プーチン(覚書)『使える地政学』 佐藤優
2015年4月28日の朝日新聞に、ウクライナ問題に関するプーチン大統領の発言が掲載された。以下のようなものだったそうだきょうさ。
そう、なにも変わらないよね、ロシアは・・・。社会主義的イデオロギーを国家経営の基本とするならば、日露戦争でロシア帝国の土台を揺るがせた日本に対して、スターリンは感謝してもいい立場のはずなのにね。火事場泥棒よろしく、まさに終戦間際の日本に、それも瀕死状態の日本に襲いかかって領土を簒奪し、日露戦争の復讐戦っていうんだから、ニコライ二世も草葉の陰であきれ返っていることでしょう。
新生ソ連は、ロシア帝国以上の帝国としてユーラシアに君臨した。第二次世界大戦における戦果は、ソ連にすれば地政学的に理想の体制を可能にした。まさに冷戦期こそが、ソ連、それを引き継ぐロシアの絶頂期と言っていいだろう。だから、プーチンの望みも、《冷戦時の世界秩序の復活》ということになる。北方領土問題に関しても、《第二次世界大戦の結果》ってことを、プーチンは繰り返し強調しているもんね。言うまでもなくそれは、その“結果”としての冷戦時代を指している。
ソ連共産党がつぶれてイデオロギーが変わっても、この国がシベリアに活路を求めなければならなかった事情に何の変化もない。冬になっても凍らない港を求めてなんかしなければならなかった事情に何の変化もない。それは社会主義思想によってそうしていたのではなく、この国がおかれた地政学的事情によってそうしていたからである。
冷戦時代、ソ連は西側諸国、直接的にはNATOとの間に分厚いを緩衝帯を確保した。東ヨーロッパ諸国である。かりにそれが破られても、ロシア本体に近づく前にバルト三国、ベラルーシ、ウクライナといった連邦内共和国が立ちはだかった。1989年の冷戦終結により、東ヨーロッパ諸国が次々に西側に鞍替えした。1991年のソ連崩壊により連邦内共和国は独立し、バルト三国は早々に西側についた。ここでウクライナがヨーロッパに傾けば、ロシアは丸裸にされる。事態は、ここに至った。
著者は盛んに、プーチンの地政学的視点を称賛している。読ませてもらうと、うなずいてしまう部分が多い。その焦点になっているのはシリア。シリア内戦の基本構図は、アサド政府軍、反アサド武装組織「自由シリア」、ISの三つ巴。そこに周辺諸国や欧米、ロシアがからんで、グッチャングッチャン。
一方の主役、ISの目的はイスラム革命の達成。アサド政権も敵なら、イスラム教シーア派、その支援団体も敵。イランなんか敵中の敵。そうなると、最初はIS打倒を掲げたサウジアラビアもシーア派(イラン)との戦いに重心を移してくる。
そんななか、米英仏はIS支配地とアサド政権支配地を空爆している。それでもアサド政権が崩壊しないのは、アサド政権をロシアが支援しているから。アメリカとロシアは、対IS敵対では同調できるものの、対シリアでは真っ向から対立。シリアはロシア軍需産業にとっての最上客という事情もあるが、他の事情もあるとのこと。
19世紀、ロシアの支配の逃れてチュルケス人やチェチェン人がシリアに入っている。シリアの崩壊で彼らが難民化すると、縁を頼ってロシア連邦のチュルケス共和国やチェチェン共和国に入ってくる。混乱の中で民族意識に火がつけば、テロの危険を抱え込むことになるというわけだ。
さらにここに、トルコが関わる。かつてオスマン帝国とペルシャ帝国はアラビア半島を巡る覇権を争った。ペルシャ帝国を引き継ぐイランと敵対するISは、トルコにしてみれば警戒する相手ではなかったが、ここにもロシアが絡んでくる。混乱したシリアにイランが力を伸ばすとき、イランに影響力を及ぼすために、ロシアはイランと手を握った。さらにここに、パリ同時テロをきっかけにIS排除に本腰を入れたフランスがくっついてくる。こうなると、シリア崩壊後の利権からトルコが排除される。
・・・これが、2015年11月24日のトルコ軍によるロシア軍爆撃機撃墜の背景にあった思惑だという。
