『はじめての山歩き』 田部井淳子
NHK NEWS WEB 2016/10/22 登山家の田部井淳子さん死去 女性初エベレスト登頂 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161022/k10010740291000.html (抜粋) 世界最高峰のエベレストへの登頂に女性として世界で初めて成功した登山家の田部井淳子さんが、20日、がんのため埼玉県内の病院で亡くなりました。77歳でした。 |
私が高校生の時や、大学の頃、山はそんなに人気なかった。有名なところに行っても、シーズンの休日でもなければ、人でうんざりってこともなかった。山で、年配の方が目立つようになったのは、少なくともそれが本格的になったのは、私が山をやめてからだろうな。山で年寄りが目立つって感じたことはなかったからね。それから女の人もね。当時、山で会う女の人は、男と同じで、山岳部系のニッカボッカーズばっかだった。
今は、若いのよりも年寄り、男よりも女のほうが目につくくらいなんでしょ。これ、田部井さんの功績だね。“山の伝道師”。“女性として初のエベレスト登頂者”ってことよりも、“山の伝道師”の方が、ふさわしいと思いませんか。
『はじめての山歩き』 田部井淳子 文化出版局 ¥ 時価「まだ歩いていない山がいっぱいある。行きたいところばかりだ」田部井淳子 |
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「足の手術をする」って話は何度もしていますけど、1年ほど前から、自分の手術が現実のものとして感じられるようになって、ようやく、手術を受けたあとにも、私の人生があることを実感できるようになってきた。足が治れば、私は山に登る。この歳になれば、悪いのは足だけってわけでもないんだけどね。また肺気胸を起こす可能性が高いから、すぐに救急車を呼べないところには行かない方がいいって、前に言われてるしね。だけど、山には、行きたいから。
だから、こんな本が手元にある。いくらなんでも25年だっけ、24年か、山やめてから。それで偉そうなことは言えない。やるんなら、素人同然の覚悟でやる。ただ、人と登るのは、連れ合い以外は嫌だけど。だから、ちゃんと調べて、知らない山に登るつもりでやる。そんな私にはぴったりだな、この本。
さすがは、“山の伝道師”。・・・私がそう読んでるだけだけど。私みたいな年寄りが“はじめて”山に登るのに、ちょうど良さそうな山が選ばれてる。田部井さんの“ふるさと”の東北の山で登ってるのは、会津駒と平ガ岳しかないけどね。でも《1》や《2》で選択されている山を考えれば、危険個所も少なく、道迷いの心配もあまりない山が選ばれてるんだろうな。
“時価”も当然の話しで、2002年に出版された本。田部井さんが亡くなったというニュースに、本棚から引っ張り出してみた。見直してみても、田部井さんの選択は適切ですね。2002年、山から遠ざかっていた時分だけど、こんな本買ってたんだな。どんなつもりで買ったか覚えてないんだけど、いつかもう一回山に登りたいって気持ちがあったんかな。おそらく一番、田部井さんの顔を見たくない頃だと思うんだけどな。
もう一冊、田部井さんの本を持ってるんだ。入院中に読んでみようかな。田部井さん、お見事な人生でした。
合掌


NHK NEWS WEB 2016/10/22
登山家の田部井淳子さん死去 女性初エベレスト登頂
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161022/k10010740291000.html
(全文)
世界最高峰のエベレストへの登頂に女性として世界で初めて成功した登山家の田部井淳子さんが、20日、がんのため埼玉県内の病院で亡くなりました。77歳でした。
田部井さんは福島県三春町出身で、大学を卒業後に本格的な登山を始めました。そして、昭和50年には世界最高峰のエベレストへの登頂に女性として世界で初めて成功したほか、アフリカのキリマンジャロやアメリカのデナリ、かつてのマッキンリーなど、世界の7つの大陸の最高峰の登頂にも女性として初めて成功しました。
