あかねさす(覚書)『新史論4 天智と天武 日本書紀の真相』 関裕二
私もそうでしたよ。万葉集にひかれるようになったのは、中学校の時に、なんかの機会に読んだこの歌がきっかけ。国語の授業かなって思ったんだけど、考えてみると、中学校の国語の授業で、こんな色っぽい歌を扱うかなって思ってね。
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも
よく言われるように、この歌は宴席の戯れ歌だと思っていました。かつての妻は、さまざまな確執を経て、いまは権力者である兄の妻となって、有力者の集う宴席でもそつなく振る舞っている。宴席に停滞が漂い始めた時、女は人に緊張を強いるかのように、思いもよらぬ歌を披露する。投げかけられたもと夫は、その意図を心得て、歌を返す。現在の夫も、二人の意図を心得て、・・・。
大海人皇子と額田王の関係を知り、日本の歴史の中でも、もっとも激しい歴史の荒波に、人々の人生が翻弄されていく中の、ほんの一こまなのかもしれないけど、それがこんなにも鮮やかに・・・。なんてね。そんなふうに言えばかっこいいんだけど、多感な中学生の私には、そんな上品な言い回しはできるはずもなく、ただ、いけないと分かっていながら溢れ出す思いを持て余す男と女の姿に、私までがある種の感情と体の変化を持て余すばかりでした。
小学校の時、クラス内の班で、班名を決める時、「白虎隊」を提案して、「あかとんぼ」に敗れました。中学生になった私は、同様に、「あかねさす」を提案して「ピノキオ」に敗れました。どちらのときも、同じ班に、大好きな女の子がいました。「白虎隊」はともかく、「あかねさす」を提案した私は、その対象として、その娘を意識していました。・・・敗れて当然ですね。
この本を読んで、認識を新たにしました。宴席の戯れ歌なんて考えていたら、この歌がもったいなかったですね。ものすごい力を持った歌でした。
中大兄皇子と中臣鎌足は、女を人質とするやり方を多用している。どうも、日本書紀で語られる様々な陰謀にはある共通性があって、やられる側があまりにも淡白すぎると感じていた。なにも、そうやすやすと死を受け入れなくてもいいものをってね。
蘇我倉山田石川麻呂は嵌められて、一族皆殺し。唯一助かったのは、中大兄皇子に嫁いだ遠智娘で、持統天皇の母に当たる人物だけど、塩漬けにされた父の生首をみせられて、気が触れてしまう。なんともやるせない。遠智娘は、嫁いだのではなく、誘拐されて、人質となっていた。そう考えると辻褄が合う。
本書ではさらに、百済救済の遠征に、多くの女たちが同行させられていることの不自然を訴えている。たしかに、出陣に《熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな》という歌を送った額田王も同行していた。だいたいが、天皇である斉明もまでが人質だったと。つまり、百済救済に、大勢は熱心じゃなかった。それを、女たちを人質代わりにしてまで、強引に行った。その前に、難波宮に取り残されて憤死した孝徳天皇も、みんなが孝徳天皇を置き去りにしたのは、人質を取られたからじゃないかと。
そう考えると、大海人皇子との間に子までなしたにも関わらず、天智天皇の妻となった額田王にも、それ相応の事情があったことが伺える。そして、“あかねさす”の歌だ。
この歌が歌われた時、強引に勧めた白村江の戦いに敗れて、天智天皇は日本を危機に突き落とした。権力を維持するために、彼は最大の政敵であるはずの弟、おそらく本来は兄の、大海人皇子に6人の娘を嫁がせてまで妥協し、和解した。乙巳の変で排除された漢皇子こそ大海人皇子で、天智天皇の娘たちを妻として受け入れることで政界に復帰した。そのために大海人皇子も、妻の額田王を差し出し、額田王との間に生まれた十市皇女は天智天皇の子の大友皇子に嫁いだ。
多くの女たちが政治に利用された様子に、額田王は命がけの抗議をしたのではなかったか。大海人皇子が自分を思う気持ちを試すとともに、新たな夫である天智天皇に、思い切りあてつけたのではなかったか。・・・痛快だな。・・・すごく怖いけど。

