辛淑玉『拉致と日本人』 蓮池透 辛淑玉
章の間に辛淑玉さんのコラム収まる形になっている。4章編成だから、コラムは三つある。今回は、このコラムについて書く。
いずれもビックリ。そう、人間って、見たいものが、見たいように見えるようになるんだよね。おんなじものを見ていても、その人には全く違うものに見えているんだ。私の周りにも一人、そういう人がいる。「えっ? これを見て、そういうふうに捉えるわけ?」って人。日本人ですよ。在日朝鮮人を、最初からうがった目で見てるわけじゃないからね。
「朝鮮人は怖い」
それが戦後間もなくの、日本人の朝鮮人観だ。もちろん、人づてに得た情報ってのは実体験じゃないし、その確実性が立証されているわけでもない。しかし、日本人もバカじゃないから、もしも人づての情報を信用するなら、各々、それなりの裏の取り方ってものがある。
自分が見たこと、実体験をした人から聞いたことと、その人づての情報を総合して、それぞれが判断する。
それは、そうそう、大きく外れるものでもない。
終戦後のしばらくの間、日本人にとって、それは警戒すべき事実だった。一部であったにせよ、目につく現象だったからこそ、人の口の上った。朝鮮から引き揚げた人たちの情報は、それに拍車をかけた。それはひどい話だった。


《冗談ではない。怖くて声も出ないのは在日の方だ。多くの在日は、震えながら、日本人の顔色をうかがいつつ、この社会で生き延びてきたのだ(p51)》
朝鮮人だからと言って、一様ではない。それは当然だ。戦後の混乱の中、さまざまなことが起こった。
そういうことでは済まないというなら、《戦争に負けたという認識しか持たない日本人は、その前に自分たちが何をしていたか、すっかり記憶から消し去っている(p51)》と日本人を断罪しようつするなら、日本人の思いもぶつけよう。
「日本人はしおれて聞いておけ」と韓国人のでっち上げにさらされ続けてきたから、ヘイト・スピーチなんて言ううすらみっともない連中の登場につながったのだ。作用もないのに反作用なんかするもんか。
《娯楽としての朝鮮人差別は、潮目が変われば容易に殺戮へとエスカレートする(p52)》
もう、言葉が見つからない。同じ日本社会に生きているのだから、多かれ少なかれ、同じような景色を見ているはずだ。でも、明らかに、辛淑玉さんには違うものが見えている。それは彼女の見たいものなのだろう。
だから、《大衆にとって「拉致」は、「チョーセン」を叩き、大手を振って差別する娯楽を楽しむための手段(p118)》という定義になる。ちなみにここでは、“大衆”という言葉を使ってる。あくまでも“市民”とは違うようだ。私にとって拉致とは、「ごく普通の生活を営んでいた善良な日本人が、北朝鮮人の工作員によって暴力的に連れ去られた国家的犯罪」ということになるのだが、彼女は違うようだ。
さて、あんまりおもしろすぎて、三つのコラムだけ先に読んで、記事を書いてしまった。これから、辛淑玉さんと蓮池透さんの端断を読みます。蓮池さんが、この違うものを見ている辛淑玉さんとどんな対談をするのか。とても楽しみ。蓮池さんも、違うもの見てたりして。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
いずれもビックリ。そう、人間って、見たいものが、見たいように見えるようになるんだよね。おんなじものを見ていても、その人には全く違うものに見えているんだ。私の周りにも一人、そういう人がいる。「えっ? これを見て、そういうふうに捉えるわけ?」って人。日本人ですよ。在日朝鮮人を、最初からうがった目で見てるわけじゃないからね。
「朝鮮人は怖い」
それが戦後間もなくの、日本人の朝鮮人観だ。もちろん、人づてに得た情報ってのは実体験じゃないし、その確実性が立証されているわけでもない。しかし、日本人もバカじゃないから、もしも人づての情報を信用するなら、各々、それなりの裏の取り方ってものがある。
自分が見たこと、実体験をした人から聞いたことと、その人づての情報を総合して、それぞれが判断する。
それは、そうそう、大きく外れるものでもない。
終戦後のしばらくの間、日本人にとって、それは警戒すべき事実だった。一部であったにせよ、目につく現象だったからこそ、人の口の上った。朝鮮から引き揚げた人たちの情報は、それに拍車をかけた。それはひどい話だった。
『拉致と日本人』 蓮池透 辛淑玉 岩波書店 ¥ 1,836 拉致被害者家族と在日朝鮮人 国家に翻弄された家族と人間をめぐる対話・・・? |
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《冗談ではない。怖くて声も出ないのは在日の方だ。多くの在日は、震えながら、日本人の顔色をうかがいつつ、この社会で生き延びてきたのだ(p51)》
朝鮮人だからと言って、一様ではない。それは当然だ。戦後の混乱の中、さまざまなことが起こった。
そういうことでは済まないというなら、《戦争に負けたという認識しか持たない日本人は、その前に自分たちが何をしていたか、すっかり記憶から消し去っている(p51)》と日本人を断罪しようつするなら、日本人の思いもぶつけよう。
「日本人はしおれて聞いておけ」と韓国人のでっち上げにさらされ続けてきたから、ヘイト・スピーチなんて言ううすらみっともない連中の登場につながったのだ。作用もないのに反作用なんかするもんか。
《娯楽としての朝鮮人差別は、潮目が変われば容易に殺戮へとエスカレートする(p52)》
もう、言葉が見つからない。同じ日本社会に生きているのだから、多かれ少なかれ、同じような景色を見ているはずだ。でも、明らかに、辛淑玉さんには違うものが見えている。それは彼女の見たいものなのだろう。
だから、《大衆にとって「拉致」は、「チョーセン」を叩き、大手を振って差別する娯楽を楽しむための手段(p118)》という定義になる。ちなみにここでは、“大衆”という言葉を使ってる。あくまでも“市民”とは違うようだ。私にとって拉致とは、「ごく普通の生活を営んでいた善良な日本人が、北朝鮮人の工作員によって暴力的に連れ去られた国家的犯罪」ということになるのだが、彼女は違うようだ。
さて、あんまりおもしろすぎて、三つのコラムだけ先に読んで、記事を書いてしまった。これから、辛淑玉さんと蓮池透さんの端断を読みます。蓮池さんが、この違うものを見ている辛淑玉さんとどんな対談をするのか。とても楽しみ。蓮池さんも、違うもの見てたりして。


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