魔羅『さすらいの仏教語』 玄侑宗久
梵語の“マーラ”は「善法を妨げ、修行を阻むもの」のことで、それに漢字を当てたのが魔羅となる。自分の内側から生じるものが内魔、外からやってくるのが外魔。内から生じる内魔の代表的なものが性欲で、親鸞聖人もそれに打ち勝つことはできなかった。性欲の強さは人によりけり。親鸞上人もよほどの内魔を抱えていたらしい。おそらく私もダメだ。
そんなことはともかく、その性欲の象徴としての男性器を魔羅とよんだわけだ。もちろん、もともとはお坊さんたちの言葉。・・・というよりも、隠語。その隠語がいつの間にか外に出ちゃったわけだな。
“シャリ”と言えば、お寿司屋さんのご飯のことですよね。これもお坊さんたちの隠語から生まれた言葉で、漢字で書けば舎利で、お釈迦様の骨のこと。各地に分け与えるために細分化されて、「ご飯粒みたい」ってことらしい。
“踊り子”っていうのは何でしょう。なんか、エッチな隠語を期待しているかもしれませんが、これは飲食の禁忌から生まれた言葉のようです。よく跳ねるから、“ドジョウ”をそう呼んでいた。
“御所車”は、中に貴い方が居るという発想から、“たまご”のこと。
お坊さんには戒律があるからね。やっちゃいけないことね。お坊さんにとってこれは、本来は絶対的なこと。だから、口にだすこともはばかられた。でも、ときとともに、それから人によりけりで、だいぶルーズになった面もあった。それでも表面だけは繕った。だから、隠語を使った。
親鸞聖人じゃないけど女犯は本来重罪。でも、江戸時代になると、だいぶ緩まってたらしい。檀家の方でもそれを承知で、見て見ぬふりだったみたい。ただ、お坊さんが“女房”だとか、“妻”だとかはまずいので、隠し妻のことは“大黒”と呼んでいたらしい。有名なところでは、“酒”は“般若湯”ですよね。般若は智慧のことだから、「智慧のわくお湯」とは味のある命名ですね。


だけど、さっき行った戒律の中でも女犯は重大な罪となる。ここで話に出すのは、歴史的にも評判の宜しくない道鏡のことなんだけど、よく、称徳天皇と男女の関係にあって、その巨根を持って称徳天皇をとりこにしたとか言われる。だけど、これはないと思う。
お坊さんになるということは、本来の意味で言えば、それまでの生を改めること。それまでの生をやめて、違う生を生き直すこと。そのために与えられる戒めが戒律。真剣に出家した者で、それこそ通常の精神であれば、戒律を破るということは生をやめることを意味する。後の、緩くなった時代とは違う。
“道鏡に崩御崩御と称徳言い”とか、“道鏡に根まで入れろと詔”とか。
でも、そんなことは、おそらくなかった。称徳天皇が道鏡に位を譲ろうとしたというのは、藤原氏にがんじがらめにされた皇室のあり方に絶望してのことだったろう。だったら尊敬に値する道鏡に位を譲り、御仏の精神を政治に活かし、仏国土を実現してもらいたいと考えたのだろう。“崩御崩御”だの、“根まで入れろ”とかは江戸時代のものでしょうけど、それにつながる罵詈雑言は、藤原氏の情報操作によるものでしょうね。
私も連れ合いに、“崩御崩御”と言わせてみたいところだけどね。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
そんなことはともかく、その性欲の象徴としての男性器を魔羅とよんだわけだ。もちろん、もともとはお坊さんたちの言葉。・・・というよりも、隠語。その隠語がいつの間にか外に出ちゃったわけだな。
“シャリ”と言えば、お寿司屋さんのご飯のことですよね。これもお坊さんたちの隠語から生まれた言葉で、漢字で書けば舎利で、お釈迦様の骨のこと。各地に分け与えるために細分化されて、「ご飯粒みたい」ってことらしい。
“踊り子”っていうのは何でしょう。なんか、エッチな隠語を期待しているかもしれませんが、これは飲食の禁忌から生まれた言葉のようです。よく跳ねるから、“ドジョウ”をそう呼んでいた。
“御所車”は、中に貴い方が居るという発想から、“たまご”のこと。
お坊さんには戒律があるからね。やっちゃいけないことね。お坊さんにとってこれは、本来は絶対的なこと。だから、口にだすこともはばかられた。でも、ときとともに、それから人によりけりで、だいぶルーズになった面もあった。それでも表面だけは繕った。だから、隠語を使った。
親鸞聖人じゃないけど女犯は本来重罪。でも、江戸時代になると、だいぶ緩まってたらしい。檀家の方でもそれを承知で、見て見ぬふりだったみたい。ただ、お坊さんが“女房”だとか、“妻”だとかはまずいので、隠し妻のことは“大黒”と呼んでいたらしい。有名なところでは、“酒”は“般若湯”ですよね。般若は智慧のことだから、「智慧のわくお湯」とは味のある命名ですね。
『さすらいの仏教語』 玄侑宗久 中央公論新社 ¥ 821 諸行無常、物事は変化する。内実が変わったのに言葉が変わらないと、言葉そのものの意味が変質する |
だけど、さっき行った戒律の中でも女犯は重大な罪となる。ここで話に出すのは、歴史的にも評判の宜しくない道鏡のことなんだけど、よく、称徳天皇と男女の関係にあって、その巨根を持って称徳天皇をとりこにしたとか言われる。だけど、これはないと思う。
お坊さんになるということは、本来の意味で言えば、それまでの生を改めること。それまでの生をやめて、違う生を生き直すこと。そのために与えられる戒めが戒律。真剣に出家した者で、それこそ通常の精神であれば、戒律を破るということは生をやめることを意味する。後の、緩くなった時代とは違う。
“道鏡に崩御崩御と称徳言い”とか、“道鏡に根まで入れろと詔”とか。
でも、そんなことは、おそらくなかった。称徳天皇が道鏡に位を譲ろうとしたというのは、藤原氏にがんじがらめにされた皇室のあり方に絶望してのことだったろう。だったら尊敬に値する道鏡に位を譲り、御仏の精神を政治に活かし、仏国土を実現してもらいたいと考えたのだろう。“崩御崩御”だの、“根まで入れろ”とかは江戸時代のものでしょうけど、それにつながる罵詈雑言は、藤原氏の情報操作によるものでしょうね。
私も連れ合いに、“崩御崩御”と言わせてみたいところだけどね。


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