『新史論4 天智と天武 日本書紀の真相』 関裕二
4巻は、おそらく新史論の革新と言えばいいだろうか。乙巳の変→白村江の戦い→壬申の乱→天武政権と続いていく。でも、それで終わりじゃない。司馬遷の史記は、武帝の支配の正当性をうたい、だからこその繁栄を寿ぐのが目的。だから、武帝の支配を記述して終わる。
日本書紀は天武の意志により編纂が始められるが、記述は天武の時代で終わらない。さらに続く。この行き着く先に、日本書紀が書かれた本来の目的が存在することになる。つまり、この段階でわかっていることは、日本書紀は、天武政権の正当性を主張するために書かれたものではないということだ。
では、日本書紀の最後に語られているのは何か。持統が、その在位の最後に、天皇の位を皇太子に禅譲する。そして、日本書紀は終わる。皇太子というのは、軽皇子。持統から禅譲されて皇位につき、文武天皇となる。
日本書紀は、文武天皇が皇位につくことの正当性を明らかにするために書かれた。
日本書紀の編集を宣言したのは、天武天皇である。天武天皇には、日本書紀を編纂して、自分の支配の正当性を訴える必要があった。なにしろ天智天皇の後継者である大友皇子、おそらく即位していたであろうから弘文天皇と言った方がいいか。そういうことなんだよね。即位していたであろうから、その天皇を滅ぼして、大海人皇子は皇位を手にするわけだ。
だからこそ、自分の正当性を訴える必要があった。自分が皇位につくのが本来の姿であることを主張するためだ。弘文天皇の父、天智天皇こそが、本来、自分が就くべき皇位を簒奪した張本人であることを明らかにするために。天智天皇、中大兄皇子こそが、反改革勢力を利用して蘇我入鹿を暗殺し、蘇我本宗家を葬り去って、蘇我本宗家の力を背景に時期天皇位を約束された漢皇子から、その位を簒奪した。そのことを歴史に残すために。そして、その漢皇子こそ、中大兄皇子の“兄”、大海人皇子ということであれば彼は訴えないではいられない。
それでは、文武天皇の即位の正当性には、何がしかの問題があったのか。もちろん、ある。文武に天皇位を禅譲した持統は、蘇我入鹿を暗殺して漢皇子から天皇位を簒奪した中大兄皇子の娘だからだ。その地位を支えている藤原不比等は、中大兄皇子を欲で引き回して操った中臣鎌足の息子だからだ。
持統天皇は、夫である天武の意思を継承しているかのように考えられている。そう考える人々は、この政権を「天武・持統朝」と呼ぶとこの本の中に書かれているが、たしかにそうだよね。ごく自然の流れで古代史に触れていくと、そのように受け止めてしまうように流れが作られている。でも、違う。
《持統・不比等》政権というのは、白村江の戦いと壬申の乱の敗戦で、完全に政治の世界から消滅したはずの《天智・鎌足》政権の再来だからだ。かつて私利私欲のために、日本を滅亡の淵に立たせた《天智・鎌足》政権が、天武天皇系の顔を持たままで復活したのだ。
彼らは私利私欲のために、天武亡き後、天皇となる立場にあっただろう大津皇子を抹殺した。持統時代に、最大の実力者となっていた高市皇子も、おそらく彼らが死に至らしめた。
その事実を、歴史のひだの中に、完全に封じ込まなければならない。隠すだけではない。女帝の地位について、孫に支配を受け継がせるのは、天照大神が地上界の支配を孫のニニギノミコトに任せた姿そのものだ。神々の姿に自分を似せたのではない。自分が孫に政権を受け継がせる姿を、神話にしたのだ。神の行いこそが、自分たちの行為の焼き直しなのだ。
天照は伊勢神宮に祀られているわけだが、あれは、持統・文武の継承を焼き直した神話の神を、無理やり当てはめたものだ。伊勢神宮に祀られた本当の神は、実は男だ。
・・・このあたりの話、ワクワクする。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
日本書紀は天武の意志により編纂が始められるが、記述は天武の時代で終わらない。さらに続く。この行き着く先に、日本書紀が書かれた本来の目的が存在することになる。つまり、この段階でわかっていることは、日本書紀は、天武政権の正当性を主張するために書かれたものではないということだ。
では、日本書紀の最後に語られているのは何か。持統が、その在位の最後に、天皇の位を皇太子に禅譲する。そして、日本書紀は終わる。皇太子というのは、軽皇子。持統から禅譲されて皇位につき、文武天皇となる。
日本書紀は、文武天皇が皇位につくことの正当性を明らかにするために書かれた。
日本書紀の編集を宣言したのは、天武天皇である。天武天皇には、日本書紀を編纂して、自分の支配の正当性を訴える必要があった。なにしろ天智天皇の後継者である大友皇子、おそらく即位していたであろうから弘文天皇と言った方がいいか。そういうことなんだよね。即位していたであろうから、その天皇を滅ぼして、大海人皇子は皇位を手にするわけだ。
だからこそ、自分の正当性を訴える必要があった。自分が皇位につくのが本来の姿であることを主張するためだ。弘文天皇の父、天智天皇こそが、本来、自分が就くべき皇位を簒奪した張本人であることを明らかにするために。天智天皇、中大兄皇子こそが、反改革勢力を利用して蘇我入鹿を暗殺し、蘇我本宗家を葬り去って、蘇我本宗家の力を背景に時期天皇位を約束された漢皇子から、その位を簒奪した。そのことを歴史に残すために。そして、その漢皇子こそ、中大兄皇子の“兄”、大海人皇子ということであれば彼は訴えないではいられない。
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持統天皇は、夫である天武の意思を継承しているかのように考えられている。そう考える人々は、この政権を「天武・持統朝」と呼ぶとこの本の中に書かれているが、たしかにそうだよね。ごく自然の流れで古代史に触れていくと、そのように受け止めてしまうように流れが作られている。でも、違う。
《持統・不比等》政権というのは、白村江の戦いと壬申の乱の敗戦で、完全に政治の世界から消滅したはずの《天智・鎌足》政権の再来だからだ。かつて私利私欲のために、日本を滅亡の淵に立たせた《天智・鎌足》政権が、天武天皇系の顔を持たままで復活したのだ。
彼らは私利私欲のために、天武亡き後、天皇となる立場にあっただろう大津皇子を抹殺した。持統時代に、最大の実力者となっていた高市皇子も、おそらく彼らが死に至らしめた。
その事実を、歴史のひだの中に、完全に封じ込まなければならない。隠すだけではない。女帝の地位について、孫に支配を受け継がせるのは、天照大神が地上界の支配を孫のニニギノミコトに任せた姿そのものだ。神々の姿に自分を似せたのではない。自分が孫に政権を受け継がせる姿を、神話にしたのだ。神の行いこそが、自分たちの行為の焼き直しなのだ。
天照は伊勢神宮に祀られているわけだが、あれは、持統・文武の継承を焼き直した神話の神を、無理やり当てはめたものだ。伊勢神宮に祀られた本当の神は、実は男だ。
・・・このあたりの話、ワクワクする。


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