『世界のへんな肉』 白石あづさ
二児の母となった娘の生きる領域は、十二分に良識の範囲内であった。そんな娘に対しても、かつて私は、「一体何を考えているのか」と疑いを持った。「ちょっと、インドに行ってくる」とか、「職人になるので弟子入りする」とか・・・。しかし、その程度の行動なら、「私の血を引いているから」という一点だけで説明できる。明らかに、著者とは違う。
全編を通して予測不能の行動に、なかなか自分との接点を見つけられなかった。後半に至って、ようやく、少しだけ、「著者を捕まえられるかもしれない」と感じた部分があった。著者がかつて、北アルプスの山小屋でアルバイトをしていた時、「雷鳥を捕まえて食おう」と仲間たちとはしゃいだという部分だ。
結局、著者はその希望をスウェーデンで果たすことになるのだが、私事ながら、若かりし日に山小屋に入り浸っていたことがあり、そこに著者のようなとらえどころのない女性がいた。けっこうな美人さんだったので、最初はウキウキした気分でその姿を追ったのだが・・・。
発電機が故障して、しばらく風呂も入れない生活にも顔色一つ変えず、食には人一倍の好奇心を持ち、男を男とも思わず、小屋の親父の無理難題もそれなりにこなす。制御装置のネジが三つ四つ緩んでいて、とても私なぞが太刀打ちできる女性ではなかった。なにしろ、ある日、腐った肉を食った私は腹を下し、彼女は平然としていた。
著者もおそらくそうだ。まあ、いい。しょせん器が違う。推し量ろうとせず、受け入れることに専念しよう。


インド人のおっさんたちとともに牛を食い、イラン人の少女の勧めに従って羊の脳髄をすすり、スーダンのお父さんには、ラクダを結納金代わりに贈られそうになる。いったい何をやっているのか。そのうち、ふと気づく。どこに行っても、そこの食い物を食える奴は強い。第一、間違いなく喜ばれる。この娘は、喜ばれ上手なのだ。
ケニアのサバンナで観光用のジープに乗り込んだ彼女は、サバンナの天使インパラに近づく。しかも、近くの茂みに隠れていたチーターが観光客の前で、インパラを追いかけ始める。「いや~、逃げて~」と、彼女はいきなりインパラに感情移入。
ところが、同じジープの中から、違う意味で興奮した声が湧きおこる。「ひゃっほー、いけー、いけー❢」と、完全にチーターに感情移入するフランス人の一団。その間、わずか10秒、逃げ遅れたインパラのお尻にがぶりとかみつくチーター。「やったー❢」という歓声を上げるフランス人。
やはり、これは肉食民族と草食民族の違いなのか。著者は、ここで、もう一つの面白い体験談を披露している。イタリアで、人を襲うゾンビの映画を見ていたら、まわりの観客は、人間じゃなく、ゾンビに感情移入しているというのだ。
「そりゃあ、言い過ぎやで。そんなわけあるかい。お前、腕上げたやないかい」という、大木こだまのセリフが聞こえてきそうな話。
ちなみに、この後、彼女はおいしくインパラのお肉をいただいたというおちがつく。
いや、おもしろい。この本おもしろい。おもしろい上に、ちゃんと、“食”を通して、世界の様子を紹介している。いろいろな肉を食って生きている人間が、いろいろな生活をしてるってことを紹介している。
私のような、つまらない常識人は、「文化人類学的な価値がある」などと、取ってつけたような褒め言葉で、この本を理解したような事を言うのだ。でも違う。著者は、この小娘は、本当に、いろいろな世界の、動物の肉が食いたいだけなのだ。そのための小遣い稼ぎ。おそらく、それがこの本なのだ。
どうだ、買ったぞ。おもしろかったぞ。もっと、おもしろい話を聞かせてくれ。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
全編を通して予測不能の行動に、なかなか自分との接点を見つけられなかった。後半に至って、ようやく、少しだけ、「著者を捕まえられるかもしれない」と感じた部分があった。著者がかつて、北アルプスの山小屋でアルバイトをしていた時、「雷鳥を捕まえて食おう」と仲間たちとはしゃいだという部分だ。
結局、著者はその希望をスウェーデンで果たすことになるのだが、私事ながら、若かりし日に山小屋に入り浸っていたことがあり、そこに著者のようなとらえどころのない女性がいた。けっこうな美人さんだったので、最初はウキウキした気分でその姿を追ったのだが・・・。
発電機が故障して、しばらく風呂も入れない生活にも顔色一つ変えず、食には人一倍の好奇心を持ち、男を男とも思わず、小屋の親父の無理難題もそれなりにこなす。制御装置のネジが三つ四つ緩んでいて、とても私なぞが太刀打ちできる女性ではなかった。なにしろ、ある日、腐った肉を食った私は腹を下し、彼女は平然としていた。
著者もおそらくそうだ。まあ、いい。しょせん器が違う。推し量ろうとせず、受け入れることに専念しよう。
『世界のへんな肉』 白石あづさ 新潮社 ¥ 1,296 “かわいい”と思っていたレストランのメニューに・・・、もしかしたら、すごくおいしいのかも |
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インド人のおっさんたちとともに牛を食い、イラン人の少女の勧めに従って羊の脳髄をすすり、スーダンのお父さんには、ラクダを結納金代わりに贈られそうになる。いったい何をやっているのか。そのうち、ふと気づく。どこに行っても、そこの食い物を食える奴は強い。第一、間違いなく喜ばれる。この娘は、喜ばれ上手なのだ。
ケニアのサバンナで観光用のジープに乗り込んだ彼女は、サバンナの天使インパラに近づく。しかも、近くの茂みに隠れていたチーターが観光客の前で、インパラを追いかけ始める。「いや~、逃げて~」と、彼女はいきなりインパラに感情移入。
ところが、同じジープの中から、違う意味で興奮した声が湧きおこる。「ひゃっほー、いけー、いけー❢」と、完全にチーターに感情移入するフランス人の一団。その間、わずか10秒、逃げ遅れたインパラのお尻にがぶりとかみつくチーター。「やったー❢」という歓声を上げるフランス人。
やはり、これは肉食民族と草食民族の違いなのか。著者は、ここで、もう一つの面白い体験談を披露している。イタリアで、人を襲うゾンビの映画を見ていたら、まわりの観客は、人間じゃなく、ゾンビに感情移入しているというのだ。
「そりゃあ、言い過ぎやで。そんなわけあるかい。お前、腕上げたやないかい」という、大木こだまのセリフが聞こえてきそうな話。
ちなみに、この後、彼女はおいしくインパラのお肉をいただいたというおちがつく。
いや、おもしろい。この本おもしろい。おもしろい上に、ちゃんと、“食”を通して、世界の様子を紹介している。いろいろな肉を食って生きている人間が、いろいろな生活をしてるってことを紹介している。
私のような、つまらない常識人は、「文化人類学的な価値がある」などと、取ってつけたような褒め言葉で、この本を理解したような事を言うのだ。でも違う。著者は、この小娘は、本当に、いろいろな世界の、動物の肉が食いたいだけなのだ。そのための小遣い稼ぎ。おそらく、それがこの本なのだ。
どうだ、買ったぞ。おもしろかったぞ。もっと、おもしろい話を聞かせてくれ。


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