これだけの支枠が絡んでちゃ、これを元の鞘におさめさせる方向での落着は不可能と考えた方がいいな。ロシアの動きを不可解に思ってるだけじゃ、らちが明かないってことですね。・・・プーチン恐ろしあ。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
ロシアのプーチン大統領は26日放映されたテレビ番組で「ロシアのなような国には自国の地政学的な利益があることを、他の国々は理解しなければならない」と述べた。ウクライナなどロシア周辺国が欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)に接近することに反対するロシアの立場を尊重するよう、欧米に求める趣旨の発言だ。 プーチン氏は「(ロシアと他国とは)互いを尊重し、バランスをとり、互いに受け入れ可能な解決策を見つける必要がある」と強調。その上で「KGB(旧ソ連国家保安委員会)に20年勤めた私は、共産党の一党独裁が崩れればすべてが根本的に変わると思っていた。しかし、なにも変わらなかった。なぜなら、地政学的な問題は、イデオロギーとは何の関係もないからだ」と指摘し、ソ連と西側諸国が勢力範囲を分け合った冷戦時の世界秩序の復活を望むかのような考えを示した。 |
そう、なにも変わらないよね、ロシアは・・・。社会主義的イデオロギーを国家経営の基本とするならば、日露戦争でロシア帝国の土台を揺るがせた日本に対して、スターリンは感謝してもいい立場のはずなのにね。火事場泥棒よろしく、まさに終戦間際の日本に、それも瀕死状態の日本に襲いかかって領土を簒奪し、日露戦争の復讐戦っていうんだから、ニコライ二世も草葉の陰であきれ返っていることでしょう。
新生ソ連は、ロシア帝国以上の帝国としてユーラシアに君臨した。第二次世界大戦における戦果は、ソ連にすれば地政学的に理想の体制を可能にした。まさに冷戦期こそが、ソ連、それを引き継ぐロシアの絶頂期と言っていいだろう。だから、プーチンの望みも、《冷戦時の世界秩序の復活》ということになる。北方領土問題に関しても、《第二次世界大戦の結果》ってことを、プーチンは繰り返し強調しているもんね。言うまでもなくそれは、その“結果”としての冷戦時代を指している。
ソ連共産党がつぶれてイデオロギーが変わっても、この国がシベリアに活路を求めなければならなかった事情に何の変化もない。冬になっても凍らない港を求めてなんかしなければならなかった事情に何の変化もない。それは社会主義思想によってそうしていたのではなく、この国がおかれた地政学的事情によってそうしていたからである。
冷戦時代、ソ連は西側諸国、直接的にはNATOとの間に分厚いを緩衝帯を確保した。東ヨーロッパ諸国である。かりにそれが破られても、ロシア本体に近づく前にバルト三国、ベラルーシ、ウクライナといった連邦内共和国が立ちはだかった。1989年の冷戦終結により、東ヨーロッパ諸国が次々に西側に鞍替えした。1991年のソ連崩壊により連邦内共和国は独立し、バルト三国は早々に西側についた。ここでウクライナがヨーロッパに傾けば、ロシアは丸裸にされる。事態は、ここに至った。
『使える地政学』 佐藤優 朝日新聞出版 ¥ 821地理と世界史で、日本の大問題を読み解く |
著者は盛んに、プーチンの地政学的視点を称賛している。読ませてもらうと、うなずいてしまう部分が多い。その焦点になっているのはシリア。シリア内戦の基本構図は、アサド政府軍、反アサド武装組織「自由シリア」、ISの三つ巴。そこに周辺諸国や欧米、ロシアがからんで、グッチャングッチャン。
一方の主役、ISの目的はイスラム革命の達成。アサド政権も敵なら、イスラム教シーア派、その支援団体も敵。イランなんか敵中の敵。そうなると、最初はIS打倒を掲げたサウジアラビアもシーア派(イラン)との戦いに重心を移してくる。
