Brexit(覚書)『これが世界と日本経済の真実だ』 髙橋洋一
政治を決するのは、選挙でいい。誰に、なに党に政治を託するかを選択し、選ばれた個人、政党は、その委託に身命を賭すつもりで応える。それでいい。イギリスは、2014年にスコットランドの独立を問う住民投票があって、2016年のEU離脱を問う国民投票。
・・・好きなのか? 国民投票が・・・。民主主義の原点? 嫌いだもん。民主主義なんか。他にもっといい方法は、・・・思い当たらないけどさ。
でも、国民投票ってのはよくないよ。あんまりにも白黒はっきりしちゃってさ。あとに禍根となって残りそうだよね。マスコミは、この世の終わりでもあるかのように騒ぎ立てるだろうし、それがこぞって髙橋さんの言う“左巻き”じゃあ、ひどく耳障りだろうことは容易に想像がつく。感情的に煽り立てられは、逆に冷静な判断なんてできなくなるだろう。
イギリスでは、EU残留を訴える政治家の方が殺されたね。あれも結果を左右したね。この本には、勝ち馬に乗るバンドワゴン効果と、判官贔屓のアンダードッグ効果が紹介されてるけど、この事件はイギリスにアンダードッグ効果をもたらしてしまった。


大戦後の西欧諸国にとっての最大の脅威はソ連を中心とする東欧社会主義勢力。それに対処する自由主義陣営の軍事同盟が、アメリカ、カナダと西欧諸国で構成されたNATO。NATOを安全保障として、西欧はマーシャルプランで経済復興を遂げていく。その中で、1951年に石炭鉄鋼共同体が誕生し、連携への流れができる。連携を主導したのは西ドイツ・フランス・イタリア・オランダ・ベルギー・ルクセンブルクで、1957年には経済共同体(EEC)、1967年にヨーロッパ共同体(EC)1993年のヨーロッパ連合(EU)も、この6カ国をコアとして発足した。
イギリスは、この一連の連携において、中心的な役割を果たしてこなかった。EEC時代には、これに対抗してノルウェー、デンマークなどと一緒にヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)を発足させて対抗した。しかし、EECとの競争で苦境に立たされ、1963年にEECへの加盟を申請するが、フランスのド・ゴール大統領に反対されて失敗。1973年、オイルショックでヨーロッパ経済全体が危機に陥って、ようやくEC加盟が果たされた。
サッチャー時代、やはりヨーロッパ統合には積極的ではない。だからユーロの導入は見送られた。実は、イギリスは、ヨーロッパ大陸の国々との間に様々な違いがある。車の通行は、イギリスは左側で大陸は右側。法体系は、英米法は判例主義で大陸法は成文法主義。イギリスは司法が行政に優先するが、大陸は行政優位の法運用体制。イギリスは、官僚機構がそれほど強くなく自由競争を重視している。それに対し、大陸は今のEUがそうであるように、巨大な官僚機構に支えられる役人天国である。現状では、自由競争を重視するイギリスでも、EUの定めたルールに縛られる。
EUに加盟して7年が経った国の国民は、EU内での労働移民が認められる。そのため、イギリスには2004年に加盟したポーランド、2007年に加盟したブルガリア、ルーマニアの労働移民が大量に流入、定着した。そのために賃金が低下し、イギリス人労働者の働き場が奪われていた。移民が入ってくる前のイギリスを知っている人々には、EU離脱派が多かった。
ただし、イギリスは、ヨーロッパの国家間において国境検査なしで国境を超えることを許可する《シェンゲン協定》に入っていない。だから、国境検査が可能である。ユーロ圏でもなければ、シェンゲン圏でもない。そんな優位な立場を認められていた。
イギリスは、常に、EUに対して一歩、距離を置いてきた。それでもなお、EUのルールを多分に受け入れてきた。独自の政策が取れない。特に経済政策の小回りの効かないことが足かせになっているという不満の象徴的な問題として、移民排斥という動きが生まれたというのが著者の見解。
たしかに、離脱の“形”にもよるが、それによって良くなる点も悪くなる点もある。それを見て、スペインやギリシャも考える。離れるべきは離れ、残るべきは残る。そうすることでEUも、より適した規模になることができるという見方もある。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
