『「日本書紀」の呪縛』 吉田一彦
【本と日本史】というシリーズが始まる。
《本のあり方から一つの時代の文化や社会を考え、その時代のものの考え方や世界観・価値観、さらには知の枠組みがどのようなものであったのかを考えてみようという企画》ということです。ん~、なんだか難しそう。ついていけるかな。
その第一巻が、この本。『「日本書紀」の呪縛』という題名。この間、日本書紀に関して書かれた本を読んだ。それによれば、シナの『漢書』や『後漢書』と同様、これは『日本書』であろうと言うことでした。『日本書』は“紀”だけが書かれて終わってしまったということでした。たしかにそうでしょうね。
シナの歴史書は、勝者の正統性の主張なんですね。それに似せて編纂された『日本書』も、当然そういった目的を持っていたはず。ただ、シナでは唐代以降、滅亡した王朝の歴史をあとの王朝が書くのが定着した。日本では、『日本書』を書いた王朝が、そのまま続いている。勝者が自ら歴史を書き、その王朝は、今もそのまま存在する。
具体的に言えば、『日本書』の編纂を始めたのは天武天皇である。天武天皇は、大海人皇子時代に壬申の乱で近江朝廷を敵に回して戦い、勝利を収めて天皇となる。近江王朝を主宰する弘文天皇は、天智天皇・中臣鎌足路線を継承していた。大海人皇子は、内乱の勝者となった。その正統性を主張するためにこそ、天武天皇は『日本書』の編纂を命じた。それは単に、壬申の乱の理由付けと言うだけではない。それは、神代から連綿と自分にまで続く支配の正統性の主張となる。
そんな『日本書』を、天武天皇は編纂しようとした。そして完成したのは、天武天皇のあとを継いだ持統天皇の時代。しかし、天武の妻として、我が子草壁皇子を皇位につかせるべく大津皇子を殺すことまでした持統天皇は、夫の思いを裏切った。それは中臣鎌足の子、不比等を重用していることでも明らかである。つまり、持統政権は、天武天皇を継承するように見えて、実は、天智天皇・中臣鎌足路線を継承していたのである。
『「日本書紀」の呪縛』っていう本だから、日本書紀以降の日本人は、持統天皇・中臣鎌足路線の正統性の主張に縛られて来たということになるね。
どんなだろ。亀甲縛り? 縛られちゃったの?



梅原猛が『隠された十字架』を書いたのは、今から40年以上前だ。そのなかで梅原猛は、法隆寺は聖徳太子の怨霊を封じ込めるために建てられたと書いた。天智天皇・中臣鎌足路線に対する強烈な朝鮮である。にも関わらず、歴史学者の方々は、「それを確実に裏付ける文献が発見されない限り、推測の域に留まる」と退けた。
完全に、呪縛されてますよね。可哀想なほどに。
梅原猛の系列からは、様々な日本書紀研究が発展しているし、歴史学者の先生たちの研究は、それを後追いしているだけのように思えるような、倒錯した状況が日々甚だしくなっている。そのへんは大丈夫なんだろうか。心配になる。
それでも、神々の世界の中心に君臨するアマテラスは持統をモデルとし、その孫として葦原中津国を統治するニニギは、持統の孫の軽皇子をモデルとして造形された。それはそのまま、元明天皇と孫の首皇子に投影されている。そこまで書かれていれば、そうしたのは不比等なんだから、不比等の立場で、なぜそれが必要かということになるはず。
持統女帝に合わせて女神アマテラスが登場するなら、それまで伊勢神宮に祀られていたのは男神だったはず。非主流派の研究は、どんどん先へ行ってるのに、歴史学会の歩みはいかにもまどろっこしい。
それでも、歴史学会の先生方はお分かりなんだろうか。日本書紀に一番縛られてるのは、歴史学会の先生方なんだってこと。呪縛から抜け出せば、非主流派の研究と補完しあって、古代史研究は急激に進むことになると思うんだけど。まだ、縛られていたいんだろうか。もしもそんなに縛られるのがお好きなら、私が縛って差し上げてもいいんだけど。ちょっとだけ、前に実践してたことがありますので。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
