『日本史の法則』 渡部昇一
もともとの歴史好きだけど、中学校の段階では、すでに《世界史》に傾いていた。決定的なきっかけは、マケドニアのアレクサンダー大王だった気がする。その後、シーザーにも、ナポレオンにも、ネルソンにも熱くなった。
今、中学校の歴史の本を見ると、ほとんど世界史をやってない。私が中学生だったのは40年以上前のことになるが、当時は、世界史の内容がかなり含まれていたように思う。
もちろん主題は日本史の内容だったろうが、日本史になるたびに、内容が瑣末になり、まったく魅力を感じられなかった。小学校の頃、内外問わず、たくさん伝記を読んで、日本史、世界史関係なく好きだったんだけどね。
そのまま青年期を迎え、左翼系の思想にかぶれて、日本史には後ろ足で砂を引っ掛けるような状態で、あえてその価値を貶める方向でしか触れることはなかった。・・・そんな状況が、7、8年も続いたろうか。
わりと律儀な性質で、「日本史は貶めるべきもの」という根拠を探り続けたが、結局そこにたどり着けず、疑問をふくらませるばかりの時間だった。年齢的にも、反発を続けた親世代に対する気持ちが溶解していく時期だったかもしれない。そうなると、もう止めどがなかった。高校3年の頃に心を揺さぶられた羽仁五郎の著作を読み返しても、もはやまったく同意できなかった。「そんなに親や祖父母たちは、愚かなのか?」
だけど、羽仁五郎の意見に逆らう自信もなかった。


私を救ってくれた本の一冊が、この本である。いや、この本ではない。装丁が違った。・・・よく覚えていない。・・・、分かった。この本は平成17年に再販された本で、“まえがき”、“あとがき”に「元本は若かった頃の私の著作で、・・・30年近くたった今も」とある通り、元の本は昭和54(1979)年に刊行された『歴史の読み方』という本だそうだ。・・・題名も違ったんだ。
昭和54(1979)年と言えば、まだまだ、私は向こう側にいた。羽仁五郎の『ミケランヂェロ』にドップリという状態の頃だな。すぐに読んでいれば、私の人生は、また違ったものになっていたかもしれない。・・・今の私は、今の思いに揺るぎないが、おそらく私の場合は、そういった若い頃が必要だったんでしょうね。そういった時間の迷いがあったから、今の地盤を固めてくれているんでしょうね。
《人の言行の背景には宗教がある》
世界史のあらゆる場面に当てはまる原則である。子どもの私が、そんなことを意識していたわけではないんだけど、どこかで感じていたのかもしれない。というのも、小学校の時に読んだ日本史系の伝記のなかでも強く印象に残っているのは、後醍醐天皇なんだよね。戦後の歴史教育ですから、“天皇”色は遠ざけられていたでしょうが、それだけに後醍醐天皇には不思議な魅力を感じた。
山本七平さんで、日本人の言行を左右する“日本教”を知り、前途が一気に開けた。あとは、ひたすら読むだけ。指向が左側に傾いていた頃、こんなにも、自分がいい本を避けて来てしまったことを、一々後悔した。自分のような凡才に、取り戻せるんだろうか。
もちろん、渡部昇一さんの全部を受け入れたわけじゃありません。渡部さんは日本書紀を揺るがぬ基盤に据えるけど、私はそれ以前にも強い興味を持つ。日本書紀が隠したなにがしかの中に、縄文を受け継ぐ良質な日本人の心根を感じ、それを意識することは、現代に日本人に、忘れかけた心の豊かさを取り戻す手助けとなるような気がする。
今はもう、行けるところまで行くことしか考えていない。渡部昇一さんには、もっともっと教えていただきたかった。
あらためて、合掌

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今、中学校の歴史の本を見ると、ほとんど世界史をやってない。私が中学生だったのは40年以上前のことになるが、当時は、世界史の内容がかなり含まれていたように思う。
もちろん主題は日本史の内容だったろうが、日本史になるたびに、内容が瑣末になり、まったく魅力を感じられなかった。小学校の頃、内外問わず、たくさん伝記を読んで、日本史、世界史関係なく好きだったんだけどね。
そのまま青年期を迎え、左翼系の思想にかぶれて、日本史には後ろ足で砂を引っ掛けるような状態で、あえてその価値を貶める方向でしか触れることはなかった。・・・そんな状況が、7、8年も続いたろうか。
わりと律儀な性質で、「日本史は貶めるべきもの」という根拠を探り続けたが、結局そこにたどり着けず、疑問をふくらませるばかりの時間だった。年齢的にも、反発を続けた親世代に対する気持ちが溶解していく時期だったかもしれない。そうなると、もう止めどがなかった。高校3年の頃に心を揺さぶられた羽仁五郎の著作を読み返しても、もはやまったく同意できなかった。「そんなに親や祖父母たちは、愚かなのか?」
だけど、羽仁五郎の意見に逆らう自信もなかった。
『日本史の法則』 渡部昇一 祥伝社 ¥ 1,028 もとは、渡部昇一さんが若い頃に出された本だそうだ。再販された平成17年でも、もちろん今でも、そのまま通用する“日本史の法則”である |
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私を救ってくれた本の一冊が、この本である。いや、この本ではない。装丁が違った。・・・よく覚えていない。・・・、分かった。この本は平成17年に再販された本で、“まえがき”、“あとがき”に「元本は若かった頃の私の著作で、・・・30年近くたった今も」とある通り、元の本は昭和54(1979)年に刊行された『歴史の読み方』という本だそうだ。・・・題名も違ったんだ。
昭和54(1979)年と言えば、まだまだ、私は向こう側にいた。羽仁五郎の『ミケランヂェロ』にドップリという状態の頃だな。すぐに読んでいれば、私の人生は、また違ったものになっていたかもしれない。・・・今の私は、今の思いに揺るぎないが、おそらく私の場合は、そういった若い頃が必要だったんでしょうね。そういった時間の迷いがあったから、今の地盤を固めてくれているんでしょうね。
《人の言行の背景には宗教がある》
世界史のあらゆる場面に当てはまる原則である。子どもの私が、そんなことを意識していたわけではないんだけど、どこかで感じていたのかもしれない。というのも、小学校の時に読んだ日本史系の伝記のなかでも強く印象に残っているのは、後醍醐天皇なんだよね。戦後の歴史教育ですから、“天皇”色は遠ざけられていたでしょうが、それだけに後醍醐天皇には不思議な魅力を感じた。
山本七平さんで、日本人の言行を左右する“日本教”を知り、前途が一気に開けた。あとは、ひたすら読むだけ。指向が左側に傾いていた頃、こんなにも、自分がいい本を避けて来てしまったことを、一々後悔した。自分のような凡才に、取り戻せるんだろうか。
もちろん、渡部昇一さんの全部を受け入れたわけじゃありません。渡部さんは日本書紀を揺るがぬ基盤に据えるけど、私はそれ以前にも強い興味を持つ。日本書紀が隠したなにがしかの中に、縄文を受け継ぐ良質な日本人の心根を感じ、それを意識することは、現代に日本人に、忘れかけた心の豊かさを取り戻す手助けとなるような気がする。
今はもう、行けるところまで行くことしか考えていない。渡部昇一さんには、もっともっと教えていただきたかった。
あらためて、合掌


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