人として生きる》ことを困難にしているからこそ、梁山泊が意味を持つことになる。
![]() | 《中国共産党の魔の手の張り巡らされたこの町》と言われただけで、なんとなく分かるな。とても嫌な感じ。シナの王朝には、歴史的に、その嫌らしさがついてまわるよね。弾圧と粛清の背景にあるのは、徹底した諜報と密告。歴代の王朝がごく当たり前に行ったこと。つまり必然ということ。それを組織として確立したのは洪武帝。皇帝直属の錦衣衛を駆使して、死の間際まで功臣を葬り去り続けた。 | ![]() |
上の二枚の肖像。両方とも洪武帝。「厳粛で端正な顔立ちで、いかにも儒教の理想とする帝王らしい威徳をそなえた」左の肖像は権威を飾るために書かせたもんだうけど、やってることを考えれば右の自画像がピッタリ。実際、「満面あばたで馬のようにあごが発達し、見るから醜悪な人相をしている」醜悪な人相の人物だったらしい。
あっ、毛沢東は福々しかった。文化大革命で、あらゆる人間の絆を断ち切って、子が親を密告するようなことまでさせた。親子に至るまで、人間のつながりを滅茶苦茶にしたこんな奴でも福々しいんだら、案外、洪武帝もにしても、左のような肖像もあながち・・・ | ![]() |
逃亡劇に追い込まれていくにあたって、顔伯鈞さんが思い浮かべたのは、“梁山泊108人の好漢たち”、“清朝を打倒するために逃亡を繰り返した孫中山”、“革命を志して国外に逃亡したレーニン”。さすがは中央党校で学んだ体制内エリート。だけど、梁山泊はいいとして、孫文だのレーニンだの、他人の懐に手を突っ込んだまま人生を送って顧みないような人たちじゃないですか。
イスラームの村、ミャンマーの軍閥、チベットとつてを頼っての逃亡生活。ついに顔伯鈞さんは亡命を余儀なくされていくわけだけど、タイに入った彼は、亡命シナ人の人脈を通じて蛇頭の力を借りている。
中国共産党という巨大な組織を敵に回して、手段を云々している場合じゃないのはよくわかるんだけど、だからこそ、私は顔伯鈞さんも含めて、シナ人は怖い。その、“生きる”ことに関する貪欲さが怖い。中国共産党の怖さを思い知らされるとともに、シナ人の懐の深さも思い知らされた本でした。・・・正直な気持ちです。


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