めんどくせぇことばかり 『1907 IN KOREA WITH MARQUIS ITO』 ジョージ・トランブル・ラッド

『1907 IN KOREA WITH MARQUIS ITO』 ジョージ・トランブル・ラッド

内容(「BOOK」データベースより)
日韓併合条約調印(1910年)から105年。米国イェール大学教授ジョージ・T・ラッド博士が、1907年の合邦前の朝鮮を訪問し、当時の実情をありありと記録した第一級資料!本邦初翻訳!朝鮮の自力発展を願いつつ懸命に思案する伊藤博文。迫り来る暗殺の影!過酷なまでの状況下で、伊藤統監が成し遂げようとしたその思いとは。本書の原書『IN KOREA WITH MARQUIS ITO(伊藤侯爵と共に朝鮮にて)』は、1907年に執筆され、1908年に米国で出版された。日韓問題の原点がここに!
ジョージ・トランブル・ラッドは、1907年の9月にこれを書いている。なにが重要かって、書いた本人が“自分が現地で直接観察した事実に基づいているか、最も的確で信頼できる一次資料による” と証言していることだ。つまり、歴史の証言者としての意識を持って書いているということだ。

「伊藤博文は韓国の併合に反対していた」ってことの論証として、さまざまな伊藤の発言が研究されたり、それこそハルビンで自分を撃ったのが韓国人だと知ったとき、「バカなやつだ」と言った言う話もその論証の一つとして登場する。

《日本肯定は悪。日本に批判的であることはすなわち善》・・・それは日本の戦後思想界だけの問題じゃなく、支那・韓国だけの風潮じゃなく、実は世界的な流れだった。そのために無駄に費やされた一〇〇有余年。だけど本当の朝鮮は・・・。

世界中が手を焼いていた朝鮮、だけど何をしだすか分からないロシアにだけは取らすわけにはいかない朝鮮。その朝鮮に真っ向から立ち向かうことになる伊藤博文。伊藤博文を支える世界的良識がジョージ・T・ラッド博士で、博士の見た朝鮮がここに書かれている。

ラッド批判家の一人にジェームズ・E・ホアという人物がいる。彼は、「ラッドは朝鮮人に必要なものは最低レベルの教育だと確信していた。朝鮮人に高等教育のシステムはまだ必要ない。伊藤の後任がラッドの意見を採用したかどうかはわからないが、これが1945年までの朝鮮の教育となるのであった」と言っている。しかしラッドは、「国の発展に必須の各分野を発展させ、道徳と法の知識のある行政官を作る教育」の必要を説いており、併合後の総督府は、それまで存在しなかった高等学校、専門学校、大学や女子学校を作っていわけだ。

《日本肯定は悪。日本に批判的であることはすなわち善》というわけのわからない考え方が存在したこと自体が、書かれてから百年間、これだけの本が翻訳されてこなかったことの原因か。

『1907 IN KOREA WITH MARQUIS ITO』   ジョージ・トランブル・ラッド
花の木出版  ¥ 2,270

伊藤博文の依頼を受けて赴いた、大日本帝国の保護国であった大韓帝国での体験をもとにつづった貴重な記録

“どうしてこんな本がいまさら・・・” そんな思いが先行した。読みながら、いや、読めば読むほど、そんな思いが強まった。この本のほかにジョージ・トランブル・ラッドさんの情報を求めてみたら、ラッドさんは神学、哲学の世界を通して心理学に進んだ人のようだね。初来日は1892年のことで、その後、1899年にも来日してる。三度目の来日が、伊藤博文から要請を受けた1906年から1907年にかけてのものだったようだ。


さまざまな功績から旭日中綬賞、旭日重光章というのを受けているんだそうで、まあ日本に縁が深かったのは間違いないね。1921年に亡くなると、おそらく本人の意思なんでしょう。遺灰の半分は横浜の総持寺に分骨されたそうだ。 こんな人がいたことさえ知らなかったんだもんね。つくづく、《日本肯定は悪。日本に批判的であることはすなわち善》という力は強烈なものだったんだね。

この本にある、当時の朝鮮の状況。この本の一端を理解してもらうためにも、以下に上げておく。ぜひ、読んで貰いたい。
朝鮮史の概要
朝鮮の歴史は、支配層にとっては、悪性と不運が延々と続く単調な記録であり、民主にとっては、貧困、抑圧、流血の体験だった。

国家を形成できたのは・・・
朝鮮が国家を形成できたのは、第一に性質的に受け身であるが、時として国内外の抑圧者に対してはげしく興奮し暴動が起こる。第二には、外国が朝鮮を長期間支配し特定の目的を遂げるためには海や山を渡らえばならず、そのための犠牲を支払ってまで支配する値打ちを、諸外国が朝鮮に感じていなかった。

