『山の霊異記 霧中の幻影』 安曇潤平
生まれた家は山の麓にあって、山は自分の遊び場だった。三男の味噌っかすで、兄たちに相手をしてもらえないと、同じ歳の子や下の子と遊ぶ気になれず、一人で山で遊んだ。いろいろなことがあった。怖い目に合うこともあったけど、山に行くのはやめようと思うことはなかった。
林道が山道に変わって少し行ったところから、山頂へ向かう道を外れ、しばらく行った山の斜面に、神様の祠があった。年に二度、大人たちが特別なお祀りをしていた。大人たちは祠の前でお祭をしたあと、祠の裏側に消えた。あまり詳しく聞いたわけではないが、山の神様は蛇の神様だと聞かされた記憶がある。祠の裏手に岩の窪みがあるそうなので、そこに蛇がいるのだろうと、なんとなく思っていた。
覗いたことがある。窪みの前の藪を、蛇に気をつけながらかき分けると、以外に整然とした窪みが現れた。高さは1mほどで、奥行きも同じくらい。岩壁は凹凸が激しいものの滑らかで、・・・。それらの中に、女の乳房のような膨らみがあった。私は、見てはならないものを見てしまったような思いにとらわれ、祠をあとにして走り去った。それ以来、私は祠には近づかなくなった。
高校生になったあたりから、やたらに、あの祠裏の窪みの“乳房”が頭に浮かぶようになった。女のことを意識するたびに、あの“乳房”が脳裏に浮かんだ。それは、いつも私を苦しめた。思い悩んだあげく、私は“乳房”に会いに、祠に向かった。
山の神の祠についた頃には、まわりはすでに薄暗くなりつつあった。祠の裏にまわり、藪をかき分けて、屈んで窪みの中を覗き込んだ。滑らかな凹凸の窪みの壁を丁寧に目で追う。左からの壁は右からの壁の向こう側へ、滑らかに消えている。右からの壁も左からの壁の後を追うように右へ回り込み、緩やかに続いている。その先は手も入らないほど狭くなっているようだ。奥に続くのかは、そこからではわからない。
私は、あの時の“乳房”を探した。あった。もう何年前になるんだろう。あの時の記憶は、間違いではなかった。それは、きれいな乳房のかたちをしていた。左からの壁と交差し、右からの壁が左からの壁を追って右に回りこむところにあった。それは、上部の壁の中に頭を埋め、首から乳房を経てちょうどへその上のあたりまでを表にさらして、そこから下は、また壁の中に埋もれている。手は、上に上げている状態で、細い首の横には脇の下に当たる窪みがある。
つまり、一人の女が、首から乳首とその周辺だけを表にさらして岩壁に埋まっているような形状なのだ。それは滑らかで、きれいだった。私は窪みに潜り込み、その先がどうなっているかなど、少しも関心を示すことなく、やると決めたことを実行に移した。それは、女の乳房を触ることだ。
恐る恐る、右の手を伸ばした。震える手で、私は包み込むようにその乳房に触れた。その瞬間、考えても見なかった事態に、私は大きな衝撃を受けて後退った。私はまたしても、祠をあとにして走り去ることになった。その間、何度も何度も、乳房に触れた手のひらの感触を確認した。乳房は、まるで人のもののように柔らかく、暖かかった。


この間、鎌北湖の周辺を歩き回ってる時、晴れてるのに日の差し込まない、暗い樹林帯に迷い込んだ。もう、すごく雰囲気のある場所で、何度も何度も、後ろを振り返った。あの時、私についてきたのは、いったいなんだろう。すぐ近くには、宿谷の滝があるところ。おまけに、他の道との合流地点には、古い、数基の墓石が・・・。
そういう雰囲気の場所ってのがあるんだよね。これもそんなに離れた場所じゃないんだけど、滝沢の滝。物見山から流れ落ちてくる場所なんだけど、いい滝なんだけど、ちょっと雰囲気ありすぎて、早々に退散した。
『山の霊異記 霧中の幻影』は、この間読んだものとは、ちょっと違う面持ち。今までは、「こういうことって、いかにも山でありそう」って話が多かったけど、今回はちょっと違う。旅先の土地の話や、宿泊した旅館でのできごととかが多い。
もちろんそればっかりじゃなくて、私はやっぱり、山の怪談話がいいなあ。《命の影》、《ついてくる女》、《石田の背中》、《三枚鏡》、《声が聞こえる》などなど、面白かったよ。山に行く時、怖いけどね。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
