女は戦利品(覚書)『となりのイスラム』 内藤正典
イスラム国の行ったヤズィーディ教徒への扱いは、やはり衝撃的だった。ヤズィーディ教ってのは、ゾロアスター教の伝統儀式を持ち、イスラム教の影響も強く、・・・えっ?ミトラ教的要素もあるって。さまざまな宗教の影響をうけて、それらの要素をいろいろな形で受け入れて一つにまとめられた宗教なんですね。いわゆる、シンクレティズム。習合ってことで考えれば決して苦手じゃないな。
なんでも、バラモン教も習合しちゃって、輪廻転生からカースト制度的要素まで受け入れたところもあるって。・・・どんな宗教なんだろう。面白そう。・・・不謹慎かな。
ヤズィーディ教徒は、真っ先にイスラム国の標的になった。男たちは虐殺され、女や子供は奴隷にされたことで、世界の注目を引いた。著者の内藤さんは《奴隷にしても、斬首刑にしても、テロにしても、そんなことありえないと考えるのは、同じ時代を生きるイスラム教徒にとっても当然ですが、それは西欧の考え方に啓蒙されたからではありません》と、キリスト教的人道主義によらず、イスラム教という宗教がそもそも寛容なものであることを強調している。
しかし、それでも気になることがある。まずは彼らにズィンミーとしてイスラムによる統治の受け入れを迫る。彼らがそれを受け入れて納税を行うなら、イスラム国は彼らを庇護しなければならない。彼らがそれを拒否した場合、ヤズィーディ教徒は改宗か、出て行くかを迫られる。いずれも受け入れられなかった場合、イスラム国がヤズィーディ教徒の男を殺戮し、女を戦利品として奴隷化する事ができることになる。イスラム法がそれを認めている。
「それが嫌なんだ」という気持ちを、内藤さんは受け入れてくれるだろうか。
『豚肉は食うな』、『酒を呑むな』、『妻は四人まで』、『ヴェールで隠せ』
イスラム教ってことになると、なにかとそういう決まり事がクローズアップされる。成立当初を考えれば、いずれも正当であると考えられる理由がある。それがアッラーの教えでありムハンマドの言葉なら、一信者にしてみればひとえに受け入れるべきことであり、云々すべきことではない。
それは分かる。だいたい、イスラム教徒が豚肉を食わなくても酒飲まなくても、私は構わない。女の人がヴェールをまとうのは、むしろ色気を感じさえする。欧米人には、そのへんの機微はわからないだろうけどさ。『妻は四人まで』って言うのもさ。お金があってこその話だし。まあ、普通は公式には書かないことだと思うんだけど、書く以上は徹底して女の立場を思いやっている。男と女の話だし、公にしている分だけ潔いとさえ言えるかな。
第1次世界大戦ってのは、やはり世界の曲がり角で、オスマン、オーストリア、ロシアという3つの帝国が歴史から姿を消した。従来の収奪システムは徐々に機能が低下し、ヨーロッパの凋落が始まった。
カリフ制が終焉し、イスラム教徒は偉大な指導者を失った。新生トルコが政教分離に踏み切ったのは、西欧と向かい合う地理的条件から、生き残りを掛けた決断だった。第2次大戦を経てチュニジア、リビア、イラン、イラク、シリア、エジプトが世俗主義に傾いたのも、やはりトルコの選択と同じ方向性を持ったものだったろう。
イスラム原理主義がどうのという話は、ずい分前から出てた。どこに行っても血の気の多いだけの勘違い野郎はいる。とはいっても、それがイスラムに多いように感じる。根拠のある話じゃないから、その理由に関してどうのこうのいう段階じゃない。
いずれにせよ、イスラム教徒は長い時間のなかで世俗主義の流れをよしとすることはできなかった。時代を担った世俗的な政権の未熟も多々あった。イラン・イスラム革命、アラブの春、・・・トルコの宗教主義化も明らかな流れである。流れは世俗化からの揺り返しにある。
著者の内藤さんの考えには、“カリフ制”ってことがあるように思える。だけどそれで、イスラムは前に進むことになるのかな。