李氏朝鮮に対する清朝の態度
朝鮮は冊封国であり、冊封国ではない。干渉することが清にとって都合のいい時には冊封国となった。宗主国としての責任を負うのが困難あるいは危険な時、あるいは単にわずらわしい時でさえも、冊封国ではなかった。

日清戦争が避けられなかった理由
単に理論上の宗主権の扱いにあったのではなく、清が朝鮮に行った有害な干渉と指示、そして完全に腐敗した脆弱な朝鮮政府に原因があった。

米国海軍少尉ジョージ・C・フォークの証言
(1884甲申について)
朝鮮は、実質的には無期限に閔氏によって支配されている。現在は王妃が閔氏の代表格である。閔氏の血統は中国にあり、自国を中国の支配下に置き、服従させることを常に切望し、目的としていた。閔氏一族は中国から特権を与えられ、朝鮮の他の上流階級の氏族を排除して、中国の王宮と親交を結び、頻繁に訪問していた。一族は巨大で、朝鮮の上流階級の氏族の中で、両班階級の最大多数を占め、最大の土地を所有していた…。朝鮮の民衆の多くは、自国政府の政治についてほとんど、あるいは全く知らなかった。政府のスキャンダルについて偶然情報を得ても、それをあえて活用しようとはしなかった。

(日本人観)
中国人は「その外観、行為、習慣のため、嫌われている」のだが、残虐行為や詐欺行為を働いても恨みを買うことはない。しかし、日本人は逆に「その外観、行為、習慣のため、現在の朝鮮人にさえ称賛されている」にもかかわらず嫌われていて、「朝鮮人はいつでも、日本人の血を流すことでこの感情を爆発させる機会をうかがっている」のだ。

(閔氏の実態)
米国との条約締結交渉における閔氏の行動力によって、閔氏は朝鮮における改革派であるという誤った評価を与えられた。実際には、朝鮮に対する愛国的な考慮ではなく、先祖代々の宗主国である中国に対する服従心によって行動したに過ぎない。その上、当時のすべての朝鮮人と同様、ロシアによって朝鮮の一部が占領される恐怖を抱いていた。

(1882壬午軍乱)
閔氏が管理していた俸給米の不足は閔氏による軍備着服であり、大院君はこれへの兵士の不満を利用して閔氏に対する暴動を扇動した。その結果、閔氏一派の多くを殺害し政権を奪った。大院君は清の指示に従わず、廷臣である閔氏全滅を企図したため、清は軍を派遣し、大院君は清に拉致された。親清派の閔氏の勢力が反乱によって大幅に衰えてしまったため、清はソウルに軍を駐留させ、暴動鎮圧後もそれを続けた。

(壬午軍乱のときの日本人被害)
1882年、朝鮮宮廷は日本に侮辱を与えた。日本には何の過失も無礼もなかったのだが、多くの日本人が朝鮮国内の暴動の最中に殺害された。日本の公使は首都から脱出せざるを得ず、釣り船で海に逃れたのち、イギリスの船に救助された。このような事態に至ったにもかかわらず、日本は朝鮮政府の無責任な行為と脆弱さに対する補償金支払い期限に猶予を与えた。謝罪と550,000円の償金(55,000円は被害者個人への見舞金)が、日本が朝鮮政府に要求した補償金のすべてである。しかも、その後、補償金400,000円は免除された。天皇は補償金免除を指示し、次のように宣言した。
「我が国は、朝鮮国から受け取るべき50万円のうち、40万円を免除する。貴国がすでに行っている開明のための資金の補填とされるよう願っている」
しかし、これらの心遣いは、1884年のより深刻な暴動への地ならしをしたにすぎなかった。

清から派遣された兵士の朝鮮人への態度
1884年8月、朝鮮人の高官が清兵の一群に公然と捕らえられ、路上で殴られた。激しく殴られたため、命が助かる見込みはなかった。これは、清の長官と朝鮮官吏との争いの結末である。原因は、清の官吏の家の隣にある朝鮮官吏の家の門を通過する権利をめぐるものだった。
(フォーク少尉の報告)
それとは逆に、ソウルにおける日本人の態度は常に開明派を援助したいという熱意を示していて、民衆との関係は平和で友好的だった。朝鮮人に対する一般の日本人の振る舞いは称賛すべきものだった。

甲申事件のときの日本人被害
ソウルの民衆は手当たり次第に日本人を虐殺し、3000人の清軍は、数百人の朝鮮兵とともに日本兵を攻撃した。日本兵143人は、少ない兵力で敵軍に大損害を与えて撃退した。いったんは王宮に呼び出された竹添公使が公使館に戻ると、そこには多くの婦女子を含む200名ほどの非戦闘員がいた。大勢の武装した朝鮮人が集結しつつあったが、竹添公使と日本人は、町を強行突破し、西大門を通り抜けて、済物浦にたどり着いた。1名が死に、大勢が負傷した。公使館は略奪にあい、奪いつくされて、数時間後に火をつけられ、完全に破壊された。




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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
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