『グレートトラバース2 日本2百名山ひと筆書き』 田中陽希
《百名山ひと筆書き》に衝撃を受けて、もう一度山に登りたいと思った。さっき、『グレートトラバース百名山ひと筆書き』を読んだ時のブログを読み直したんだけど、はっきりそう書いている。「あと二年したら、手術を受けて山に登る」ってね。それを書いたのが2015年の9月。あの時はまだ、1年後には手術をするって、そんな気持ちはなかったんだな。今は、すでに手術を終え、12月5日の術後検診も良好。「さあ、どんどん歩きましょう」って、医者からも言われた。先生、「歩く」じゃないんだ。「登る」なんだ。
《百名山ひと筆書き》を見て、気持ちを抑えられなくなった。手術は苦しかったし、仕事との両立は今でもつらい。でも、ここまで来た。今考えれば、田中陽希さんは恩人だね。
いま、股関節の痛みはない。ただ、切ったのは、股関節沿いに、結構前の方を、縦に15センチほどなんだけど、そこは骨までざっくり言ってるから、筋肉も断裂してて、左足に体重を乗せるとまだまだ痛い。それから切ったあたりの無感覚があって、小さめの石鹸くらいの大きさの無感覚地帯が存在する。左足を上げようと思っても、それが邪魔して、上がりきらない。
それから、人工股関節は脱臼しやすく、足を大きく開くのはダメ。前屈の柔軟体操もダメ。靴下は人にはかせてもらってください。正座ダメ。あぐら、もっとダメ。足を広げてひねる姿勢は最悪。・・・登山ダメ。
私の登山は、そこから始まります。
なんかのなり行きで《百名山ひと筆書き》なんてことを始めることになり、折からの登山ブームもあって注目を浴び、彼が行きつく山頂は、大概がファンの群れが待ち受ける状態。所詮が北海道の田舎者。そんな世間の扱いに、自分自身が追いつけず、好きな山登りまで見失う始末。見ちゃあいられない。未熟者め。
そんな田中陽希が、この数千kmに及ぶ旅の中で成長していく様子こそ、実は、このシリーズの最大の見もの。《いくつもの苦難を乗り越え・・・》ってのも、たいていが自業自得。《百名山》の時もそうだったけど、《2百名山》でもやらかしてくれた。今度は結構厳しそうな、足の捻挫。登りもそうだけど、下りが特にひどい。あれじゃあ、足を痛めるのが当たり前。
今回の見せ場は、八ヶ岳、天狗だけからの下りで足をひねる。この捻挫で、本沢温泉で5日間の停滞。ここで計画を変更して、まだ痛い足を抱えたまま南アルプスに挑む。5日間停滞の焦りに押しつぶされないかってところだったけど、本で読んでみると、声を変えてくれる一般の人たちに救われているんだな。深田久弥終焉の地、茅ケ岳で「百の頂に百の喜びあり」といった初心を取り戻したことも大きい。

2百名山のシリーズでは、田中陽希さんが和名倉と武甲山に登ってくれた。とてつもなく嬉しかった。
和名倉って言うのは難しい山で、私は高校生の頃によく登ったけど、ルートを外さずに登ること自体が至難の業。もともとが山仕事の現場だから、そのための道が縦横無尽に走っていて、結構やっかい。山容が頭に入っていて方向を失わなければ、だいたいで行けるけどね。今はどうか知らないけど、当時は、正規のルートでも藪こぎが結構あったから、方向失うと大変。それから大変なのは、沢をつめる人のルートが結構あること。ビニールテープがあるからって追っていったら、滝の上に出たとかって怖いことになるかも。私にとって、まさに♬ 薪割り、飯炊き、小屋掃除 ♬ の世界。
というように、ついつい語ってしまう憶い出の山。武甲山は、庭よ。うちは武甲山の北側斜面の山麓。登ってる人がいれば、すぐわかった。秩高山岳部では、土曜日に山に登らないときは、武甲山に駆け上がってた。全山石灰岩という悲しさ。日本の高度経済成長を身を削って支えた山。1336mの頂上が削られたのは大学2年のときか。その時以来登ってない。田中さんの辿ったのは南側からのルート。涙がでるほど懐かしかった。
この挑戦が2015年。そして2016年は、プロアドベンチャーレーサーとして、本来の勝負の場、パダゴニアンエクスペディションレースで2位。この様子はテレビでも放映された。すごいレースだった。11月には最高峰のレースがオーストラリアで行われるとあとがきにあるが、すでに12月、その顛末も、いずれテレビで見られるだろうか。そして、田中陽希の次なる挑戦は・・・