時事ドットコム 2016/09/06 「聖地巡礼拒否」で緊張=サウジ、イランと対立 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016090600454&g=int (抜粋) 【カイロ時事】サウジアラビアのイスラム教聖地メッカに数百万人が集まる大巡礼(ハッジ)が、今週末から始まる。イスラム教スンニ派の盟主を自任するサウジは今年、政治的対立から国交断絶に至ったシーア派国家イランからの巡礼団を受け入れない方針を決定。宗派対立で揺れる地域情勢のさらなる悪化を招きかねない状況だ。 |
そんななか、米英仏はIS支配地とアサド政権支配地を空爆している。それでもアサド政権が崩壊しないのは、アサド政権をロシアが支援しているから。アメリカとロシアは、対IS敵対では同調できるものの、対シリアでは真っ向から対立。シリアはロシア軍需産業にとっての最上客という事情もあるが、他の事情もあるとのこと。
19世紀、ロシアの支配の逃れてチュルケス人やチェチェン人がシリアに入っている。シリアの崩壊で彼らが難民化すると、縁を頼ってロシア連邦のチュルケス共和国やチェチェン共和国に入ってくる。混乱の中で民族意識に火がつけば、テロの危険を抱え込むことになるというわけだ。
さらにここに、トルコが関わる。かつてオスマン帝国とペルシャ帝国はアラビア半島を巡る覇権を争った。ペルシャ帝国を引き継ぐイランと敵対するISは、トルコにしてみれば警戒する相手ではなかったが、ここにもロシアが絡んでくる。混乱したシリアにイランが力を伸ばすとき、イランに影響力を及ぼすために、ロシアはイランと手を握った。さらにここに、パリ同時テロをきっかけにIS排除に本腰を入れたフランスがくっついてくる。こうなると、シリア崩壊後の利権からトルコが排除される。
・・・これが、2015年11月24日のトルコ軍によるロシア軍爆撃機撃墜の背景にあった思惑だという。
これだけの支枠が絡んでちゃ、これを元の鞘におさめさせる方向での落着は不可能と考えた方がいいな。ロシアの動きを不可解に思ってるだけじゃ、らちが明かないってことですね。・・・プーチン恐ろしあ。


時事ドットコム 2016/09/06 「聖地巡礼拒否」で緊張=サウジ、イランと対立 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016090600454&g=int (全文) 大巡礼(ハッジ)で、サウジアラビアのイスラム教聖地メッカにある「聖モスク(イスラム礼拝所)」に集まった信者ら=2008年12月(AFP=時事) 【カイロ時事】サウジアラビアのイスラム教聖地メッカに数百万人が集まる大巡礼(ハッジ)が、今週末から始まる。イスラム教スンニ派の盟主を自任するサウジは今年、政治的対立から国交断絶に至ったシーア派国家イランからの巡礼団を受け入れない方針を決定。宗派対立で揺れる地域情勢のさらなる悪化を招きかねない状況だ。 昨年の大巡礼では、行事中に起きた混乱で人々が押しつぶされ、約2300人が命を落とす大惨事が起きた。犠牲者のうち464人がイラン人で、イラン政府は「十分な対策が取られていなかった」と批判。サウジ当局への不信感をあらわにし、事故原因調査への関与などを要求した。 これに対し、サウジ政府は「悲劇の政治利用」(ジュベイル外相)と反発し、今年の巡礼団受け入れをめぐるイランとの協議は決裂した。サウジとイランは、シリアやイエメンの内戦でそれぞれ敵対勢力を支援するなど厳しく対立。サウジは、イランが事故に乗じて国家の信用を傷つけようとしたと、警戒を強めている。 ただ、メッカ巡礼はスンニ派、シーア派を問わずイスラム教徒の重要な義務の一つで、渡航を阻まれたイラン側が受けた衝撃は大きい。AFP通信によると、最高指導者ハメネイ師は5日、「敬虔(けいけん)なイラン巡礼団の行く手を阻んだ」として、サウジ指導部を「恥辱的な人々」と非難した。発言を受け、サウジ側がさらに態度を硬化させる恐れもある。 |
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