『地図から読む歴史』 足利健亮
『地図から読む歴史』を解き明かそうとするだけで、ときには“神”に触れなければ話が進まない。しかも、その神ってのが、途中から歴史に割り込んできた神じゃあなくて、この国の創生そのものに関わる神。未開時代を引きずる部族社会ならいざしらず。近現代の世界史で常に大きな存在感を示し続けた国家。それらの国の中ではあまりにも異質であるがゆえに袋叩きにされた国家。にもかかわらず、世界の一角に、大きな影響力を保ち続ける日本。そんな国家でありながら、創生以来の歴史に現代のルーツを保ち続ける。そんな国は、日本を除いて、他にはありえない。
おそらくは、文字で記されていない、その前からの連続性が、私たちが使用する地図の中にも存在している。ものの考え方、日本人のものの考え方の土台には、おそらく縄文の支えがある。
そこまでを語ろうとする本ではないが、ごく当たり前に使用する、たとえば《飛鳥》という地名の中にさえ、もう一度、古典に丁寧に由来を求めなければ、埒が明かない。
さて、ここでは部分的な紹介にとどめるが、ある意味で、読んだ後の方が、知的な意味で、渇きが激しい。
“百済”・・・〈くだら〉って読んじゃうよね。・・・知ってるからさ。でも、知らなきゃ、とてもそうは読めないよね。日本読みなら〈ひゃくさい〉、韓国語読みなら〈ぺくちぇ〉、どうひっくり返っても〈くだら〉にはならない。『日本書紀』の古訓には〈くだら〉の他に、〈くだらく〉っていうのがあるという。〈くだらく〉が出てくれば、〈ふだらく〉につながるのは不自然じゃない。仏教の補陀落、普陀落はインド南海岸にある観世音菩薩の住む山のこと。仏教が、百済によって日本に持ち込まれたことを考えれば、〈ふだらく〉→〈ふだら〉→〈くだら〉は、最初から対象外にするのは、むしろ不自然。


《“飛鳥”は、なぜ〈あすか〉と読むか》って言うのも、考えてみれば、きわめて難解ですよね。《とぶとりのあすか》というように、本来、“飛鳥”は〈あすか〉の枕詞。確かなことは、〈あすか〉と呼ばれる地名があった。著者によれば、漢字が当てられた当初は、〈安宿〉に違いないだろうという。光明皇后は安宿媛(あすかべのひめ)と言った。
安宿は「やすやど」ではなく、「やすらかなやど」。ならば、飛ぶ鳥も、好んで羽を休めたに違いない「安らかな宿」から、「飛ぶ鳥のあすか」という言葉が成立したのではないか。著者はそう言う。
それでは、安宿と漢字が当てられる前の「あすか」と言う音の起源を考える。幾つかの説がある。
①鳥が群生
②ア(接頭語) スカ(住処=集落)
③アス(崩地) カ(処)
④ア(接頭語) スカ(洲処)
⑤朝鮮系渡来人の安住の地(安宿)
著者は、①⑤は漢字に引きずらているので問題外と言うが、まさにそのとおりだね。さらには、“阿修羅王”の「あしゅら」、“阿閦”の「あしゅく」が、「あすか」という音の起源ではないかと言っている。・・・後出しジャンケンのようだけど、私は以前から、そういう考え方に同調している。
《“野”とは何か》というテーマも面白い。奈良の吉野、京都の北野、嵯峨野、滋賀の蒲生野、うちの方では武蔵野。、まあ、どこにでもある“野”。
“野”と呼ばれるのは、比較的平らな地形だが、小高いところにあるため水がかりが悪く、耕地にすること、特に水田にすることが困難で、そのため雑木林や竹林になっているところが多い。必ずしも小高いところに限らないが、低湿地であったり、他の理由で未開拓となり、それがゆえに“野”と呼ばれた。
つまり、“惜しい”場所なんだな。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
おそらくは、文字で記されていない、その前からの連続性が、私たちが使用する地図の中にも存在している。ものの考え方、日本人のものの考え方の土台には、おそらく縄文の支えがある。
そこまでを語ろうとする本ではないが、ごく当たり前に使用する、たとえば《飛鳥》という地名の中にさえ、もう一度、古典に丁寧に由来を求めなければ、埒が明かない。
さて、ここでは部分的な紹介にとどめるが、ある意味で、読んだ後の方が、知的な意味で、渇きが激しい。
“百済”・・・〈くだら〉って読んじゃうよね。・・・知ってるからさ。でも、知らなきゃ、とてもそうは読めないよね。日本読みなら〈ひゃくさい〉、韓国語読みなら〈ぺくちぇ〉、どうひっくり返っても〈くだら〉にはならない。『日本書紀』の古訓には〈くだら〉の他に、〈くだらく〉っていうのがあるという。〈くだらく〉が出てくれば、〈ふだらく〉につながるのは不自然じゃない。仏教の補陀落、普陀落はインド南海岸にある観世音菩薩の住む山のこと。仏教が、百済によって日本に持ち込まれたことを考えれば、〈ふだらく〉→〈ふだら〉→〈くだら〉は、最初から対象外にするのは、むしろ不自然。
『地図から読む歴史』 足利健亮 講談社学術文庫 ¥ 1,036過去の景観の残片は、さまざまな形で地図に姿を留めている |
《“飛鳥”は、なぜ〈あすか〉と読むか》って言うのも、考えてみれば、きわめて難解ですよね。《とぶとりのあすか》というように、本来、“飛鳥”は〈あすか〉の枕詞。確かなことは、〈あすか〉と呼ばれる地名があった。著者によれば、漢字が当てられた当初は、〈安宿〉に違いないだろうという。光明皇后は安宿媛(あすかべのひめ)と言った。
安宿は「やすやど」ではなく、「やすらかなやど」。ならば、飛ぶ鳥も、好んで羽を休めたに違いない「安らかな宿」から、「飛ぶ鳥のあすか」という言葉が成立したのではないか。著者はそう言う。
それでは、安宿と漢字が当てられる前の「あすか」と言う音の起源を考える。幾つかの説がある。
①鳥が群生
②ア(接頭語) スカ(住処=集落)
③アス(崩地) カ(処)
④ア(接頭語) スカ(洲処)
⑤朝鮮系渡来人の安住の地(安宿)
著者は、①⑤は漢字に引きずらているので問題外と言うが、まさにそのとおりだね。さらには、“阿修羅王”の「あしゅら」、“阿閦”の「あしゅく」が、「あすか」という音の起源ではないかと言っている。・・・後出しジャンケンのようだけど、私は以前から、そういう考え方に同調している。
《“野”とは何か》というテーマも面白い。奈良の吉野、京都の北野、嵯峨野、滋賀の蒲生野、うちの方では武蔵野。、まあ、どこにでもある“野”。
“野”と呼ばれるのは、比較的平らな地形だが、小高いところにあるため水がかりが悪く、耕地にすること、特に水田にすることが困難で、そのため雑木林や竹林になっているところが多い。必ずしも小高いところに限らないが、低湿地であったり、他の理由で未開拓となり、それがゆえに“野”と呼ばれた。
つまり、“惜しい”場所なんだな。


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