変形性股関節症の置換手術のことを振り返ります
変形性股関節症で苦しんでいる人がいれば、おそらく私の体験は、参考にしていただける。
私は、56歳の男。先天性の左股関節脱臼で、1歳半あたりから、けっこう長い間、胸辺りまであるギブスで固められていたそうでだ。親は、飯能にある病院に秩父から通ってくれた。当時はまだ、西武秩父線が開通していないので、寄居まわり。自分が考えても、ゾッとする。親には感謝している。・・・生きている時は、心配しかさせてないけど・・・。
おかげで、よくなった。だけど、母親は、何かというと、私に運動をしないように言った。おそらく医者から釘をさされたのだろう。「よくなったのであって、治ったわけじゃない」というようなことも言ってた。だけど、野球もやったし、サッカーもやったし、長距離走は速い方でした。高校からは山に登るようになった。
“痛み”としてそれを意識するようになったのは、20代になってから。でも、考えてみれば、「あの時、もう一歩、足が出なかった」、「あの時、右膝を痛めたのは、左をかばったせいだ」と、思い当たることは少なくなかった。
痛みが出ると、ひどい時は、・・・もう、思い出したくない。でも、その頃は、“いつも”じゃなかったからね。「もう、山もやめる」ってことになったのは30歳を過ぎてからだし。もちろん医者にかかった。変形性股関節症で、手術の時期じゃないようなことを言われただけだった。当時は、置換の部品の耐久年数も短かったので、少しでも手術を遅らせる方がいいって考えられてたみたい。・・・こっちはけっこう痛いのにね。
「これは、いよいよ」って思って医者に行っても、「まだまだ❢」って、何かの修行みたいなことを言われた。そんなことが2度ほどあって、自分が「いよいよ」と思ってただけに、気持ちの上でもけっこうまいった。
医者をかえた。それには小学校以来の友人が関係してくるんだけど、それはあまり関係ないのでカット。新しい先生に診てもらうと、「痛いでしょ。よくここまで我慢できましたね」って言われて、高まる思いを抑えるために奥歯を噛み締めた。どうやら、そこまでの1年ほどで、急に症状が進んだらしい。すぐに手術を勧められたけど、間の悪いことに仕事が佳境に入っていた。見てもらったのが昨年2月。手術は1年先に伸ばした。座薬を出してもらった。
6月、経過を見るために診察を受ける。さらに症状が進んでいた。「一生車椅子になる」と言われて、ショックを受ける。この頃は、1日に2回、座薬を使っていた。
夏にかけて、悪くなっているのが、自覚できた。仕事を調整して手術をうけることにした。組織で仕事をしている以上、“自分”なんていくらでも調整可能な存在だった。9月、医者に手術を依頼した。
手術は10月27日。入院は2日前の25日。それ以前に、輸血のための自己血採血のために2度通院。手術は1時に始まって、3時間ほど。その日は集中治療室へ。夜9時、水を飲ませてもらう。28日朝、朝食を食べ、一般の病室に戻る。ここからは、日に日に回復していくことが実感できた。途中、薬の影響で肝機能が低下するというトラブルが有ったが、手術から数えて1週間で退院が待ち遠しくなり、状況によっては10日で退院することも可能だったと思う。
結局、退院は11月14日。3週間の入院でした。職場に、10年前に手術を受けた55歳の女性がいます。その人は、入院1か月、リハビリのための通院3か月。仕事復帰1年だったそうです。私は3週間で退院し、その次の通院は1か月後。仕事復帰は、きつかたけど、11月21日。28日間の病休だった。
復帰後の仕事はきつかったけど、1か月で復帰できる。チタン製の部品は、30年もつ。私は90歳まで歩ける。変形性股関節症の置換手術っていうのは、そういう手術だということを知ってもらいたい。今日は、そう思ってこれを書きました。
いま、股関節の痛みは、一切ありません。
手術前の1年は、けっこう大変でした。手術前の半年間は、本当に大変でした。直前の3か月は記憶に無いほどです。身体が完全に傾いてしまってたので、おそらく職場の人も気を使ったことだろう。痛みを堪えるために、私の骨盤はひどく歪んでしまいました。傾いた骨盤から伸びる背骨は、首に向けてS字型に曲がってしまいました。
先生は、「(私の)年齢なら、まだ修正される。ただし、手術から半年たっても変化がないようなら、そのまま曲がったままになる可能性も高い」と言っている。懸命に山を歩いているのも、それを意識しているんだけど、どんなもんだか。今度、6日に検査にいくので、またそのうち、報告する。
いま、もし変形性股関節症の痛みで苦しんでいる人がいたら、手術を受ければ、痛みは消える。真っ直ぐ立って歩けるようになる。連れ合いが、「真っすぐ立ってるね」って、嬉しそうに言ってくれるのが、私は何より嬉しい。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