・・・いろいろ考えさせられる、とても良い本でした。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
なんでも、バラモン教も習合しちゃって、輪廻転生からカースト制度的要素まで受け入れたところもあるって。・・・どんな宗教なんだろう。面白そう。・・・不謹慎かな。
ヤズィーディ教徒は、真っ先にイスラム国の標的になった。男たちは虐殺され、女や子供は奴隷にされたことで、世界の注目を引いた。著者の内藤さんは《奴隷にしても、斬首刑にしても、テロにしても、そんなことありえないと考えるのは、同じ時代を生きるイスラム教徒にとっても当然ですが、それは西欧の考え方に啓蒙されたからではありません》と、キリスト教的人道主義によらず、イスラム教という宗教がそもそも寛容なものであることを強調している。
しかし、それでも気になることがある。まずは彼らにズィンミーとしてイスラムによる統治の受け入れを迫る。彼らがそれを受け入れて納税を行うなら、イスラム国は彼らを庇護しなければならない。彼らがそれを拒否した場合、ヤズィーディ教徒は改宗か、出て行くかを迫られる。いずれも受け入れられなかった場合、イスラム国がヤズィーディ教徒の男を殺戮し、女を戦利品として奴隷化する事ができることになる。イスラム法がそれを認めている。
「それが嫌なんだ」という気持ちを、内藤さんは受け入れてくれるだろうか。
『となりのイスラム』 内藤正典 ミシマ社 ¥ 1,728世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代 |
『豚肉は食うな』、『酒を呑むな』、『妻は四人まで』、『ヴェールで隠せ』
イスラム教ってことになると、なにかとそういう決まり事がクローズアップされる。成立当初を考えれば、いずれも正当であると考えられる理由がある。それがアッラーの教えでありムハンマドの言葉なら、一信者にしてみればひとえに受け入れるべきことであり、云々すべきことではない。
それは分かる。だいたい、イスラム教徒が豚肉を食わなくても酒飲まなくても、私は構わない。女の人がヴェールをまとうのは、むしろ色気を感じさえする。欧米人には、そのへんの機微はわからないだろうけどさ。『妻は四人まで』って言うのもさ。お金があってこその話だし。まあ、普通は公式には書かないことだと思うんだけど、書く以上は徹底して女の立場を思いやっている。男と女の話だし、公にしている分だけ潔いとさえ言えるかな。
第1次世界大戦ってのは、やはり世界の曲がり角で、オスマン、オーストリア、ロシアという3つの帝国が歴史から姿を消した。従来の収奪システムは徐々に機能が低下し、ヨーロッパの凋落が始まった。
カリフ制が終焉し、イスラム教徒は偉大な指導者を失った。新生トルコが政教分離に踏み切ったのは、西欧と向かい合う地理的条件から、生き残りを掛けた決断だった。第2次大戦を経てチュニジア、リビア、イラン、イラク、シリア、エジプトが世俗主義に傾いたのも、やはりトルコの選択と同じ方向性を持ったものだったろう。
イスラム原理主義がどうのという話は、ずい分前から出てた。どこに行っても血の気の多いだけの勘違い野郎はいる。とはいっても、それがイスラムに多いように感じる。根拠のある話じゃないから、その理由に関してどうのこうのいう段階じゃない。
いずれにせよ、イスラム教徒は長い時間のなかで世俗主義の流れをよしとすることはできなかった。時代を担った世俗的な政権の未熟も多々あった。イラン・イスラム革命、アラブの春、・・・トルコの宗教主義化も明らかな流れである。流れは世俗化からの揺り返しにある。
著者の内藤さんの考えには、“カリフ制”ってことがあるように思える。だけどそれで、イスラムは前に進むことになるのかな。
・・・いろいろ考えさせられる、とても良い本でした。


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