《本のあり方から一つの時代の文化や社会を考え、その時代のものの考え方や世界観・価値観、さらには知の枠組みがどのようなものであったのかを考えてみようという企画》ということです。ん~、なんだか難しそう。ついていけるかな。
その第一巻が、この本。『「日本書紀」の呪縛』という題名。この間、日本書紀に関して書かれた本を読んだ。それによれば、シナの『漢書』や『後漢書』と同様、これは『日本書』であろうと言うことでした。『日本書』は“紀”だけが書かれて終わってしまったということでした。たしかにそうでしょうね。
シナの歴史書は、勝者の正統性の主張なんですね。それに似せて編纂された『日本書』も、当然そういった目的を持っていたはず。ただ、シナでは唐代以降、滅亡した王朝の歴史をあとの王朝が書くのが定着した。日本では、『日本書』を書いた王朝が、そのまま続いている。勝者が自ら歴史を書き、その王朝は、今もそのまま存在する。
具体的に言えば、『日本書』の編纂を始めたのは天武天皇である。天武天皇は、大海人皇子時代に壬申の乱で近江朝廷を敵に回して戦い、勝利を収めて天皇となる。近江王朝を主宰する弘文天皇は、天智天皇・中臣鎌足路線を継承していた。大海人皇子は、内乱の勝者となった。その正統性を主張するためにこそ、天武天皇は『日本書』の編纂を命じた。それは単に、壬申の乱の理由付けと言うだけではない。それは、神代から連綿と自分にまで続く支配の正統性の主張となる。
そんな『日本書』を、天武天皇は編纂しようとした。そして完成したのは、天武天皇のあとを継いだ持統天皇の時代。しかし、天武の妻として、我が子草壁皇子を皇位につかせるべく大津皇子を殺すことまでした持統天皇は、夫の思いを裏切った。それは中臣鎌足の子、不比等を重用していることでも明らかである。つまり、持統政権は、天武天皇を継承するように見えて、実は、天智天皇・中臣鎌足路線を継承していたのである。
『「日本書紀」の呪縛』っていう本だから、日本書紀以降の日本人は、持統天皇・中臣鎌足路線の正統性の主張に縛られて来たということになるね。
どんなだろ。亀甲縛り? 縛られちゃったの?
『「日本書紀」の呪縛』 吉田一彦 集英社新書 ¥ 821 歴史学の最前線から明らかにする「神話と歴史」の事実! |
梅原猛が『隠された十字架』を書いたのは、今から40年以上前だ。そのなかで梅原猛は、法隆寺は聖徳太子の怨霊を封じ込めるために建てられたと書いた。天智天皇・中臣鎌足路線に対する強烈な朝鮮である。にも関わらず、歴史学者の方々は、「それを確実に裏付ける文献が発見されない限り、推測の域に留まる」と退けた。
完全に、呪縛されてますよね。可哀想なほどに。
梅原猛の系列からは、様々な日本書紀研究が発展しているし、歴史学者の先生たちの研究は、それを後追いしているだけのように思えるような、倒錯した状況が日々甚だしくなっている。そのへんは大丈夫なんだろうか。心配になる。
それでも、神々の世界の中心に君臨するアマテラスは持統をモデルとし、その孫として葦原中津国を統治するニニギは、持統の孫の軽皇子をモデルとして造形された。それはそのまま、元明天皇と孫の首皇子に投影されている。そこまで書かれていれば、そうしたのは不比等なんだから、不比等の立場で、なぜそれが必要かということになるはず。
持統女帝に合わせて女神アマテラスが登場するなら、それまで伊勢神宮に祀られていたのは男神だったはず。非主流派の研究は、どんどん先へ行ってるのに、歴史学会の歩みはいかにもまどろっこしい。
それでも、歴史学会の先生方はお分かりなんだろうか。日本書紀に一番縛られてるのは、歴史学会の先生方なんだってこと。呪縛から抜け出せば、非主流派の研究と補完しあって、古代史研究は急激に進むことになると思うんだけど。まだ、縛られていたいんだろうか。もしもそんなに縛られるのがお好きなら、私が縛って差し上げてもいいんだけど。ちょっとだけ、前に実践してたことがありますので。


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