ジップンチェンシン『世界を感動させた日本精神』 黄文雄
《ジップンチェンシン》って、なんだか分かりますか。
台湾で使われている言葉で、漢字で表せば、《日本精神》だそうです。“日本時代”に日本人が台湾残したもので、年配の台湾人の方からよく聞かれる言葉だそうです。
日本人が追い出されて、国民党軍が進駐することによって始まった台湾の戦後。「犬が去って豚が来る」と表現されたこのできごと。「アメリカは日本に二発の原爆を落としただけだったが、台湾には蒋介石を投下した」という言い方もあるそうです。なにしろ、国民党軍が起こした二・二八事件と白色テロの時代が数十年間続くわけですからね。比べるべきものでもないけど、台湾人にしてみれば、“二発の原爆よりも強烈”とまで言いたいわけですよね。
なにしろ、その前もあとも、そこには台湾人がいたわけで、彼らはその前もあとも、よく知っているわけだ。そして、あとから入ってきた国民党軍の兵隊たちの様子を《支那人根性》とあらわし、去っていった日本人の様子を《日本精神》という言葉で表したわけだな。
そこに自然に付加されているイメージは、前者が、無法・違法・私腹を肥やす・台湾人に難癖・集団汚職・不正・賄賂といったものであり、後者が、勇気・勤勉・誠実・奉公・法治・伝統的美徳といったものでした。


《日本精神》という言葉に、自然と付加されているイメージは、台湾人にしてみれば、“武士道”という言葉に集約されるもののようです。だけど、武士道ってのも難しいですよね。イメージだけで使ってる分には、まあ、そんなに当たり障りがあるわけではないんだけど、その中にある日本人らしさを厳密に捉えなおそうとすると、非常に難しい。
“道”ってのが、好きなんだなあ。・・・日本人はさ。自分の目の前にある“そのこと”に、懸命に精進すること。懸命に精進することの、その先になにがあるのか。基本通りに言うならば、解脱でしょ。
鈴木正三という、武士出身のお坊さんが、百姓から、「自分立場畑に追われて仏道に励む暇もない」と嘆かれ、「炎天下、ひとえに畑に励むことそれ自体が仏道」と諭したとか。
そこから、精進の対象は無限に広がった。柔道・剣道・弓道・華道・茶道・相撲道・野球道。武士道も、その中の道にすぎない。“そのこと”に懸命に励むことを“ひたすら”と言いかえれば、“ひたすら”の道。仏道とは言っても、それはあまりにも日本的な心のあり方に通じる。
“明き心”とか、“正直”とか、“誠”とか、“真”とか、“美”とかいった、仏教以前の、大自然を前にして、何者にも恥じない心のあり方ですよね。
だから、「これでいい」ってところがないんだ。生きていれば、常に精進を続けなければいけないし、プラス・マイナス差し引きしてプラスになればいいってもんでもない。ただひとつの“卑怯”を“恥”と刻んで、自分を戒め続ける必要がある。しかも、人はだれでも、そんな“恥”の一つや二つ、三つ四つ五つ六つ・・・、持ってるもんだから、どうにもならない。
へりくだった生き方は、人に対してじゃない。そんな自分が見ているからね。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
台湾で使われている言葉で、漢字で表せば、《日本精神》だそうです。“日本時代”に日本人が台湾残したもので、年配の台湾人の方からよく聞かれる言葉だそうです。
日本人が追い出されて、国民党軍が進駐することによって始まった台湾の戦後。「犬が去って豚が来る」と表現されたこのできごと。「アメリカは日本に二発の原爆を落としただけだったが、台湾には蒋介石を投下した」という言い方もあるそうです。なにしろ、国民党軍が起こした二・二八事件と白色テロの時代が数十年間続くわけですからね。比べるべきものでもないけど、台湾人にしてみれば、“二発の原爆よりも強烈”とまで言いたいわけですよね。
なにしろ、その前もあとも、そこには台湾人がいたわけで、彼らはその前もあとも、よく知っているわけだ。そして、あとから入ってきた国民党軍の兵隊たちの様子を《支那人根性》とあらわし、去っていった日本人の様子を《日本精神》という言葉で表したわけだな。
そこに自然に付加されているイメージは、前者が、無法・違法・私腹を肥やす・台湾人に難癖・集団汚職・不正・賄賂といったものであり、後者が、勇気・勤勉・誠実・奉公・法治・伝統的美徳といったものでした。
『世界を感動させた日本精神』 黄文雄 ビジネス社 ¥ 1,620 日本が好かれ、中韓が嫌われるには理由がある 台湾人だからわかる 本当は幸福な日本人 |
《日本精神》という言葉に、自然と付加されているイメージは、台湾人にしてみれば、“武士道”という言葉に集約されるもののようです。だけど、武士道ってのも難しいですよね。イメージだけで使ってる分には、まあ、そんなに当たり障りがあるわけではないんだけど、その中にある日本人らしさを厳密に捉えなおそうとすると、非常に難しい。
“道”ってのが、好きなんだなあ。・・・日本人はさ。自分の目の前にある“そのこと”に、懸命に精進すること。懸命に精進することの、その先になにがあるのか。基本通りに言うならば、解脱でしょ。
鈴木正三という、武士出身のお坊さんが、百姓から、「自分立場畑に追われて仏道に励む暇もない」と嘆かれ、「炎天下、ひとえに畑に励むことそれ自体が仏道」と諭したとか。
そこから、精進の対象は無限に広がった。柔道・剣道・弓道・華道・茶道・相撲道・野球道。武士道も、その中の道にすぎない。“そのこと”に懸命に励むことを“ひたすら”と言いかえれば、“ひたすら”の道。仏道とは言っても、それはあまりにも日本的な心のあり方に通じる。
“明き心”とか、“正直”とか、“誠”とか、“真”とか、“美”とかいった、仏教以前の、大自然を前にして、何者にも恥じない心のあり方ですよね。
だから、「これでいい」ってところがないんだ。生きていれば、常に精進を続けなければいけないし、プラス・マイナス差し引きしてプラスになればいいってもんでもない。ただひとつの“卑怯”を“恥”と刻んで、自分を戒め続ける必要がある。しかも、人はだれでも、そんな“恥”の一つや二つ、三つ四つ五つ六つ・・・、持ってるもんだから、どうにもならない。
へりくだった生き方は、人に対してじゃない。そんな自分が見ているからね。


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