『弓と禅』 オイゲン・ヘリゲル
ドイツの哲学の先生だよ、この人。略歴によれば、1924~29年の足掛け6年間を東北帝大講師として、日本での生活を体験している。1884年生まれだから、40歳から45歳にかけて日本にいたわけですね。
冒頭にあるのが、『ヘリゲル夫人より日本の知人へ』と題する手紙。1955年4月18日に博士が亡くなって、この手紙の日付が5月10日。夫を見送って一段落して、夫人が最初にしたのが、日本の友人たちに手紙を書くことだったんですね。交流の深さが感じられますね。
この間、日本と同様、いや、それ以上の敗戦という体験の中に、ドイツはあった。米軍は、博士の私物の接収を行い、それはまるで掠奪さながらだったようです。《彼が愛した弓の道具や、日本の思い出となる品々も、ことごとく奪い去られた》そうだ。
・・・く、悔しい!
《日本の文化と禅とが密接につながっており、日本のいろいろな芸術、武士の精神的態度、日本人の道徳的、美的、知的生活も、その特性を、禅的基礎に負うている》とは、鈴木大拙の言葉だそうだ。つまり、いかなる芸術、たとえば弓矢の道さえも、自己自身でもって内面的に何事かを遂行するという意味を持つのであって、弓と矢は、たとえそれらがなくても獲得しうるあるものに対しての、いわば一種の方便にすぎない。
つまりヘリゲル博士は、禅を体得するための方便として、弓矢の道を選んだわけだ。
今、実際、日本の禅がブームだという。困ったな。“禅”だって。まったく説明できない。とは言っても、一応、秩父34ヵ所の26番円融寺の檀家で、円融寺は建長寺の方の臨済宗だからね。・・・だけど、禅についてなんて、なんにも説明できないことに変わりはないけど。
さらに輪をかけて、“弓”だからな。一時期、高校の弓道部に関わったことがある。素人指導者は“当てる”ことを意識しすぎて、練習を見ていた外部の方に叱られたことがある。「当てることを意識するな」、「型が早すぎる」って。“えー!! ・・”実は、「もっと早くやれよ、まどろっこしいな」とかって思っていたもんですから。・・・折を見て、その世界から逃げ出しました。
師匠が、ヘリゲルさんに弓の指導をする言葉があります。《弓を射ることは、筋肉を強めるためのものではないと言うことに注意をしてください。弓の弦を引っ張るのに全身の力を働かせてはなりません。そうではなくて、両手だけにその仕事を任せ、他方、腕と肩の筋肉は、どこまでも力を抜いて、まるで関わりのないようにじっと見ているのだということを学ばねばなりません》。次に呼吸法では、《息を吸い込んでから、腹壁が適度に張るように息を緩やかに押し下げなさい。そこで暫くの間、息をぐっと止めるのです。それからできるだけゆっくりと、一様に息を吐きなさい。そして少し休んだのち、急に一息で空気を吸うのです。こうして呼気と吸気を続けて行ううちに、その律動は、次第にひとりでに定まってきます》
すごい師匠だな。わけが分からない。
師匠が、ヘンゲルさんに弓を引かせる。その発展段階に合わせて、ひとえに虚心坦懐に・・・。形であるとか、呼吸法を伝授するものの、それはあくまでも、ひたすら弓を引かせることを通して伝えられる。ヘンゲル博士は、懸命にそれに従いつつも、師匠の指導法に疑問を抑えられないこともある。それを承知で、師匠はなおも、ひたすら弓を引かせる。
そんなことを4年も続けたある日、その時がやってくる。《ある日のこと、私が一射すると、師範は鄭重にお辞儀をして稽古を中断させた。私が面食らって、彼をまじまじと見ていると、「今しがた、“それ”が射ました」と、彼は叫んだ。》その一射こそ、「あなたが射たのではなく、“それ”が射たのだ」と、師匠は言うのだ。さらに、その後がいい。
《さあ、何でもなかったように、稽古を続けなさい》・・・これが“禅”か。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
冒頭にあるのが、『ヘリゲル夫人より日本の知人へ』と題する手紙。1955年4月18日に博士が亡くなって、この手紙の日付が5月10日。夫を見送って一段落して、夫人が最初にしたのが、日本の友人たちに手紙を書くことだったんですね。交流の深さが感じられますね。
この間、日本と同様、いや、それ以上の敗戦という体験の中に、ドイツはあった。米軍は、博士の私物の接収を行い、それはまるで掠奪さながらだったようです。《彼が愛した弓の道具や、日本の思い出となる品々も、ことごとく奪い去られた》そうだ。
・・・く、悔しい!
