『となりのイスラム』 内藤正典
昨日は9月11日でした。・・・なんか変な言い方。だったら、昨日か、その前日にでも、これを書けばよかったんだ。・・・すみません。今日が9月11日だなんて、すっかり忘れてました。もう、みんな、本当に仕事が忙しいもんですから。2001年9月11日の、アメリカ同時多発テロ。アフガニスタンを舞台にした対テロ戦争。さらにはイラク戦争。ごたごたがずっと続いて、その流れの中で“アラブの春”。さらにその流れの中で“イスラム国”の登場。テロの拡散。ああ、イスラムは怖い。そんな気持ちが広がりましたよね。・・・欧米諸国経由で・・・。
イスラム国の残忍な殺戮には日本人の犠牲者もあったし、バングラデシュで日本人がテロにあったのはつい最近のこと。たしかに不安ですよね。そのせいか、“イスラム”に関する本もずいぶん出版されている。私もけっこう読んだし、このブログでも紹介している。“イスラム”に関するいろいろなアプローチの仕方があるけど、最も素朴に、「イスラム教徒と言うのはどんな人たち?」っていう視点に関して言えば、この本が一番分かりやすいんじゃないかな。
特に、私たち日本人の間には、もとがあんまり“イスラム”に馴染みがないこともあって、どうしても欧米経由の知識なり観念なりが刷り込まれやすい。本書もその点を問題視していて、“欧米におけるイスラム観”がどのように形成されたものであるかを検証したうえで、“イスラム教との人となり”が書かれているので、とても分かりやすい。
私も疑問でした。豚肉のこと。1400年前には禁忌の必要性はあったのかもしれない。でも今は・・・。一夫多妻もね。ジハードの激しかった頃、その必要性はあったかもしれない。でも今は・・・。著者はそれらの点にも触れています。「たしかに・・・」と思いました。思いはしましたが、納得はしていないけど・・・。


《海外の安い労働力》・・・魅力的な言葉ですね。ヨーロッパは、中東やアフリカを植民地化していたこともあって、イスラム教徒の移民を受け入れた。日本だって自らを省みなきゃならないところもあるとは思うけど、規模も思惑も段違い平行棒。・・・ウゥ
移民のおかれた状況を放置して、そこから安い労働力だけを取り出しているうちはよかったけど、暴力という副産物がヨーロッパ社会にあふれ出した。それ自体はイスラム国の登場とは関係ない。イスラム国はその状況を利用しているにすぎない。「なんでこんなことになったんだろう」って、馬鹿じゃなきゃ分かるだろうと思うことが、ヨーロッパ人にはわからない。ヨーロッパ人は馬鹿じゃないのに、なぜか本当に分からないみたい。
ヨーロッパに移民してアイデンティティを失いかけたイスラム教徒は、結局、同化に幻滅して再イスラム化した。近代と呼ばれる時代を迎えるにあたって、ヨーロッパは封建的束縛から自由を獲得していった。その、封建的束縛の中には、当然のように教会による束縛も含まれていた。彼らが自分を拡大していく過程は、キリスト教会から距離を置く過程でもあった。そのようにして獲得した自由に、当然イスラム教徒も浴することになるだろうと、そうヨーロッパ人は考えてたんじゃないかな。それくらい自分たちが獲得した自由は素晴らしいと、疑いもせず・・・。
自分の妻がヨーロッパの自由に染まってしまったら・・・。自分の子供がヨーロッパの自由に染まってしまったら・・・。そう考えたイスラム教徒たちは、ヨーロッパ社会においてイスラム教徒として家族とともに生きていくことを決断した。ヨーロッパ社会においては、それも認められるべき自由の一つであった。
ところが、そのヨーロッパが、いま、ことあるごとにイスラム教徒を拒否しにかかったように見える。言いたくはないが、そのありさまはまるで、自分たちと同様に堕落しないイスラム教徒に、ヨーロッパ社会全体が恐怖を覚えたのかと考えさせられるほどだ。
いったいこの先どうなるのか。ヨーロッパが冷静さを取り戻せるかどうかの問題だと思う。正直、むずかしい。行きつくところまで行ってしまうんじゃないかと考えると、さらに恐ろしい。
この本は、欧米諸国経由のイスラム教ではないイスラム教。今や4人に1人はイスラム教徒というほどになったイスラム教なら、どこかすっごいいいところがあるはずだと、そういう目で見たイスラム教を知るための本と言ってもいいだろう。イスラム教徒であることが、人間が生きていく上においてとても有用である。イスラム教におけるそんな側面に目を向けた本です。
私はそれでも疑問に感じる。それが、《神の領分》であればどうしても変われないのか。非イスラム教徒は永遠にそれにつきあわなければいけないのだから、改良に向けて、イスラム教徒も真剣に向かい合っていいのではないか。イスラム世界には、それは宗教的タブーなのか。あるいは、前時代的部族的風習が宗教的タブーと混同されているのか。それが不分明な部分が多々ある。それらも含めて、人間って、分かった上で、お互いにすり合わせていく部分があると思うんだけどな。
