『卑弥呼のサラダ 水戸黄門のラーメン』 加来耕三
NHKの番組に、「サラメシ」というのがある。“サラリーマンの昼飯”の略で、《働く人の昼ごはん》に焦点を当てた番組。ナレーションは中井貴一。おどけた声が、面白い。とても、“雲霧の親方”とは思えない。
人気番組のようで、すでに“第6シリーズ”・・・たぶん・・・に突入。たまたま見たのが第1シリーズの第1回目。それ以来のファンです。
「働く大人は腹が減る」「ランチをのぞけば人生が見えてくる 働く大人の昼ごはん それがサラメシ」っていう番組。人の人生はともかく、私に人生は、確実にランチにあらわれている。今の私の“ランチ”を見れば、誰が半年前まで、痛みをこらえて、足を引きずりながら仕事をしていた私を連想できるだろう。何年にもわたって、どこでも食べられる手軽なおむすびだけのサラメシが続いた。
今は、ご飯をタッパに詰めてきて、おかずはコッヘルを火にかけて、ひと手間かけて食べる。前の晩のおかずに手を加えたり、野菜たっぷりのインスタントラーメンだったり、温めて食べるカレーや牛丼だったり、簡単なことだけだけど、一手間かける。ったく、足が痛くないと、いろいろなことができて、とても嬉しい。


歴史を作るどころではなく、日常に流される、・・・1時間、1分、1秒にまで流される枯れ葉のごとき私でも昼を食う。お昼ごはんは、私の人生をあらわす。ましてそれが坂本龍馬ならどうよ。西郷隆盛なら、徳川慶喜なら、大久保利通ならどうよ。幕末維新を動かした彼らのエネルギーは、なにを食って蓄積されたのか。あの場面ではなにを食ったのか。ああ、暴漢に襲われて、あれを食い損ねたのか。
日本人は、食べることに関して、とても自由。もちろん獣肉の禁忌があった。でも、実は食べている。薬と称して食べている。とてもいいな。どうも、日本人には“原理主義”っていうのが似合わない。
そんな日本人でも朱子学には毒された。家康のせいだな。チャイナや朝鮮ほどではないが、それでもだいぶ痛い目に遭わされた。幕末の、まともな“武士”であれば、多かれ少なかれ尊皇攘夷に走った。“多いか少ないか”によって、早く目が覚めるか、死ぬまで目が覚めないかの別があったが、みんな尊皇攘夷だった。
だって、尊王攘夷こそが朱子学だからね。自分たちこそが正統で、外から入ってきたあいつらは野蛮人で、そんな連中との交流なんて、本来ありえないこと。あってはならないこと。まったく、モンゴル人に圧迫される南宋そのもの。明王朝滅亡後の“小中華”こと李氏朝鮮そのもの。
その朱子学を、徳川家康は官学とした。だから、真っ当な武士階級なら、武士と同等の教育を受けていれば、誰だって尊皇攘夷で当たり前。まったく、その“原理主義”の力は強い。
その原理主義の力を悪賢く利用した連中がいる。幕府方だからどう、新政府方だからどうというのではない。一部に、あえて悪賢くそれを利用して利を得た奴らがいる。その成功体験は、維新後の日本に歪みを残した。その歪みは、敗戦に向かう日本の歴史に影響を与えた。
だから、“原理主義者”は強いようで脆い。たやすく利用される。だから、禁忌にこだわるのはよろしくない。
そんなわけで、私はなんでも食う。あの人も、肉を食った。だけど、あの人は食わなかった。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
人気番組のようで、すでに“第6シリーズ”・・・たぶん・・・に突入。たまたま見たのが第1シリーズの第1回目。それ以来のファンです。
「働く大人は腹が減る」「ランチをのぞけば人生が見えてくる 働く大人の昼ごはん それがサラメシ」っていう番組。人の人生はともかく、私に人生は、確実にランチにあらわれている。今の私の“ランチ”を見れば、誰が半年前まで、痛みをこらえて、足を引きずりながら仕事をしていた私を連想できるだろう。何年にもわたって、どこでも食べられる手軽なおむすびだけのサラメシが続いた。
今は、ご飯をタッパに詰めてきて、おかずはコッヘルを火にかけて、ひと手間かけて食べる。前の晩のおかずに手を加えたり、野菜たっぷりのインスタントラーメンだったり、温めて食べるカレーや牛丼だったり、簡単なことだけだけど、一手間かける。ったく、足が痛くないと、いろいろなことができて、とても嬉しい。
『卑弥呼のサラダ 水戸黄門のラーメン』 加来耕三 ポプラ新書 ¥ 842 歴史をつくったあの人は、その時なにを食べていた? 「食」から読み解く日本史 |
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歴史を作るどころではなく、日常に流される、・・・1時間、1分、1秒にまで流される枯れ葉のごとき私でも昼を食う。お昼ごはんは、私の人生をあらわす。ましてそれが坂本龍馬ならどうよ。西郷隆盛なら、徳川慶喜なら、大久保利通ならどうよ。幕末維新を動かした彼らのエネルギーは、なにを食って蓄積されたのか。あの場面ではなにを食ったのか。ああ、暴漢に襲われて、あれを食い損ねたのか。
日本人は、食べることに関して、とても自由。もちろん獣肉の禁忌があった。でも、実は食べている。薬と称して食べている。とてもいいな。どうも、日本人には“原理主義”っていうのが似合わない。
そんな日本人でも朱子学には毒された。家康のせいだな。チャイナや朝鮮ほどではないが、それでもだいぶ痛い目に遭わされた。幕末の、まともな“武士”であれば、多かれ少なかれ尊皇攘夷に走った。“多いか少ないか”によって、早く目が覚めるか、死ぬまで目が覚めないかの別があったが、みんな尊皇攘夷だった。
だって、尊王攘夷こそが朱子学だからね。自分たちこそが正統で、外から入ってきたあいつらは野蛮人で、そんな連中との交流なんて、本来ありえないこと。あってはならないこと。まったく、モンゴル人に圧迫される南宋そのもの。明王朝滅亡後の“小中華”こと李氏朝鮮そのもの。
その朱子学を、徳川家康は官学とした。だから、真っ当な武士階級なら、武士と同等の教育を受けていれば、誰だって尊皇攘夷で当たり前。まったく、その“原理主義”の力は強い。
その原理主義の力を悪賢く利用した連中がいる。幕府方だからどう、新政府方だからどうというのではない。一部に、あえて悪賢くそれを利用して利を得た奴らがいる。その成功体験は、維新後の日本に歪みを残した。その歪みは、敗戦に向かう日本の歴史に影響を与えた。
だから、“原理主義者”は強いようで脆い。たやすく利用される。だから、禁忌にこだわるのはよろしくない。
そんなわけで、私はなんでも食う。あの人も、肉を食った。だけど、あの人は食わなかった。


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