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あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも
よく言われるように、この歌は宴席の戯れ歌だと思っていました。かつての妻は、さまざまな確執を経て、いまは権力者である兄の妻となって、有力者の集う宴席でもそつなく振る舞っている。宴席に停滞が漂い始めた時、女は人に緊張を強いるかのように、思いもよらぬ歌を披露する。投げかけられたもと夫は、その意図を心得て、歌を返す。現在の夫も、二人の意図を心得て、・・・。
大海人皇子と額田王の関係を知り、日本の歴史の中でも、もっとも激しい歴史の荒波に、人々の人生が翻弄されていく中の、ほんの一こまなのかもしれないけど、それがこんなにも鮮やかに・・・。なんてね。そんなふうに言えばかっこいいんだけど、多感な中学生の私には、そんな上品な言い回しはできるはずもなく、ただ、いけないと分かっていながら溢れ出す思いを持て余す男と女の姿に、私までがある種の感情と体の変化を持て余すばかりでした。
小学校の時、クラス内の班で、班名を決める時、「白虎隊」を提案して、「あかとんぼ」に敗れました。中学生になった私は、同様に、「あかねさす」を提案して「ピノキオ」に敗れました。どちらのときも、同じ班に、大好きな女の子がいました。「白虎隊」はともかく、「あかねさす」を提案した私は、その対象として、その娘を意識していました。・・・敗れて当然ですね。
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中大兄皇子と中臣鎌足は、女を人質とするやり方を多用している。どうも、日本書紀で語られる様々な陰謀にはある共通性があって、やられる側があまりにも淡白すぎると感じていた。なにも、そうやすやすと死を受け入れなくてもいいものをってね。
蘇我倉山田石川麻呂は嵌められて、一族皆殺し。唯一助かったのは、中大兄皇子に嫁いだ遠智娘で、持統天皇の母に当たる人物だけど、塩漬けにされた父の生首をみせられて、気が触れてしまう。なんともやるせない。遠智娘は、嫁いだのではなく、誘拐されて、人質となっていた。そう考えると辻褄が合う。
本書ではさらに、百済救済の遠征に、多くの女たちが同行させられていることの不自然を訴えている。たしかに、出陣に《熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな》という歌を送った額田王も同行していた。だいたいが、天皇である斉明もまでが人質だったと。つまり、百済救済に、大勢は熱心じゃなかった。それを、女たちを人質代わりにしてまで、強引に行った。その前に、難波宮に取り残されて憤死した孝徳天皇も、みんなが孝徳天皇を置き去りにしたのは、人質を取られたからじゃないかと。
そう考えると、大海人皇子との間に子までなしたにも関わらず、天智天皇の妻となった額田王にも、それ相応の事情があったことが伺える。そして、“あかねさす”の歌だ。
この歌が歌われた時、強引に勧めた白村江の戦いに敗れて、天智天皇は日本を危機に突き落とした。権力を維持するために、彼は最大の政敵であるはずの弟、おそらく本来は兄の、大海人皇子に6人の娘を嫁がせてまで妥協し、和解した。乙巳の変で排除された漢皇子こそ大海人皇子で、天智天皇の娘たちを妻として受け入れることで政界に復帰した。そのために大海人皇子も、妻の額田王を差し出し、額田王との間に生まれた十市皇女は天智天皇の子の大友皇子に嫁いだ。
多くの女たちが政治に利用された様子に、額田王は命がけの抗議をしたのではなかったか。大海人皇子が自分を思う気持ちを試すとともに、新たな夫である天智天皇に、思い切りあてつけたのではなかったか。・・・痛快だな。・・・すごく怖いけど。


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