張作霖爆殺『日本人が知らない最先端の世界史2』 福井義高
《覆される14の定説》という副題がついている。そう言われて、まず思い浮かべるのは、《張作霖の爆殺》だな。
まずは定説ね。
ソビエト連邦の崩壊にともなう文書流出、ヴェノナ文書とのすり合わせで、戦前のソ連、及びコミンテルンの盛んな諜報活動が明らかにされつつある。
2005年に世界的ベストセラーになった『マオ 誰も知らなかった毛沢東』ではソ連犯行説が唱えられ、これまでの定説である関東軍犯行説再検討の流れも生まれた。著者が、“現時点で最大の労作”と呼ぶのが、2011年に加藤康夫さんが出した『謎解き「張作霖爆殺事件」』って言う本。この本は読んだ。確かめてみたら、ブログには書いてなかった。この本では、真犯人を“張学良”としていた。とても説得力のある話だった。
だけど、関東軍犯行説には、実行者である河本大作大佐の「自白」がある。これは覆し難いところである。しかし、ある特定の状況を設定すれば、関東軍犯行説はいとも簡単に覆るのだ。
河本大作大佐の「自白」によれば、爆薬は、京奉線の線路脇に仕掛けたことになっているのだ。しかし、写真のとおり、爆発によって張作霖の乗った車両は天井部分をふっとばされているのだ。

ドミトリー・ヴォルコゴーノフの『トロツキー その政治的肖像』に記された、トロツキー暗殺を指揮したナウム・エイチンゴンに関する一節
エドアルト・シャラポフの『ナウム・エイチンゴン スターリンの懲罰の剣』は、エイチンゴンのシナにおける工作活動の実態を具体的に描いている。
通説が言うように、爆薬が関東軍によって線路脇に仕掛けられただけならば、張作霖を死に至らしめた、現実に起こった爆破被害は生じ得なかった。つまり、関東軍犯行説はソ連犯行説を否定しない。さて、こうして、最後に残るのが、「自白」なのだ。しかし、ある状況を設定すれば、この鉄壁に思える「自白」という証拠が、いとも簡単に崩れ果てる。それは、河本大作大佐が、ソ連情報機関の手先であったということである。
じつは、その状況は、なにも奇想天外なことではない。ノモンハン事件の日本側司令官だった小松原道太郎中将はソ連のエージェントだった可能性が高いと言われているそうだ。
ちなみに、先に上げた加藤康夫さんの『謎解き「張作霖爆殺事件」』って言う本では、爆薬は、張作霖の乗っていた車両の天井裏に仕掛けられていたとされていた。事前に定点に仕掛けた爆薬を、列車通過に合わせて正確に爆発させることは、至難の業だからね。この説、強いよね。

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まずは定説ね。
1928(昭和3)年6月4日、奉天(現在の瀋陽)郊外で、当時、満州の支配者だった張作霖を乗せた北京発の特別列車が爆破され、張作霖が死亡する。この事件については、河本大作大佐の「自白」もあり、関東軍の仕業というのが、日本の歴史学会では定説になっており、日本による“中国”侵略の第一歩とされうことも多い。 |
ソビエト連邦の崩壊にともなう文書流出、ヴェノナ文書とのすり合わせで、戦前のソ連、及びコミンテルンの盛んな諜報活動が明らかにされつつある。
2005年に世界的ベストセラーになった『マオ 誰も知らなかった毛沢東』ではソ連犯行説が唱えられ、これまでの定説である関東軍犯行説再検討の流れも生まれた。著者が、“現時点で最大の労作”と呼ぶのが、2011年に加藤康夫さんが出した『謎解き「張作霖爆殺事件」』って言う本。この本は読んだ。確かめてみたら、ブログには書いてなかった。この本では、真犯人を“張学良”としていた。とても説得力のある話だった。
だけど、関東軍犯行説には、実行者である河本大作大佐の「自白」がある。これは覆し難いところである。しかし、ある特定の状況を設定すれば、関東軍犯行説はいとも簡単に覆るのだ。
なぜ、「自白」を覆さなければならないのか。それは「自白」に、どうしても首をひねらざるをえないことがあるからだ。まあ、有名な話でもあるのだが。それが、この写真。 | ![]() |
祥伝社 ¥ 1,728 歴史を学ぶことは重要である。しかし、都合よく利用しようとすれば、手痛いしっぺ返しを食う |
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ドミトリー・ヴォルコゴーノフの『トロツキー その政治的肖像』に記された、トロツキー暗殺を指揮したナウム・エイチンゴンに関する一節
極東とアメリカの事情にずば抜けて強い。「張作霖」事件に関連したエピソードを持ち、当地でブリュッヘルを救い出している。 |
エドアルト・シャラポフの『ナウム・エイチンゴン スターリンの懲罰の剣』は、エイチンゴンのシナにおける工作活動の実態を具体的に描いている。
1928年にモスクワで張作霖を抹殺することが決定され、エイチンゴンと、ハルビンの赤軍情報局非合法工作担当のトップだったフリストフォル・サルヌインが、日本人にすべての県議がかかるようにして実行した。 爆殺は奉天郊外の南満州鉄道の高架橋に設置された。 |
通説が言うように、爆薬が関東軍によって線路脇に仕掛けられただけならば、張作霖を死に至らしめた、現実に起こった爆破被害は生じ得なかった。つまり、関東軍犯行説はソ連犯行説を否定しない。さて、こうして、最後に残るのが、「自白」なのだ。しかし、ある状況を設定すれば、この鉄壁に思える「自白」という証拠が、いとも簡単に崩れ果てる。それは、河本大作大佐が、ソ連情報機関の手先であったということである。
じつは、その状況は、なにも奇想天外なことではない。ノモンハン事件の日本側司令官だった小松原道太郎中将はソ連のエージェントだった可能性が高いと言われているそうだ。
ちなみに、先に上げた加藤康夫さんの『謎解き「張作霖爆殺事件」』って言う本では、爆薬は、張作霖の乗っていた車両の天井裏に仕掛けられていたとされていた。事前に定点に仕掛けた爆薬を、列車通過に合わせて正確に爆発させることは、至難の業だからね。この説、強いよね。


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