『習近平の中国』 林望
産経ニュース 2017/07/08 「ウルムチから1万人消えた」「拘束ウイグル人を返せ」 在日ウイグル、チベット、モンゴル人らが中国大使館に抗議デモ (全文) 日本ウイグル連盟のトゥール・ムハメット会長(53)らが8日、2009年7月、中国の新疆ウイグル自治区のウルムチでデモ隊が虐殺された2009年ウイグル騒乱(ウルムチ事件)に抗議するデモを行い、中国大使館前で「ウイグル人への虐殺をやめろ」などと訴えた。 (続きを読む)に全文 |
今の中国共産党の支配するシナを、できるだけ偏見を交えずに読むものに伝えようとする、“ある意味”の誠実さは感じる。
薄煕来が重慶で、開放改革で置き去りにされた多くの人たちの不満を、毛沢東の“文革”路線にまとめ上げて、北京に存在感を示した頃。著者は重慶に乗り込んで、「イデオロギー色を抑えた方がいい」と発言して会場を凍りつかせたそうだ。
他にも、同様の経験があったことが、この本の中でも紹介されている。それはそれで、勇敢なことだったに違いないが、彼は朝日新聞の《中国総局員》であったわけで、それが最近流行りの“レッドライン”を超えるのかどうか、見極めがなかったはずがない。
『習近平の中国』 林望 岩波新書 ¥ 886 五年に一度の党大会を前に、その一強体制を盤石にしたように見える習近平指導部 |
|
著者は、いい人なのだろう。現在の、中国共産党の支配するシナを理解する上で、たいへんいい勉強をさせてもらった。だけど、若い柔軟な頭を持った人は、この本を読まないほうがいいな。
中国が歴史的に見て偉大な文明大国であり、多くの文化や価値観を生み出してきたのは間違いない。王岐山はフランシス・フクヤマらとの会談で、「中国文化の中には優秀なDNAがある」と述べ、その歴史と伝統への自負を語った。しかし、中国文明の遺伝子は、さまざまな文化や遺伝子が混じりあい、諸子百家と言われた思想家たちがそれぞれの思想を競ったような社会の多様性と寛容さの中で育まれたのではないか。国境を越えて人々を受け入れるソフトパワーを生むのは、人々の声や考えを押さえつけ、同じ方向を向かせようとする政治の力ではあるまい。人民元以外のどんな価値を世界に示していくのか。台湾や香港、そして少数民族の人々の抗議は、中国が今後向き合う重い課題を映し出しているように思える。 本書p212 |
それに、この文章、シナのことを言ってない。中国共産党にかこつけて、本当に非難しているのは“安倍政権”でしょ。
そんな他愛ない相対化をしたがために、中国共産党の“巨悪”まで矮小化してしまっている。・・・うっ、そう思えば、実に巧妙だ。中国共産党にかこつけて、安倍政権に斬りつけるとともに、中国共産党に対するきわめて優秀な弁護人の役割を果たしている。
やはり、読んでよかった。


産経ニュース 2017/07/08 「ウルムチから1万人消えた」「拘束ウイグル人を返せ」 在日ウイグル、チベット、モンゴル人らが中国大使館に抗議デモ (全文) 日本ウイグル連盟のトゥール・ムハメット会長(53)らが8日、2009年7月、中国の新疆ウイグル自治区のウルムチでデモ隊が虐殺された2009年ウイグル騒乱(ウルムチ事件)に抗議するデモを行い、中国大使館前で「ウイグル人への虐殺をやめろ」などと訴えた。 東京・六本木の三河台公園に集まった約60人のデモ隊が中国大使館に向けスタート、六本木の人々に連帯を訴えた。途中、「ウイグルに自由を」「中国はウイグル人への虐殺をやめろ」などとシュプレヒコールを上げて行進した。行進には、中国に弾圧されているチベットや南モンゴルの在日外国人も加わった。 南モンゴルクリルタイ(世界南モンゴル会議)幹事長のオルホノド・ダイチンさん(50)は「我々モンゴル人も中国共産党の弾圧、虐殺を受けてきました。これはただの人権問題ではなく、民族差別なのです。こうした中国共産党と仲良くしようとする国、企業を批判していく」と述べた。 トゥール・ムハメットさんは「2009年7月5日から6日未明、ウルムチで中国当局は平和的なデモを行った3千人くらいの学生と1万人の支援者を拘束した。ウルムチの街から1万人が突如、消えたのです。これは東トルキスタンを中国が占領してからの68年間で最も大規模な虐殺、弾圧です。無念の中、亡くなった人たちを代弁し、日本の皆様とともに世界に中国の蛮行を訴えたい」などと訴えた。 中国大使館前でトゥールさんらは「今すぐ投獄したウイグル人を釈放しなさい」などと声を上げた。 ラビア・カーディル氏 1947年、今の中国新疆ウイグル自治区のアルタイ市で生まれたウイグル族の女性。不動産業で成功を収めたが、1996年、漢族によるウイグル人弾圧を非難する演説をするなどし、1999年にはアメリカ議会関係者と接触しようとしたとして、政治犯として6年間投獄された。息子2人は今も獄中にある。2005年、釈放され米国に亡命した。 |