私は、56歳の男。先天性の左股関節脱臼で、1歳半あたりから、けっこう長い間、胸辺りまであるギブスで固められていたそうでだ。親は、飯能にある病院に秩父から通ってくれた。当時はまだ、西武秩父線が開通していないので、寄居まわり。自分が考えても、ゾッとする。親には感謝している。・・・生きている時は、心配しかさせてないけど・・・。
おかげで、よくなった。だけど、母親は、何かというと、私に運動をしないように言った。おそらく医者から釘をさされたのだろう。「よくなったのであって、治ったわけじゃない」というようなことも言ってた。だけど、野球もやったし、サッカーもやったし、長距離走は速い方でした。高校からは山に登るようになった。
“痛み”としてそれを意識するようになったのは、20代になってから。でも、考えてみれば、「あの時、もう一歩、足が出なかった」、「あの時、右膝を痛めたのは、左をかばったせいだ」と、思い当たることは少なくなかった。
痛みが出ると、ひどい時は、・・・もう、思い出したくない。でも、その頃は、“いつも”じゃなかったからね。「もう、山もやめる」ってことになったのは30歳を過ぎてからだし。もちろん医者にかかった。変形性股関節症で、手術の時期じゃないようなことを言われただけだった。当時は、置換の部品の耐久年数も短かったので、少しでも手術を遅らせる方がいいって考えられてたみたい。・・・こっちはけっこう痛いのにね。
「これは、いよいよ」って思って医者に行っても、「まだまだ❢」って、何かの修行みたいなことを言われた。そんなことが2度ほどあって、自分が「いよいよ」と思ってただけに、気持ちの上でもけっこうまいった。
医者をかえた。それには小学校以来の友人が関係してくるんだけど、それはあまり関係ないのでカット。新しい先生に診てもらうと、「痛いでしょ。よくここまで我慢できましたね」って言われて、高まる思いを抑えるために奥歯を噛み締めた。どうやら、そこまでの1年ほどで、急に症状が進んだらしい。すぐに手術を勧められたけど、間の悪いことに仕事が佳境に入っていた。見てもらったのが昨年2月。手術は1年先に伸ばした。座薬を出してもらった。
6月、経過を見るために診察を受ける。さらに症状が進んでいた。「一生車椅子になる」と言われて、ショックを受ける。この頃は、1日に2回、座薬を使っていた。
夏にかけて、悪くなっているのが、自覚できた。仕事を調整して手術をうけることにした。組織で仕事をしている以上、“自分”なんていくらでも調整可能な存在だった。9月、医者に手術を依頼した。
手術は10月27日。入院は2日前の25日。それ以前に、輸血のための自己血採血のために2度通院。手術は1時に始まって、3時間ほど。その日は集中治療室へ。夜9時、水を飲ませてもらう。28日朝、朝食を食べ、一般の病室に戻る。ここからは、日に日に回復していくことが実感できた。途中、薬の影響で肝機能が低下するというトラブルが有ったが、手術から数えて1週間で退院が待ち遠しくなり、状況によっては10日で退院することも可能だったと思う。
結局、退院は11月14日。3週間の入院でした。職場に、10年前に手術を受けた55歳の女性がいます。その人は、入院1か月、リハビリのための通院3か月。仕事復帰1年だったそうです。私は3週間で退院し、その次の通院は1か月後。仕事復帰は、きつかたけど、11月21日。28日間の病休だった。
復帰後の仕事はきつかったけど、1か月で復帰できる。チタン製の部品は、30年もつ。私は90歳まで歩ける。変形性股関節症の置換手術っていうのは、そういう手術だということを知ってもらいたい。今日は、そう思ってこれを書きました。
いま、股関節の痛みは、一切ありません。
手術前の1年は、けっこう大変でした。手術前の半年間は、本当に大変でした。直前の3か月は記憶に無いほどです。身体が完全に傾いてしまってたので、おそらく職場の人も気を使ったことだろう。痛みを堪えるために、私の骨盤はひどく歪んでしまいました。傾いた骨盤から伸びる背骨は、首に向けてS字型に曲がってしまいました。
先生は、「(私の)年齢なら、まだ修正される。ただし、手術から半年たっても変化がないようなら、そのまま曲がったままになる可能性も高い」と言っている。懸命に山を歩いているのも、それを意識しているんだけど、どんなもんだか。今度、6日に検査にいくので、またそのうち、報告する。
いま、もし変形性股関節症の痛みで苦しんでいる人がいたら、手術を受ければ、痛みは消える。真っ直ぐ立って歩けるようになる。連れ合いが、「真っすぐ立ってるね」って、嬉しそうに言ってくれるのが、私は何より嬉しい。


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