《日本の文化と禅とが密接につながっており、日本のいろいろな芸術、武士の精神的態度、日本人の道徳的、美的、知的生活も、その特性を、禅的基礎に負うている》とは、鈴木大拙の言葉だそうだ。つまり、いかなる芸術、たとえば弓矢の道さえも、自己自身でもって内面的に何事かを遂行するという意味を持つのであって、弓と矢は、たとえそれらがなくても獲得しうるあるものに対しての、いわば一種の方便にすぎない。
つまりヘリゲル博士は、禅を体得するための方便として、弓矢の道を選んだわけだ。
今、実際、日本の禅がブームだという。困ったな。“禅”だって。まったく説明できない。とは言っても、一応、秩父34ヵ所の26番円融寺の檀家で、円融寺は建長寺の方の臨済宗だからね。・・・だけど、禅についてなんて、なんにも説明できないことに変わりはないけど。
さらに輪をかけて、“弓”だからな。一時期、高校の弓道部に関わったことがある。素人指導者は“当てる”ことを意識しすぎて、練習を見ていた外部の方に叱られたことがある。「当てることを意識するな」、「型が早すぎる」って。“えー!! ・・”実は、「もっと早くやれよ、まどろっこしいな」とかって思っていたもんですから。・・・折を見て、その世界から逃げ出しました。
『弓と禅』 オイゲン・ヘリゲル 福村出版 1,512著者は大正の終わり頃に、日本に大学教授として滞在したドイツ人哲学者 |
師匠が、ヘリゲルさんに弓の指導をする言葉があります。《弓を射ることは、筋肉を強めるためのものではないと言うことに注意をしてください。弓の弦を引っ張るのに全身の力を働かせてはなりません。そうではなくて、両手だけにその仕事を任せ、他方、腕と肩の筋肉は、どこまでも力を抜いて、まるで関わりのないようにじっと見ているのだということを学ばねばなりません》。次に呼吸法では、《息を吸い込んでから、腹壁が適度に張るように息を緩やかに押し下げなさい。そこで暫くの間、息をぐっと止めるのです。それからできるだけゆっくりと、一様に息を吐きなさい。そして少し休んだのち、急に一息で空気を吸うのです。こうして呼気と吸気を続けて行ううちに、その律動は、次第にひとりでに定まってきます》
すごい師匠だな。わけが分からない。
師匠が、ヘンゲルさんに弓を引かせる。その発展段階に合わせて、ひとえに虚心坦懐に・・・。形であるとか、呼吸法を伝授するものの、それはあくまでも、ひたすら弓を引かせることを通して伝えられる。ヘンゲル博士は、懸命にそれに従いつつも、師匠の指導法に疑問を抑えられないこともある。それを承知で、師匠はなおも、ひたすら弓を引かせる。
そんなことを4年も続けたある日、その時がやってくる。《ある日のこと、私が一射すると、師範は鄭重にお辞儀をして稽古を中断させた。私が面食らって、彼をまじまじと見ていると、「今しがた、“それ”が射ました」と、彼は叫んだ。》その一射こそ、「あなたが射たのではなく、“それ”が射たのだ」と、師匠は言うのだ。さらに、その後がいい。
《さあ、何でもなかったように、稽古を続けなさい》・・・これが“禅”か。


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