『古事記・再発見』 三浦佑之
古事記の本文は七世紀半ばには文字に起こされ、書物として存在していた。しかし、その序文は権威付けのためにあとから付け加えられたもので、九世紀初頭と思われる。その出雲神話を含む内容は、律令体制の歴史認識から逸脱しており、律令体制の外の論理にもとづいて書かれた。 |
『古事記』だろうが、『日本書紀』だろうが、面白おかしく楽しめりゃいいって私みたいな輩にすれば、三浦さんのような立場はあまり“親しくお付き合いする”範疇には入らない。いや、入れてもらえない。・・・ほーら、《『古事記』だろうが、『日本書紀』だろうか》だって。“記紀”と並び称するところから、すでに呪縛が始まっているという考えの三浦さんですからね。どうしたって、古事記と日本書紀を相互補完的に認識してしまってる段階で、私なんかはがんじがらめになっちゃってるわけだ。
がんじがらめになっちゃってる奴が多いほど、国家意思を“戦争”一本で統一する必要のあった昭和20年に向かうあの頃、本来多様な日本神話は、それに一役買うことになっちゃったわけだな。
それに、三浦さんたちの活躍で、日本神話の多様性が次々に明らかにされてきている。いまや、“日本の古代史”はこれ以上あるかってほどに面白い。そこには幾つもの“説話”があって、それが複合的に積み重ねられていく。それでも、最終的には、説話はその歴史を書いたものの正当性を主張するわけだ。事実上、その役割を前面にお仕立てているのが『日本書紀』なら、・・・『古事記』は・・・。
『古事記・再発見』 三浦佑之 KADOKAWA ¥ 1,728神話に隠された神々の痕跡を求めて、古事記を読みなおす |
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『漢書ー地理志』、『後漢書ー東夷伝』とかを意識して作ってるんだから、『日本書ー紀』なわけで、“ー紀”の他にも、“ー志”、“ー伝”が編まれるはずだったわけだよね。ただ、それが途中で頓挫しちゃった。結局、後世の正史は『続日本紀』のように“ー紀”だけで綴られていく形になった。だから、正史としての『日本書』の“ー紀”と並走するかのような、もう一つの“ー紀”など、本来は存在してはならないはずのもの。
『古事記』に書かれている出雲神話が『日本書紀』に書かれていないのも、そのほうが律令国家の歴史を語るのにふさわしいという判断があったからこそのこと。三浦さんの主張するように、『古事記』が七世紀半ばに成立していたならば、『古事記』は『日本書紀』を世に出したものの思惑とはまったく別の意思で編纂された。ただしそれは、三浦さんの言うように、“律令体制の歴史認識”ってだけじゃなくて、“藤原氏の体制”を正当化するということを最大の役割としてたんじゃないだろうか。
そのために、『古事記』にも、本来、『古事記」が編纂されたこと以上の意義が付け加えられていることになるよね。・・・おお、すごい❢
“すごい❢”って思うんだけど、そこから先は、神様たちの話。この神さまには、こういう側面が隠されている。この神様の名前には、こんな性格が反映されている。同じ神さまにもかかわらず、まったく違う役割や性質が語られている背景にはこんな事情がある。
大半は、何度も名前を聞いている、読んでいる神様たちの話だから、著者の三浦さんはこれを一般書として、一般読者向けに工夫しておられるんでしょうけど、・・・それでも時に、自分の知識がついていかない。
それでも読んでいて思った。日本の古代史は、これからもっと面白くなる。それを、最高に“面白いもの”として感じられるように、今まで以上に、それらに関する本を読んでおこうかな。


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