田部井さんは山岳環境の保護団体の代表を務めるなど、環境保護の大切さを訴える活動にも取り組んできたほか、本の執筆やテレビ出演などを通じて山登りの魅力を伝え続けました。また、東日本大震災が発生したあとは、登山を通じて被災地の復興を支援しようと、避難生活を続けている福島県の人たちとともにハイキングを続けたほか、東北の高校生とともに富士山に登る活動も続けました。
田部井さんは4年前にがんと診断されたあとも、抗がん剤治療を受けながら活動を続けてきましたが、家族によりますと、20日午前10時ごろ、入院先の埼玉県川越市内の病院で亡くなりました。
ことし7月に東北の高校生とともに登った富士山が、長い登山人生の中で最後に登った山になったということです。
登山家 北村節子さん「パワフルで前向き」
登山家の田部井淳子さんとともに、エベレストをはじめ世界のさまざまな山に登った登山家の北村節子さん(67)は「田部井さんは小柄なのにパワフルで前向きな方だった。がんになったあとも、周りが心配する中で『好きなことをやっているほうが体にいいんだ』と言って頻繁に登山していました。もっとたくさんの山に一緒に登りたかったので非常に残念です」と話していました。
冒険家 三浦雄一郎さん「最後まで山にチャレンジ」
田部井さんとおよそ30年のつきあいがあったという冒険家の三浦雄一郎さんは「世界から愛される最高の登山家の1人であり、亡くなったのは残念だ。70歳をすぎてがんで苦しいはずなのに、会うたびに次はどの山に登るのか、うれしそうに話していたことからすると、最後まで山にチャレンジし続けたすばらしい人生だったと思う」と話しています。
登山家の田部井淳子さん死去 女性初エベレスト登頂
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161022/k10010740291000.html
(全文)
世界最高峰のエベレストへの登頂に女性として世界で初めて成功した登山家の田部井淳子さんが、20日、がんのため埼玉県内の病院で亡くなりました。77歳でした。
田部井さんは福島県三春町出身で、大学を卒業後に本格的な登山を始めました。そして、昭和50年には世界最高峰のエベレストへの登頂に女性として世界で初めて成功したほか、アフリカのキリマンジャロやアメリカのデナリ、かつてのマッキンリーなど、世界の7つの大陸の最高峰の登頂にも女性として初めて成功しました。
田部井さんは山岳環境の保護団体の代表を務めるなど、環境保護の大切さを訴える活動にも取り組んできたほか、本の執筆やテレビ出演などを通じて山登りの魅力を伝え続けました。また、東日本大震災が発生したあとは、登山を通じて被災地の復興を支援しようと、避難生活を続けている福島県の人たちとともにハイキングを続けたほか、東北の高校生とともに富士山に登る活動も続けました。
田部井さんは4年前にがんと診断されたあとも、抗がん剤治療を受けながら活動を続けてきましたが、家族によりますと、20日午前10時ごろ、入院先の埼玉県川越市内の病院で亡くなりました。
ことし7月に東北の高校生とともに登った富士山が、長い登山人生の中で最後に登った山になったということです。
登山家 北村節子さん「パワフルで前向き」
登山家の田部井淳子さんとともに、エベレストをはじめ世界のさまざまな山に登った登山家の北村節子さん(67)は「田部井さんは小柄なのにパワフルで前向きな方だった。がんになったあとも、周りが心配する中で『好きなことをやっているほうが体にいいんだ』と言って頻繁に登山していました。もっとたくさんの山に一緒に登りたかったので非常に残念です」と話していました。
冒険家 三浦雄一郎さん「最後まで山にチャレンジ」
田部井さんとおよそ30年のつきあいがあったという冒険家の三浦雄一郎さんは「世界から愛される最高の登山家の1人であり、亡くなったのは残念だ。70歳をすぎてがんで苦しいはずなのに、会うたびに次はどの山に登るのか、うれしそうに話していたことからすると、最後まで山にチャレンジし続けたすばらしい人生だったと思う」と話しています。
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