資源と戦争 『経済は地理から学べ』 宮路秀作
《宗教と石油でもめるチェチェン》
そんな経緯もなり、チェチェン人は独立心が強く、1991年にはソビエト連邦からの独立を宣言し、1992年にはロシア連邦への参加調印を拒否する。2年にわたる交渉が決裂し、1994年にはロシア連邦軍の軍事侵攻が始まる。一時、首都を陥落されるが、ゲリラ戦を敢行して、採取的にはロシア連邦軍を壊滅させた。1996年には事実上の独立を勝ち取り、1997年には停戦協定が調印された。
ところが1999年になると、イスラム教過激派勢力が力を伸ばしたチェチェン独立派勢力は、隣国ダゲスタン共和国に攻撃を仕掛けると同時にモスクワで無差別テロを実行する。これをきっかけに第二次チェチェン紛争が始まり、停戦協定は無効となる。独立勢力によるテロ攻撃と対テロ掃討作戦という形で進められた紛争は、2009年まで続き、大きな被害を出した末に終了した。テロ組織は相当されたとは言うものの、テロの危険が消えたわけではない。
1893年に油田が発見されたチェチェンは、経済的自立が可能である。しかも、ロシア正教を信仰するロシアの前身であるソビエト連邦からは宗教弾圧を受けており、強制移住によって民族を引き裂かれた経験を持つ。
チェチェン紛争の背景には上記のような、宗教的要因と経済的要因が絡み合っている。
《原油をめぐる内戦ービアフラ紛争》
ナイジェリア最大の油田は南部にあり、ここに居住するのはイボ族というキリスト教徒である。彼らは油田のおかげで経済的にゆとりがあり、ナイジェリアの他地域との間には大きな経済格差があった。1967年、彼らは「ビアフラ共和国」として独立を宣言し、同時にないじゃリア連邦軍との戦いが始まる。
戦いは本来、どちらかが物理的戦闘能力を失えば終わる。しかし、外部勢力が関わることによって、無意味に長期化する場合がある。ナイジェリアを支援したのは旧宗主国として状況の変化を望まないイギリスや、アフリカへの影響力増大を狙うソビエト連邦であった。かたやビアフラを支援したのは原油資源を持たないフランスと、アパルトヘイトで禁輸措置を受けていた南アフリカであった。
1970年、戦争はビアフラ共和国の降伏で終了する。イボ族と戦った北部のハウサ族や南西部のヨルバ族はイスラム教徒であった。
この内戦と第一次オイルショックの経験から、フランスは原子力への依存度を高めていった。
他者との対立の中で宗教がクローズアップされる場合、宗教の違いは自分の都合に過ぎない。それを根拠に自分の正当性を補強する手段として宗教を利用するのは、卑怯者のすることだ。宗教の側も、それを煽ることで結束を強めたり、信者を増やそうと、卑怯な振る舞いに及ぶことがある。
原因の本質は、資源をめぐっての争いである。資源があるがために、周囲の歓心を引くし、大国の干渉も受ける。周囲の歓心も、大国の干渉も、必ず国内の対立に付け込んでくる。
チェチェンのケースの方がまだましだが、ロシアという大国を近所に持った悲劇は大きい。

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![]() | カフカス山脈北側の山岳地帯にあるチェチェンは、険しい地形を地の利として大国の支配を免れてきた。 そのチェチェンがロシアの支配下にはいったのは1859年のこと。1917年のロシア革命に際しては、自治権と引き換えにロシア共産党に協力する。1922年、ソビエト連邦下にチェチェン自治州が成立するが、形だけのことで、やがて宗教弾圧が加えられ、1944年にはカザフスタンやシベリアに強制移住させられている。 |
ところが1999年になると、イスラム教過激派勢力が力を伸ばしたチェチェン独立派勢力は、隣国ダゲスタン共和国に攻撃を仕掛けると同時にモスクワで無差別テロを実行する。これをきっかけに第二次チェチェン紛争が始まり、停戦協定は無効となる。独立勢力によるテロ攻撃と対テロ掃討作戦という形で進められた紛争は、2009年まで続き、大きな被害を出した末に終了した。テロ組織は相当されたとは言うものの、テロの危険が消えたわけではない。
1893年に油田が発見されたチェチェンは、経済的自立が可能である。しかも、ロシア正教を信仰するロシアの前身であるソビエト連邦からは宗教弾圧を受けており、強制移住によって民族を引き裂かれた経験を持つ。
チェチェン紛争の背景には上記のような、宗教的要因と経済的要因が絡み合っている。
『経済は地理から学べ』 宮路秀作 ダイヤモンド社 ¥ 1,620 「土地」と「資源」の奪い合いから経済が見える 地図で読み解く44の視点 |
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《原油をめぐる内戦ービアフラ紛争》
ナイジェリア最大の油田は南部にあり、ここに居住するのはイボ族というキリスト教徒である。彼らは油田のおかげで経済的にゆとりがあり、ナイジェリアの他地域との間には大きな経済格差があった。1967年、彼らは「ビアフラ共和国」として独立を宣言し、同時にないじゃリア連邦軍との戦いが始まる。
戦いは本来、どちらかが物理的戦闘能力を失えば終わる。しかし、外部勢力が関わることによって、無意味に長期化する場合がある。ナイジェリアを支援したのは旧宗主国として状況の変化を望まないイギリスや、アフリカへの影響力増大を狙うソビエト連邦であった。かたやビアフラを支援したのは原油資源を持たないフランスと、アパルトヘイトで禁輸措置を受けていた南アフリカであった。
1970年、戦争はビアフラ共和国の降伏で終了する。イボ族と戦った北部のハウサ族や南西部のヨルバ族はイスラム教徒であった。
この内戦と第一次オイルショックの経験から、フランスは原子力への依存度を高めていった。
他者との対立の中で宗教がクローズアップされる場合、宗教の違いは自分の都合に過ぎない。それを根拠に自分の正当性を補強する手段として宗教を利用するのは、卑怯者のすることだ。宗教の側も、それを煽ることで結束を強めたり、信者を増やそうと、卑怯な振る舞いに及ぶことがある。
原因の本質は、資源をめぐっての争いである。資源があるがために、周囲の歓心を引くし、大国の干渉も受ける。周囲の歓心も、大国の干渉も、必ず国内の対立に付け込んでくる。
チェチェンのケースの方がまだましだが、ロシアという大国を近所に持った悲劇は大きい。


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