・・・時間をかけることだな。100年だろうが、1000年だろうが。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
イスラム国の残忍な殺戮には日本人の犠牲者もあったし、バングラデシュで日本人がテロにあったのはつい最近のこと。たしかに不安ですよね。そのせいか、“イスラム”に関する本もずいぶん出版されている。私もけっこう読んだし、このブログでも紹介している。“イスラム”に関するいろいろなアプローチの仕方があるけど、最も素朴に、「イスラム教徒と言うのはどんな人たち?」っていう視点に関して言えば、この本が一番分かりやすいんじゃないかな。
特に、私たち日本人の間には、もとがあんまり“イスラム”に馴染みがないこともあって、どうしても欧米経由の知識なり観念なりが刷り込まれやすい。本書もその点を問題視していて、“欧米におけるイスラム観”がどのように形成されたものであるかを検証したうえで、“イスラム教との人となり”が書かれているので、とても分かりやすい。
私も疑問でした。豚肉のこと。1400年前には禁忌の必要性はあったのかもしれない。でも今は・・・。一夫多妻もね。ジハードの激しかった頃、その必要性はあったかもしれない。でも今は・・・。著者はそれらの点にも触れています。「たしかに・・・」と思いました。思いはしましたが、納得はしていないけど・・・。
『となりのイスラム』 内藤正典 ミシマ社 ¥ 1,728世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代 |
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《海外の安い労働力》・・・魅力的な言葉ですね。ヨーロッパは、中東やアフリカを植民地化していたこともあって、イスラム教徒の移民を受け入れた。日本だって自らを省みなきゃならないところもあるとは思うけど、規模も思惑も段違い平行棒。・・・ウゥ
移民のおかれた状況を放置して、そこから安い労働力だけを取り出しているうちはよかったけど、暴力という副産物がヨーロッパ社会にあふれ出した。それ自体はイスラム国の登場とは関係ない。イスラム国はその状況を利用しているにすぎない。「なんでこんなことになったんだろう」って、馬鹿じゃなきゃ分かるだろうと思うことが、ヨーロッパ人にはわからない。ヨーロッパ人は馬鹿じゃないのに、なぜか本当に分からないみたい。
ヨーロッパに移民してアイデンティティを失いかけたイスラム教徒は、結局、同化に幻滅して再イスラム化した。近代と呼ばれる時代を迎えるにあたって、ヨーロッパは封建的束縛から自由を獲得していった。その、封建的束縛の中には、当然のように教会による束縛も含まれていた。彼らが自分を拡大していく過程は、キリスト教会から距離を置く過程でもあった。そのようにして獲得した自由に、当然イスラム教徒も浴することになるだろうと、そうヨーロッパ人は考えてたんじゃないかな。それくらい自分たちが獲得した自由は素晴らしいと、疑いもせず・・・。
自分の妻がヨーロッパの自由に染まってしまったら・・・。自分の子供がヨーロッパの自由に染まってしまったら・・・。そう考えたイスラム教徒たちは、ヨーロッパ社会においてイスラム教徒として家族とともに生きていくことを決断した。ヨーロッパ社会においては、それも認められるべき自由の一つであった。
ところが、そのヨーロッパが、いま、ことあるごとにイスラム教徒を拒否しにかかったように見える。言いたくはないが、そのありさまはまるで、自分たちと同様に堕落しないイスラム教徒に、ヨーロッパ社会全体が恐怖を覚えたのかと考えさせられるほどだ。
いったいこの先どうなるのか。ヨーロッパが冷静さを取り戻せるかどうかの問題だと思う。正直、むずかしい。行きつくところまで行ってしまうんじゃないかと考えると、さらに恐ろしい。
この本は、欧米諸国経由のイスラム教ではないイスラム教。今や4人に1人はイスラム教徒というほどになったイスラム教なら、どこかすっごいいいところがあるはずだと、そういう目で見たイスラム教を知るための本と言ってもいいだろう。イスラム教徒であることが、人間が生きていく上においてとても有用である。イスラム教におけるそんな側面に目を向けた本です。
私はそれでも疑問に感じる。それが、《神の領分》であればどうしても変われないのか。非イスラム教徒は永遠にそれにつきあわなければいけないのだから、改良に向けて、イスラム教徒も真剣に向かい合っていいのではないか。イスラム世界には、それは宗教的タブーなのか。あるいは、前時代的部族的風習が宗教的タブーと混同されているのか。それが不分明な部分が多々ある。それらも含めて、人間って、分かった上で、お互いにすり合わせていく部分があると思うんだけどな。
・・・時間をかけることだな。100年だろうが、1000年だろうが。


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