めんどくせぇことばかり 受け入れる(覚書)『元気な日本論』 橋爪大三郎・大沢真幸
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受け入れる(覚書)『元気な日本論』 橋爪大三郎・大沢真幸

《可口可楽》って、わかりますか? 別に四文字熟語ってわけじゃありませんよ。ただの、中国語。そう、コカ・コーラね。

日本列島の話し言葉の世界に、漢字のシステムが入ってくる。たしかに橋爪さんが言う通り、最初に行われたのは固有名詞を漢字で表記してみることだったろう。大学の時に、第二外国語で中国語を取ってる女の子に、自分の名前を中国語読みするとどうなるのか聞いたけど、丁度その正反対だな。

前5世紀にの動乱で、呉や越の人が稲作文化を引っ提げて日本列島に入ってるとはいっても、漢字を習得しているのは、かなり限られた人たちだったろうからね。なかったとは言えないだろうけど、少なくとも定着はしてなかった、。実際に、大きな規模でシナから漢字が入ってきたのは呉・東晋・南朝の時代で、次の大きなうねりが遣唐使による持ち帰り。初期のものを呉音、後期のものを漢音と呼んで、だいぶ発音に違いがある。

雄略天皇は、〈ワカタケル〉って音で呼ばれていたらしい。漢字の教養のあるものが、おそらくシナから渡ったものが、その音に、《獲加多支鹵》っていう漢字を当てはめた。それに続く漢字が《大王》。《大王》は〈オオキミ〉に当てられた漢字なので、日本では集団の長のことを〈キミ〉と呼んでいたらしい。つまり、《王》は〈キミ〉ということになる。

面白いですね。〈キミ〉に《王》という字をあてることによって、シナにおける《王》の持つ意味を〈キミ〉が装うことになる。

本当は、歴史を学ぶ最初のところで、こういう話を聞いておくべきだったんじゃないかな。

そして、〈カミ〉ね。それに《神》という字をあてた。易姓革命のシナでは、皇帝に権力の正当性を与えているのは天命であり、《天》がそれを下すわけだよね。皇帝は特定の氏族の《王》を超えて天下を支配する。《天》は特定の氏族の《神》を超える、最上級の概念である。

ところが、〈オオキミ〉に支配の正当性を与えているアマテラスは、〈オオキミ〉の属する氏族の〈カミ〉であって、上下の差をつけることができるとしても他の氏族の〈カミ〉と次元は同じである。同じ次元の中における上下の違いだけで、〈オオキミ〉は、他の〈キミ〉の上に立つ。〈カミ〉たちの手前、上位の次元にある天を設定するってことになっていたら、結構ややこしいことになったでしょうね。

なるほどね。だから、脆弱な部分を補うために、『日本書紀』にみられるような、様々な装置が必要だったわけだ。

この件。第一部に書かれてるんだけど、とても面白い。ぜひ読んでみて・・・
『元気な日本論』    橋爪大三郎・大沢真幸
講談社現代新書  ¥ 994

日本列島で起こったあれこれの出来事が、人類史の中でどういう意味を持つのか
第一部 はじまりの日本
 1 なぜ日本の土器は、世界で一番古いのか
 2 なぜ日本には、青銅器時代がないのか
 3 なぜ日本では、大きな古墳が作られたのか
 4 なぜ日本には、天皇がいるのか
 5 なぜ日本人は、仏教を受け入れたのか
 6 なぜ日本は、律令制を受け入れたのか
第二部 なかほどの日本
 7 なぜ日本には、貴族なるものが存在するのか
 8 なぜ日本には、源氏物語が存在するのか
 9 なぜ日本では、院政なるものが生まれるのか
 10 なぜ日本には、武士なるものが存在するのか
 11 なぜ日本には、幕府なるものが存在するのか
 12 なぜ日本人は、一揆なるものを結ぶのか 
第三部 たけなわの日本
 13 なぜ信長は、安土城をつくったのか
 14 なぜ秀吉は、朝鮮に攻め込んだのか
 15 なぜ鉄砲は、市民社会を生まなかったか
 16 なぜ江戸時代に、儒-国-蘭学が学ばれたか
 17 なぜ武士は、尊王思想に取り込まれたか
 18 なぜ攘夷のはずが、開国になるのか 

天を受け入れなかった日本が、仏教は受け入れた。たしかに、隋という強大な統一王朝の登場という脅威もあるけど、それ以上に重大だったのは、仏教徒は、すでに一思想体系というだけでなく、建築、暦法、漢字、衣料など、文化全般を網羅する体系となっていた。それを拒否することは、先進文化を拒否することに等しかった。

日本は仏教の取入れへの投資を本格化させた。それまでの古墳築造への予算を一切やめ、仏教の取入れに回された。ところが、本質的に仏教は難解な思想であり、さらに、日本人は思想的必要性から仏教を取り入れたわけではなかった。精神的には、従来の神々への信仰があり、それが農耕はじめ、生活全般をおおいつくしていた。

経典は、漢訳されたもの、つまりは漢字で書かれたものが入ってきた。日本の僧侶はそれらの経典を読むことができて、意味を取ることもできた。しかし、経典が日本語訳されることはなかった。

一般の人々は、お経を漢訳のままで、音として聞いていて、意味を取ろうとはしていない。音は受け入れているが、意味は受け入れていない。だから、日本人は仏教の教えの意味をつかんで、それを内在化するということをしていない。たしかにそうだね。本で受け入れられているのは、元来の日本人の宗教心と対立しない仏教の形式だけである。

ヨーロッパにおけるキリスト教も、もともとはそういうところがあって、なにしろ改宗したゲルマン人は、キリスト教を理解してなんかいなかった。教会だって、わざわざ聖書をラテン語のままにして、ゲルマン人にはわからないままにした。しかも、仮に読めるようになったとしても、解釈することは許されなかった。

のちの宗教改革は、聖書をゲルマン民族の俗語に訳した。俗語に訳すことで、ゲルマン民族にも神の言葉を内在化することが求められるようになった。

仏教が入ってきたからと言って、日本では、それ以前の宗教世界が壊されずに残ったからね。身近な精神世界は普通の日本語で表現され、そこには以前からの神様たちがいたんだね。それとは別に、当時日本が必要とした形式としての仏教というものも、それはそれで併存し、日本人の精神世界を形式面から重層的にしていったんだな。




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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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