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
《百名山ひと筆書き》を見て、気持ちを抑えられなくなった。手術は苦しかったし、仕事との両立は今でもつらい。でも、ここまで来た。今考えれば、田中陽希さんは恩人だね。
いま、股関節の痛みはない。ただ、切ったのは、股関節沿いに、結構前の方を、縦に15センチほどなんだけど、そこは骨までざっくり言ってるから、筋肉も断裂してて、左足に体重を乗せるとまだまだ痛い。それから切ったあたりの無感覚があって、小さめの石鹸くらいの大きさの無感覚地帯が存在する。左足を上げようと思っても、それが邪魔して、上がりきらない。
それから、人工股関節は脱臼しやすく、足を大きく開くのはダメ。前屈の柔軟体操もダメ。靴下は人にはかせてもらってください。正座ダメ。あぐら、もっとダメ。足を広げてひねる姿勢は最悪。・・・登山ダメ。
私の登山は、そこから始まります。
NHK出版 ¥ 1,836 百名山一筆書きの旅から210日後、新たな旅が始まる。総距離8000km、累積標高110,000m |
|
そんな田中陽希が、この数千kmに及ぶ旅の中で成長していく様子こそ、実は、このシリーズの最大の見もの。《いくつもの苦難を乗り越え・・・》ってのも、たいていが自業自得。《百名山》の時もそうだったけど、《2百名山》でもやらかしてくれた。今度は結構厳しそうな、足の捻挫。登りもそうだけど、下りが特にひどい。あれじゃあ、足を痛めるのが当たり前。
今回の見せ場は、八ヶ岳、天狗だけからの下りで足をひねる。この捻挫で、本沢温泉で5日間の停滞。ここで計画を変更して、まだ痛い足を抱えたまま南アルプスに挑む。5日間停滞の焦りに押しつぶされないかってところだったけど、本で読んでみると、声を変えてくれる一般の人たちに救われているんだな。深田久弥終焉の地、茅ケ岳で「百の頂に百の喜びあり」といった初心を取り戻したことも大きい。
2百名山のシリーズでは、田中陽希さんが和名倉と武甲山に登ってくれた。とてつもなく嬉しかった。
和名倉って言うのは難しい山で、私は高校生の頃によく登ったけど、ルートを外さずに登ること自体が至難の業。もともとが山仕事の現場だから、そのための道が縦横無尽に走っていて、結構やっかい。山容が頭に入っていて方向を失わなければ、だいたいで行けるけどね。今はどうか知らないけど、当時は、正規のルートでも藪こぎが結構あったから、方向失うと大変。それから大変なのは、沢をつめる人のルートが結構あること。ビニールテープがあるからって追っていったら、滝の上に出たとかって怖いことになるかも。私にとって、まさに♬ 薪割り、飯炊き、小屋掃除 ♬ の世界。
というように、ついつい語ってしまう憶い出の山。武甲山は、庭よ。うちは武甲山の北側斜面の山麓。登ってる人がいれば、すぐわかった。秩高山岳部では、土曜日に山に登らないときは、武甲山に駆け上がってた。全山石灰岩という悲しさ。日本の高度経済成長を身を削って支えた山。1336mの頂上が削られたのは大学2年のときか。その時以来登ってない。田中さんの辿ったのは南側からのルート。涙がでるほど懐かしかった。
この挑戦が2015年。そして2016年は、プロアドベンチャーレーサーとして、本来の勝負の場、パダゴニアンエクスペディションレースで2位。この様子はテレビでも放映された。すごいレースだった。11月には最高峰のレースがオーストラリアで行われるとあとがきにあるが、すでに12月、その顛末も、いずれテレビで見られるだろうか。そして、田中陽希の次なる挑戦は・・・


- 関連記事
-
- 『赤いヤッケの男』 安曇潤平 (2016/12/22)
- 『山歩きのオキテ』 工藤 隆雄 (2016/12/19)
- 『グレートトラバース2 日本2百名山ひと筆書き』 田中陽希 (2016/12/13)
- 『大岩壁』 笹本稜平 (2016/12/11)
- 『神々の山嶺 下』 夢枕獏 (2016/11/22)