『ゼロからわかるキリスト教』 佐藤優
《フランダースの犬》で、ネロがアントワープ聖母大聖堂で、どうしても見たかったルーベンスの絵を見ることができたとき、彼は神の愛に満たされていることを実感していたろう。神を信じてるわけでもないのに、ネロがそういう状態にあることは、疑えなかった。
イスラム国につかまって殺された後藤健二さん。佐藤さんと同じ、日本基督教団に属しているんだそうです。そういう立場で、佐藤さんが後藤さんに言及しているのね。
ジャーナリストとしての実績もあり、その前に拘束された湯川さんのことも前から知っている。日本政府も、NPOも助けに行けない。マスコミも世論も、どこか湯川さんを「しょうがねぇな」扱いにしている。
ちょっと変わったところのある人だけど、日本から遠く離れた砂漠の中で、一人殺されようとしている。放っておけば、誰からの手も差し伸べられないまま、間違いなく殺される。万が一の可能性しかないけど、自分が交渉に立てば、この人を助けられるかもしれない。だけど、自分が殺されたら残された妻や、生まれたばかりの子をどうする。
佐藤さんは、《後藤さんは召命を受けた》と言うんです。神に召し出されたと。召命は、《外部から、超越的な声が聞こえる》って言うんです。そして、召命に従うことは、《義務なのだ》と。
あの時の、後藤さんの、悲壮感にあふれながら、しかも堂々とした、・・・武士のような表情。ネロと同じく、後藤さんも、神とともにあったということか。
佐藤さんにも、聞こえたことがあるって。そうあの時、鈴木宗男さんとのできごとの時。


《宗教がアヘン》であるなら、宗教がある以上、人はそれに酔わせられ続けることになる。酔った人間は、自分が鎖につながれたことさえ気づくことができない。しかし、アヘンは取り上げられた。それは、鎖につながれた現実に絶望させるためではなく、鎖から解き放たれる希望に奮い立たせるため。
ガリレオ・ガリレイらの時代、神は居場所をなくしたんだって。カトリックは、新知識に圧力を加えて、見ないふりをしたけど、プロテスタントはフリードリヒ・シュライエルマッハーによって、神の居場所を外部から“人間の心の中”に転換することに成功した。
さらに、カール・マルクスは、神に対する観念の分水嶺になる。「宗教が人間を作ったのではなく、人間が宗教を作った」というマルクスの宗教批判は、現代の神学者が神を語るときの前提で、当たり前のことなんだって。
・・・どうも最近、読んでみると、「書かれていることが思ってたのと違う」ってことが多い。“神”に関して、いろいろな人の考えが引用されてくるんだけど、カール・バルト、ディートリヒ・ボンヘッファーなど、ほとんどの神学者は、名前さえ知らない。
もともと、佐藤さんはわかりやすく書ける人で、“セクハラ・パワハラ”へのたとえであるとか、“妖怪ウォッチ”のたとえであるとか、“アダムとイブの原罪”であるとか、おもしろく書いてくれるので何とかついていったって感じ。ただ、《キリスト教がゼロからわかった》っていう実感はない。これじゃあ、本の紹介になってないな。その点、題名が張ったりかまし過ぎ。 ・・・お前の方に原因があるんじゃないかって? ・・・ごもっともで。
カトリック世界という枠組み、共産主義社会という枠組み、そしてイスラム国という枠組み。その世界にはその世界特有のルールがあって、“民主主義社会”という枠組みのルールは、そこでは何の意味も持たない。ときには“独裁”が称賛され、異教徒の処刑は合法であり、異教徒の女を奴隷のするのは当たり前である。こういう考え方は、甘えを取り去ってくれるね。
「民主主義は嫌いだけど、ほかの方法よりも、まだまし」って、チャーチルがそんなこと言ってたっけ。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
イスラム国につかまって殺された後藤健二さん。佐藤さんと同じ、日本基督教団に属しているんだそうです。そういう立場で、佐藤さんが後藤さんに言及しているのね。
ジャーナリストとしての実績もあり、その前に拘束された湯川さんのことも前から知っている。日本政府も、NPOも助けに行けない。マスコミも世論も、どこか湯川さんを「しょうがねぇな」扱いにしている。
ちょっと変わったところのある人だけど、日本から遠く離れた砂漠の中で、一人殺されようとしている。放っておけば、誰からの手も差し伸べられないまま、間違いなく殺される。万が一の可能性しかないけど、自分が交渉に立てば、この人を助けられるかもしれない。だけど、自分が殺されたら残された妻や、生まれたばかりの子をどうする。
佐藤さんは、《後藤さんは召命を受けた》と言うんです。神に召し出されたと。召命は、《外部から、超越的な声が聞こえる》って言うんです。そして、召命に従うことは、《義務なのだ》と。
あの時の、後藤さんの、悲壮感にあふれながら、しかも堂々とした、・・・武士のような表情。ネロと同じく、後藤さんも、神とともにあったということか。
佐藤さんにも、聞こえたことがあるって。そうあの時、鈴木宗男さんとのできごとの時。
『ゼロからわかるキリスト教』 佐藤優 新潮社 ¥ 1,296 神の居場所を知っていますか? 全日本人の弱点・キリスト教の核心を早わかり! |
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《宗教がアヘン》であるなら、宗教がある以上、人はそれに酔わせられ続けることになる。酔った人間は、自分が鎖につながれたことさえ気づくことができない。しかし、アヘンは取り上げられた。それは、鎖につながれた現実に絶望させるためではなく、鎖から解き放たれる希望に奮い立たせるため。
ガリレオ・ガリレイらの時代、神は居場所をなくしたんだって。カトリックは、新知識に圧力を加えて、見ないふりをしたけど、プロテスタントはフリードリヒ・シュライエルマッハーによって、神の居場所を外部から“人間の心の中”に転換することに成功した。
さらに、カール・マルクスは、神に対する観念の分水嶺になる。「宗教が人間を作ったのではなく、人間が宗教を作った」というマルクスの宗教批判は、現代の神学者が神を語るときの前提で、当たり前のことなんだって。
・・・どうも最近、読んでみると、「書かれていることが思ってたのと違う」ってことが多い。“神”に関して、いろいろな人の考えが引用されてくるんだけど、カール・バルト、ディートリヒ・ボンヘッファーなど、ほとんどの神学者は、名前さえ知らない。
もともと、佐藤さんはわかりやすく書ける人で、“セクハラ・パワハラ”へのたとえであるとか、“妖怪ウォッチ”のたとえであるとか、“アダムとイブの原罪”であるとか、おもしろく書いてくれるので何とかついていったって感じ。ただ、《キリスト教がゼロからわかった》っていう実感はない。これじゃあ、本の紹介になってないな。その点、題名が張ったりかまし過ぎ。 ・・・お前の方に原因があるんじゃないかって? ・・・ごもっともで。
カトリック世界という枠組み、共産主義社会という枠組み、そしてイスラム国という枠組み。その世界にはその世界特有のルールがあって、“民主主義社会”という枠組みのルールは、そこでは何の意味も持たない。ときには“独裁”が称賛され、異教徒の処刑は合法であり、異教徒の女を奴隷のするのは当たり前である。こういう考え方は、甘えを取り去ってくれるね。
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