小梅塚『呪われた明治維新』 星亮一
ああ、・・・8月が終わってしまった。心にぽっかりと穴が開いてしまったかのような、喪失感。私はこの隙間を、どうやって埋めていけばいいのか。
四捨五入で還暦になろうというのに、秋の予感はなぜか寂しい。遠い過去のことだが、高校三年の時もそうだった。8月20日を過ぎ、受験勉強に耐えきれなくなった私は、逃げた。涸沢にテントを張って、時のたつのを忘れた。いつしか秋風が吹き、雲が細く飛ぶのを見て気が付いた。9月3日だった。・・・これはまずい。
寂しさの背景には、どこかほっとしたような思いがある。8月はやはり特別なのだ。戦争と向き合わなければならない月だから。テレビやラジオの人がよく、「忘れちゃいけないことですね」とか言う。かといって、向かい合うのはつらいことでもある。そのつらさとは全く無関係に、チャイナや韓国の声は、いつも大きい。
チャイナや韓国の反日には、ほとほとあきれ果てる。いつもは静かな靖国も、この日は耐えられなくなるほど喧しい。チャイナや韓国が靖国のことに文句をつけるのはまったくのお門違い。靖国に関して異議申し立てができるのは、会津だけ。


戦争が近づくと、庶民は家財道具を地下に埋めて、山中に逃れた。敵兵は、集落に入るとまず家探しをし、食糧・鍋釜・家畜なんでも盗み、庭に水を撒いて、しみこむ速さで、たちまち隠した穴を見つけ出し、残らず持ち去った。兵士たちは戦利品をできるだけ多く集め、新潟や白河に運び、泥棒市場で換金した。
婦女子への暴行・監禁・拉致に関しては、“小梅塚物語”という哀話がある。
長州の奇兵隊やならず者たちは、山狩りと称して、村人たちがのがれた山々をめぐり、強盗や婦女暴行を繰り返した。若い娘を見つけると、誘拐して5・6人で押さえつけて順番に強姦する。ときには家族の見ている前で娘や妻を犯した。家族が抵抗すれば、鉄砲で撃ち殺した。
泣き叫ぶ娘や妻の声に家族は何もできず、後ろを向いて耳をふさぎ、嵐が去るのを待つしかなかった。やったのが長州人、やられたのが会津人である。
薩長藩士が若松城下に去り、村々には平穏が訪れた。時が過ぎ、侵された女たちの多くは妊娠していた。堕胎が間に合わず、つき満ちて生まれた誰の子かわからない赤子を、村人はお寺の隅に穴を掘り、生きたまま埋めた。
村人は小さな塚を作り、石を載せて目印にした。子を埋めた塚であるから、“小梅塚”と呼ばれた。自分の子を埋められた女たちは、乳が張ってくると小梅塚までやってきて、塚に乳を搾り与えたという。
会津兵だってやっていたということも、本の中に書かれているんだけど、まあ、規模が違う。官軍の中でも、とりわけ奇兵隊がたちが悪かった。それでも、日本人が日本人にやったことだ。日本人もそうなりえるということは自覚しよう。やった連中はどんな日本人だった?
阿弖流為の時代から踏みつけられた東北。その頃と同じように、「白川以北一山百文」と言い放たれた。言い放った薩長軍閥勢力は明治以降の日本を主導した。日本っていう国は、あらかた上が悪い。下は極めて優秀で、基盤はしっかりしているにもかかわらず、上が悪すぎて、根こそぎ崩れたことがある。
今、上に立っている安倍首相も長州の人。歴史を修正してもらおう。間違ってるものを修正して何が悪い。立派な歴史修正主義者になってもらいたい。チャイナや韓国に文句を言われる筋合いではない。
ただし、会津の立場からは言いたいことはいくらでもある。そういう思いが鞘に収められていることを、忘れないでほしい。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
四捨五入で還暦になろうというのに、秋の予感はなぜか寂しい。遠い過去のことだが、高校三年の時もそうだった。8月20日を過ぎ、受験勉強に耐えきれなくなった私は、逃げた。涸沢にテントを張って、時のたつのを忘れた。いつしか秋風が吹き、雲が細く飛ぶのを見て気が付いた。9月3日だった。・・・これはまずい。
寂しさの背景には、どこかほっとしたような思いがある。8月はやはり特別なのだ。戦争と向き合わなければならない月だから。テレビやラジオの人がよく、「忘れちゃいけないことですね」とか言う。かといって、向かい合うのはつらいことでもある。そのつらさとは全く無関係に、チャイナや韓国の声は、いつも大きい。
チャイナや韓国の反日には、ほとほとあきれ果てる。いつもは静かな靖国も、この日は耐えられなくなるほど喧しい。チャイナや韓国が靖国のことに文句をつけるのはまったくのお門違い。靖国に関して異議申し立てができるのは、会津だけ。
『呪われた明治維新』 星亮一 さくら舎 ¥ 1,620 長州はいったい、会津の地でどんな蛮行を働いたのか。なぜ会津は長州を許せないのか。 |
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戦争が近づくと、庶民は家財道具を地下に埋めて、山中に逃れた。敵兵は、集落に入るとまず家探しをし、食糧・鍋釜・家畜なんでも盗み、庭に水を撒いて、しみこむ速さで、たちまち隠した穴を見つけ出し、残らず持ち去った。兵士たちは戦利品をできるだけ多く集め、新潟や白河に運び、泥棒市場で換金した。
婦女子への暴行・監禁・拉致に関しては、“小梅塚物語”という哀話がある。
長州の奇兵隊やならず者たちは、山狩りと称して、村人たちがのがれた山々をめぐり、強盗や婦女暴行を繰り返した。若い娘を見つけると、誘拐して5・6人で押さえつけて順番に強姦する。ときには家族の見ている前で娘や妻を犯した。家族が抵抗すれば、鉄砲で撃ち殺した。
泣き叫ぶ娘や妻の声に家族は何もできず、後ろを向いて耳をふさぎ、嵐が去るのを待つしかなかった。やったのが長州人、やられたのが会津人である。
薩長藩士が若松城下に去り、村々には平穏が訪れた。時が過ぎ、侵された女たちの多くは妊娠していた。堕胎が間に合わず、つき満ちて生まれた誰の子かわからない赤子を、村人はお寺の隅に穴を掘り、生きたまま埋めた。
村人は小さな塚を作り、石を載せて目印にした。子を埋めた塚であるから、“小梅塚”と呼ばれた。自分の子を埋められた女たちは、乳が張ってくると小梅塚までやってきて、塚に乳を搾り与えたという。
会津兵だってやっていたということも、本の中に書かれているんだけど、まあ、規模が違う。官軍の中でも、とりわけ奇兵隊がたちが悪かった。それでも、日本人が日本人にやったことだ。日本人もそうなりえるということは自覚しよう。やった連中はどんな日本人だった?
阿弖流為の時代から踏みつけられた東北。その頃と同じように、「白川以北一山百文」と言い放たれた。言い放った薩長軍閥勢力は明治以降の日本を主導した。日本っていう国は、あらかた上が悪い。下は極めて優秀で、基盤はしっかりしているにもかかわらず、上が悪すぎて、根こそぎ崩れたことがある。
今、上に立っている安倍首相も長州の人。歴史を修正してもらおう。間違ってるものを修正して何が悪い。立派な歴史修正主義者になってもらいたい。チャイナや韓国に文句を言われる筋合いではない。
ただし、会津の立場からは言いたいことはいくらでもある。そういう思いが鞘に収められていることを、忘れないでほしい。


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