めんどくせぇことばかり 必要のない戦争『戦争を始めるのは誰か 歴史修正主義の真実』 渡辺惣樹

必要のない戦争『戦争を始めるのは誰か 歴史修正主義の真実』 渡辺惣樹

1932年、アメリカ大統領選におけるフランクリン・D・ルーズベルトのフーバー政権批判。フーバー大統領はこのころ、恐る恐るケインズ的経済運営を取り始めていた。 以下は、そんなフーバーに対する、ルーズベルトからの批判である。
  • 「国家予算を最低でも25パーセント削減する」
  • 政府支出を漸増させていたフーバー政権を「平和時における史上最悪の無駄遣い政権」
  • 「どれほどうまく取り繕っても隠すことはできない。財政赤字を止め、借金を止める勇気。今こそそれが必要な時である」

恐慌初期の段階で、もっと大胆にケインズ的経済運営を打ち出すことができれば効果があったかもしれない。しかし、当時それは、社会主義的計画経済との妥協であり、共産主義という危険思想とセットになったものであった。それだけに、フーバーの施策も中途半端なものにならざるをえなかった。

ルーズベルトは当選後、選挙公約を裏切ってケインズ的経済運営手法を積極的に導入した。しかし結局、国家財政を火の車にしたに過ぎなかった。具体的には、1933年6月に全国産業復興法を成立させ、最低賃金を設定し、民間分野での独占や価格操作を容認するとともに、公共事業局を設立し、公共事業を積極的に推し進めた。ニューディーラーと呼ばれるブレーンたちの震源で、おそらく彼らこそが、こみんてるんのえーじぇんとだっt

結局、ちょっとした公共投資への財政出動くらいでは恐慌を乗り越えることはできなかったのだ。そして、アメリカの、建国以来の経験は、それを乗り越えることができるのは、戦争以外にないことを、おそらくルーズベルトは知っており、ある段階から、急激に国政の舵を、そちらに切った。

FDRが政権を担当して以降の失業率
1933年―24.9% 1934年-21.7% 1935年―20.1%   1936年―16.9% 
1937年―14.3% 1938年―10.0%    1939年―17.2% 1940年―14.6%
  • 1936年は復員兵へのボーナス支払いがあり、その支出が消費を刺激した
  • 社会保障のための所得税導入で、購買力低下
  • 1939年以降は戦争景気.


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チャーチルとルーズベルトがいなければ、第二次世界大戦は起こらなかった
第一章  第一次世界大戦の真実
第二章  第一次世界大戦後の歴史解釈に勝利した歴史修正主義
第三章  ドイツ再建とアメリカ国際法務事務所の台頭
第四章  ルーズベルト政権の誕生と対ソ宥和外交の始まり
第五章  イギリスの思惑とヒトラー
第六章  ヒトラーの攻勢とルーズベルト、チェンバレン、そしてチャーチル
第七章  ヒトラーのギャンブル

1938年、オーストリア併合について、歴史家マーク・ウェバーは、以下のように述べている。
1938年3月、ドイツに併合されたオーストリアの経済発展は目覚ましかった。官僚たちは社会の賃貸を一掃し、瀕死の経済を再活性化させた。投資、工業生産、住宅建設が活発化し、消費も増大した。観光旅行を楽しむものも増え、生活水準はたちまち上がった。1938年6月から12月の間に工業労働者の賃金は9%上昇した。国家社会主義政権の下では失業者も激減した。アメリカの歴史家バー・バクリーは、近年の歴史上でも驚くべき経済回復を見せたと書いている。1937年の失業率は21.7%もあったが、1939年にはわずか3.2%にまで低下したのである。


ジョゼフ・グルーからヘンリー・スチムソン国務長官(フーバー政権)への書簡(1933年2月24日)
中国に対する不信と疑念、世界的不況による経済の破綻と社会の混乱。中国の日本製品ボイコット運動。中国は外国からの借款を使い、日本の鉄道(南満州鉄道)経営を妨害する新線を運営する。中国は約束事は守らない。そうした行動の陰にはソビエトの工作が見え隠れしている。ロシアは再び大国のパワーを見せ始めている。

中国はワシントン会議(1922)の約束は守らず、調印された海軍軍縮条約では、日本への配慮に欠けていた。それが原因で、1931年の事件(柳条湖事件)では日本は単独で行動した。1931年9月の日本の満州での動きを受けて中国は国際連盟に提訴した。日本の動きは侵略行為だと主張し是正を要求した。中国は、ワシントン会議の約束事が破られたなどと言える立場にはない。彼らはここで決めたれた義務を果たしていない。連盟に訴える彼らの手は汚れていた。

のちに、ヨーロッパではドイツを、アジアでは日本を追い詰めていくことで、ルーズベルトは戦争の機会を手に入れることになる。しかし、ソ連という共産主義の脅威の前に、本来、ドイツと日本は世界に貢献できる立場にあった。また、ソ連の脅威を前に、ヨーロッパが抱えていた問題はベルサイユ大勢の不均衡であり、早急に解決されるべき問題であった。

第二次世界大戦の直接の引き金になったダンツィヒは36万のドイツ人が住んでおり、当地の95%を占めていた。ポーランド回廊にも150万のドイツ人が生活していた。ポーランドが1918年に独立できたのは、ドイツとロシアがともに敗れたからである。それが1939年になって、ドイツかロシア、いずれかと提携しなければならない状況が生まれた。

ダンツィヒだけがドイツとの提携の障害であった。ヒトラーはその障害を取り除こうとした。ダンツィヒ返還後もポーランドが同市の経済的支配を続けてかまわない。さらには、チェコスロバキアからの独立を望むスロバキアを、ポーランド領に組み込んでかまわないと発表していた。1939年1月5日のことである。ポーランドのヨゼフ・ベック外相は、障害をそのまま残す選択をした。その判断がポーランドを死に導くことにつながった。この間、常にルーズベルトは、ドイツに対して妥協しないようポーランドに働きかけていた。

ハミルトン・フィッシュは以下のように言う。

ヨゼフ・ピウスツキ元帥は歴史上でもっとも傑出した政治家であり国民的英雄であった。ポーランドが危機にある時はすでに亡くなっていた(1935)。もし彼が存命であれば、ダンツィヒを交換条件にしたポーランド独立の保証をドイツから取り付けていたに違いない。もちろんピウスツキがナチスドイツに肩入れしていたなどと言うつもりはない。彼はソビエトロシアの本質をよくわかっていた。共産主義を嫌っていた。その彼が世を去っていたことはポーランド国民にとっては不幸なことだった。ピウスツキは優れた軍人であり、ヒトラーでさえ一目置いただろうと思える人物だった。


私はポーランドから逃れてきた多くの人々の話を聞いた。みな口をそろえて私と同じことを言っていた。ピウスツキが生きていたらダンツィヒ問題は平和的に解決されていたはずだと嘆いていた。そうなっていれば、ポーランド侵攻もなく、大戦もなく、共産主義者によって1万2000ものポーランド士官が虐殺されるカチンの森虐殺事件もなかった。戦後、ポーランドが共産化することもなかった。


・・・ああ、第二次世帯大戦というのは、必要のない戦争だったのか。



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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
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