『竜宮城と七夕さま』 朝田次郎
JALグループの機内誌『SKY WARD』に掲載されたエッセイをまとめたものの模様。飛行機なんかめったに乗らないから、当然お目にかかったことはない。今までのエッセイ集の中にも、『SKY WARD』のものがあったんだろうな。
JALのHPから『SKY WARD』を調べてみたら、月間で出されているもののよう。しかも、今月号の編成が紹介されていて、バックナンバーの内容も調べられるようになっている。
コラムは、だれが書いたものかは明らかにされていない。ちなみに8月号のコラムは、《スポーツ聖地紀行》、《旅の風景を支える人》、《ご当地カレー進化論》の3本。どうも、浅田次郎さんが書いたのはどれかな。題名からすると、《ご当地カレー進化論》。之しかなさそうだな。
飛行機に乗るのは好きではない。旅なら、もっぱら自家用車か、電車・バス。自家用車の旅は、必要に迫られてのこと。私だってできれば電車・バスを使いたい。そんな旅のお供には、やっぱり本がいい。そんなときの本には“軽さ”が必要。
この間、山に行くのに電車・バスの旅をした。持って行ったのは、アーサー・C・クラークの『地球幼年期の終わり』。「SFならぴったり」と思ったんだけど、さすがは、アーサー・C・クラーク。SFとは言っても、内容は高度に哲学的。窓の外の雨の風景とともに、明日の運命に不安を感じさせられた。


その点、この本なら間違いない。“軽さ”がいい。浅田さんのエッセイは、『SKY WARD』という機内誌の中で、“旅のお供”という意味合いでは、きわめて重要なポジションを占めているのだろう。“軽さ”こそが、重要なのだ。
“軽い”。たしかに“軽い”には“軽い”。その軽さが心地よい。だけど、本当にただ“軽い”だけのエッセイなら、おそらく誰も読まない。その中に、「たしかに」と、読者をうなずかせるもの一つや二つは織り込まなくてはね。400字詰め原稿用紙7~9枚のエッセイのなかで、結構、難しい作業だな。
この本の題名になっている『竜宮城と七夕さま』は、この本に掲載されている40のエッセイの中の一つ。この中で浅田さんは、もう一度、幼いころに聞いたおとぎ話を振り返っている。
竜宮城で浦島太郎をもてなした料理はなに?・・・そうだよね。目の前でタイやヒラメが躍ってくれてるのに、尾頭付きをつつくわけにはいかないよね。
織姫と彦星の年に一度の逢瀬が雨にたたられては可哀そう?・・・「だいたい一年も会えなかったら、男と女の中は続かない」っていうのは、浅田さんの実体験だそうだ。
《幼いころの知的体験は、知識というよりも、ほとんど肉体の一部となる/肉体の一部になったものだから忘れ去るということがない》・・・映画やテレビと違い“お話し”には具体的な強制力がなく、その分だけ自分勝手な思考や想像が可能だし、必要となる。
「大事なことだ」という自覚のもとに、孫に本を読んでやる。ところが孫が面白がる本と私が強制したい本が違う。「こっちの本の方が面白いんだ。この野郎」と言っても仕方がないので、孫の好みに従う。何度か読んでやってるうちに、孫が感じていた“おもしろさ”が見えてきたりする。この間、孫に読まされた、《村を救ったカエル》。最後は涙が流れた。
“軽い”ようで、“深い”? まあ、あまり気にせず、旅先につくまでの間、読んでみましょう。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
JALのHPから『SKY WARD』を調べてみたら、月間で出されているもののよう。しかも、今月号の編成が紹介されていて、バックナンバーの内容も調べられるようになっている。
コラムは、だれが書いたものかは明らかにされていない。ちなみに8月号のコラムは、《スポーツ聖地紀行》、《旅の風景を支える人》、《ご当地カレー進化論》の3本。どうも、浅田次郎さんが書いたのはどれかな。題名からすると、《ご当地カレー進化論》。之しかなさそうだな。
飛行機に乗るのは好きではない。旅なら、もっぱら自家用車か、電車・バス。自家用車の旅は、必要に迫られてのこと。私だってできれば電車・バスを使いたい。そんな旅のお供には、やっぱり本がいい。そんなときの本には“軽さ”が必要。
この間、山に行くのに電車・バスの旅をした。持って行ったのは、アーサー・C・クラークの『地球幼年期の終わり』。「SFならぴったり」と思ったんだけど、さすがは、アーサー・C・クラーク。SFとは言っても、内容は高度に哲学的。窓の外の雨の風景とともに、明日の運命に不安を感じさせられた。
『竜宮城と七夕さま』 浅田次郎 小学館 ¥ 1,512 国内外での抱腹絶倒の出来事から身辺に起こる様々な出来事を描く傑作エッセイ集 |
その点、この本なら間違いない。“軽さ”がいい。浅田さんのエッセイは、『SKY WARD』という機内誌の中で、“旅のお供”という意味合いでは、きわめて重要なポジションを占めているのだろう。“軽さ”こそが、重要なのだ。
“軽い”。たしかに“軽い”には“軽い”。その軽さが心地よい。だけど、本当にただ“軽い”だけのエッセイなら、おそらく誰も読まない。その中に、「たしかに」と、読者をうなずかせるもの一つや二つは織り込まなくてはね。400字詰め原稿用紙7~9枚のエッセイのなかで、結構、難しい作業だな。
この本の題名になっている『竜宮城と七夕さま』は、この本に掲載されている40のエッセイの中の一つ。この中で浅田さんは、もう一度、幼いころに聞いたおとぎ話を振り返っている。
竜宮城で浦島太郎をもてなした料理はなに?・・・そうだよね。目の前でタイやヒラメが躍ってくれてるのに、尾頭付きをつつくわけにはいかないよね。
織姫と彦星の年に一度の逢瀬が雨にたたられては可哀そう?・・・「だいたい一年も会えなかったら、男と女の中は続かない」っていうのは、浅田さんの実体験だそうだ。
《幼いころの知的体験は、知識というよりも、ほとんど肉体の一部となる/肉体の一部になったものだから忘れ去るということがない》・・・映画やテレビと違い“お話し”には具体的な強制力がなく、その分だけ自分勝手な思考や想像が可能だし、必要となる。
「大事なことだ」という自覚のもとに、孫に本を読んでやる。ところが孫が面白がる本と私が強制したい本が違う。「こっちの本の方が面白いんだ。この野郎」と言っても仕方がないので、孫の好みに従う。何度か読んでやってるうちに、孫が感じていた“おもしろさ”が見えてきたりする。この間、孫に読まされた、《村を救ったカエル》。最後は涙が流れた。
“軽い”ようで、“深い”? まあ、あまり気にせず、旅先につくまでの間、読んでみましょう。


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