林道が山道に変わって少し行ったところから、山頂へ向かう道を外れ、しばらく行った山の斜面に、神様の祠があった。年に二度、大人たちが特別なお祀りをしていた。大人たちは祠の前でお祭をしたあと、祠の裏側に消えた。あまり詳しく聞いたわけではないが、山の神様は蛇の神様だと聞かされた記憶がある。祠の裏手に岩の窪みがあるそうなので、そこに蛇がいるのだろうと、なんとなく思っていた。
覗いたことがある。窪みの前の藪を、蛇に気をつけながらかき分けると、以外に整然とした窪みが現れた。高さは1mほどで、奥行きも同じくらい。岩壁は凹凸が激しいものの滑らかで、・・・。それらの中に、女の乳房のような膨らみがあった。私は、見てはならないものを見てしまったような思いにとらわれ、祠をあとにして走り去った。それ以来、私は祠には近づかなくなった。
高校生になったあたりから、やたらに、あの祠裏の窪みの“乳房”が頭に浮かぶようになった。女のことを意識するたびに、あの“乳房”が脳裏に浮かんだ。それは、いつも私を苦しめた。思い悩んだあげく、私は“乳房”に会いに、祠に向かった。
山の神の祠についた頃には、まわりはすでに薄暗くなりつつあった。祠の裏にまわり、藪をかき分けて、屈んで窪みの中を覗き込んだ。滑らかな凹凸の窪みの壁を丁寧に目で追う。左からの壁は右からの壁の向こう側へ、滑らかに消えている。右からの壁も左からの壁の後を追うように右へ回り込み、緩やかに続いている。その先は手も入らないほど狭くなっているようだ。奥に続くのかは、そこからではわからない。
私は、あの時の“乳房”を探した。あった。もう何年前になるんだろう。あの時の記憶は、間違いではなかった。それは、きれいな乳房のかたちをしていた。左からの壁と交差し、右からの壁が左からの壁を追って右に回りこむところにあった。それは、上部の壁の中に頭を埋め、首から乳房を経てちょうどへその上のあたりまでを表にさらして、そこから下は、また壁の中に埋もれている。手は、上に上げている状態で、細い首の横には脇の下に当たる窪みがある。
つまり、一人の女が、首から乳首とその周辺だけを表にさらして岩壁に埋まっているような形状なのだ。それは滑らかで、きれいだった。私は窪みに潜り込み、その先がどうなっているかなど、少しも関心を示すことなく、やると決めたことを実行に移した。それは、女の乳房を触ることだ。
恐る恐る、右の手を伸ばした。震える手で、私は包み込むようにその乳房に触れた。その瞬間、考えても見なかった事態に、私は大きな衝撃を受けて後退った。私はまたしても、祠をあとにして走り去ることになった。その間、何度も何度も、乳房に触れた手のひらの感触を確認した。乳房は、まるで人のもののように柔らかく、暖かかった。
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この間、鎌北湖の周辺を歩き回ってる時、晴れてるのに日の差し込まない、暗い樹林帯に迷い込んだ。もう、すごく雰囲気のある場所で、何度も何度も、後ろを振り返った。あの時、私についてきたのは、いったいなんだろう。すぐ近くには、宿谷の滝があるところ。おまけに、他の道との合流地点には、古い、数基の墓石が・・・。
そういう雰囲気の場所ってのがあるんだよね。これもそんなに離れた場所じゃないんだけど、滝沢の滝。物見山から流れ落ちてくる場所なんだけど、いい滝なんだけど、ちょっと雰囲気ありすぎて、早々に退散した。
『山の霊異記 霧中の幻影』は、この間読んだものとは、ちょっと違う面持ち。今までは、「こういうことって、いかにも山でありそう」って話が多かったけど、今回はちょっと違う。旅先の土地の話や、宿泊した旅館でのできごととかが多い。
もちろんそればっかりじゃなくて、私はやっぱり、山の怪談話がいいなあ。《命の影》、《ついてくる女》、《石田の背中》、《三枚鏡》、《声が聞こえる》などなど、面白かったよ。山に行く時、怖いけどね。


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