・・・好きなのか? 国民投票が・・・。民主主義の原点? 嫌いだもん。民主主義なんか。他にもっといい方法は、・・・思い当たらないけどさ。
でも、国民投票ってのはよくないよ。あんまりにも白黒はっきりしちゃってさ。あとに禍根となって残りそうだよね。マスコミは、この世の終わりでもあるかのように騒ぎ立てるだろうし、それがこぞって髙橋さんの言う“左巻き”じゃあ、ひどく耳障りだろうことは容易に想像がつく。感情的に煽り立てられは、逆に冷静な判断なんてできなくなるだろう。
イギリスでは、EU残留を訴える政治家の方が殺されたね。あれも結果を左右したね。この本には、勝ち馬に乗るバンドワゴン効果と、判官贔屓のアンダードッグ効果が紹介されてるけど、この事件はイギリスにアンダードッグ効果をもたらしてしまった。
『これが世界と日本経済の真実だ』 髙橋洋一 悟空出版 ¥ 1,188 数字を読めない「左巻き」のマスコミ、評論家、学者、官僚たち |
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大戦後の西欧諸国にとっての最大の脅威はソ連を中心とする東欧社会主義勢力。それに対処する自由主義陣営の軍事同盟が、アメリカ、カナダと西欧諸国で構成されたNATO。NATOを安全保障として、西欧はマーシャルプランで経済復興を遂げていく。その中で、1951年に石炭鉄鋼共同体が誕生し、連携への流れができる。連携を主導したのは西ドイツ・フランス・イタリア・オランダ・ベルギー・ルクセンブルクで、1957年には経済共同体(EEC)、1967年にヨーロッパ共同体(EC)1993年のヨーロッパ連合(EU)も、この6カ国をコアとして発足した。
イギリスは、この一連の連携において、中心的な役割を果たしてこなかった。EEC時代には、これに対抗してノルウェー、デンマークなどと一緒にヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)を発足させて対抗した。しかし、EECとの競争で苦境に立たされ、1963年にEECへの加盟を申請するが、フランスのド・ゴール大統領に反対されて失敗。1973年、オイルショックでヨーロッパ経済全体が危機に陥って、ようやくEC加盟が果たされた。
サッチャー時代、やはりヨーロッパ統合には積極的ではない。だからユーロの導入は見送られた。実は、イギリスは、ヨーロッパ大陸の国々との間に様々な違いがある。車の通行は、イギリスは左側で大陸は右側。法体系は、英米法は判例主義で大陸法は成文法主義。イギリスは司法が行政に優先するが、大陸は行政優位の法運用体制。イギリスは、官僚機構がそれほど強くなく自由競争を重視している。それに対し、大陸は今のEUがそうであるように、巨大な官僚機構に支えられる役人天国である。現状では、自由競争を重視するイギリスでも、EUの定めたルールに縛られる。
EUに加盟して7年が経った国の国民は、EU内での労働移民が認められる。そのため、イギリスには2004年に加盟したポーランド、2007年に加盟したブルガリア、ルーマニアの労働移民が大量に流入、定着した。そのために賃金が低下し、イギリス人労働者の働き場が奪われていた。移民が入ってくる前のイギリスを知っている人々には、EU離脱派が多かった。
ただし、イギリスは、ヨーロッパの国家間において国境検査なしで国境を超えることを許可する《シェンゲン協定》に入っていない。だから、国境検査が可能である。ユーロ圏でもなければ、シェンゲン圏でもない。そんな優位な立場を認められていた。
イギリスは、常に、EUに対して一歩、距離を置いてきた。それでもなお、EUのルールを多分に受け入れてきた。独自の政策が取れない。特に経済政策の小回りの効かないことが足かせになっているという不満の象徴的な問題として、移民排斥という動きが生まれたというのが著者の見解。
たしかに、離脱の“形”にもよるが、それによって良くなる点も悪くなる点もある。それを見て、スペインやギリシャも考える。離れるべきは離れ、残るべきは残る。そうすることでEUも、より適した規模になることができるという見方もある。


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