葬式『仏教って何ですか』 池上彰
私の生家は、臨済宗だったな。お寺は秩父34か所観音霊場の一つ、万松山円融寺というお寺。住職をめぐり檀家が二つに割れるいざこざがあり、結果的に檀家が住職を放逐する騒ぎがあったそうで、私が子供の時分から、長く住職がいない寺になっていた。なんかの時には、同じ臨済宗の金仙寺の住職にお経をあげてもらった。
家族の死を初めて体験したのは21の時、祖父が亡くなったときだった。恵まれた方だろう。そこから、祖母、母は9年、5年くらいの間隔で亡くなった。父が亡くなったのは46の時か。実際には、それなりに間が空いているはずなのに今思うと、祖父が亡くなってから、続けざまで、葬式ばっかりやっていたような気がする。
母の時までは、家で葬式を出した。あの時は、暑い夏だった。喪服の中を汗が流れてたもんな。金仙寺の坊主が「ビールがぬるい」とか言い出しやがって、頭に来たのを覚えている。
うちの方では、坊主がお経をあげている間、親族の男は頭に白い△をつける。お化けが出てくるときにつけてるやつだな。秩父の外から参列してくれた人は、びっくりしているよ。それから、お通夜に参列してくれた人への振る舞いや、葬儀の後の直会は、完璧な飲み会になる。坊主も、喪主も飲む。まかり間違えば、何人ひっくり返るかって感じになりかねない。
私にとっては、それは紛れもない仏教の姿だった。


ブッダは、悟りを開いた。生老病死の苦しみがどこからきているのかをつきとめ、その原因である煩悩をすべて消し去り、一切の苦しみから解放された。輪廻転生の繰り返しから解き放たれ、二度と生まれることのない涅槃寂静の世界に入った。
どうすれば、ブッダと同じ高みに至ることができるか。それが仏教の教えであり、修行であった。
それは当時のインドの人々の求めるものであり、それに答えたからこそ、仏教は広まった。ただ、人が変わり、時が移って人々の求めるものは変わり、それにこたえる仏教の教えも生まれた。一神教ならば、神の教えを変えることは難しかったろうが、ブッダは人である。のちの人々は、ブッダならこう考えるであろうことを類推し、教えに組み入れた。
ブッダの教えは本来、生きる人が悟りに行きつくためのものであり、葬式には関係ない。それが葬式と結びついたのは、チャイナでのことであったらしい。やはり、儒教に由来する先祖供養の思いが強いからね。仏教の僧侶が先祖供養に関わったらしい。仏壇に供える位牌も、本来、儒教の習慣に由来するんだという。
平安時代、庶民の間では、河原や海岸、林の中に遺体を捨てることが一般的だったという。自然に返す、インドのやり方に近い。やがて、河原に捨てるにしても、供物を施すようになり、死者の送り出しに僧侶が関わるようになっていく。
鎌倉仏教を生み出した法然、親鸞、日蓮、道元といった僧侶たちは、仏教が国家に奉仕した時代にあってはドロップアウト組。どうしても国家よりも、庶民に目を向けるようになる。その庶民は、僧侶たちに葬儀を望むんでいた。
当時、大流行していた浄土信仰によれば、「南無阿弥陀仏」と唱えれば浄土に行ける。成仏できる。それに加えて僧侶がきちんと葬式をしてくれれば、より確実に成仏できる。庶民は、葬式に最後の救いを求めたんだな。
母の葬式の時、父が母の顔にささやいてた。「先にいいところに行ってろいな」って。
そうして、葬式を出して送り出してもらえらば、万々歳で成仏していくわけだ。葬式仏教の何が悪い。よかったよかったって、酒を飲んで何が悪い。

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家族の死を初めて体験したのは21の時、祖父が亡くなったときだった。恵まれた方だろう。そこから、祖母、母は9年、5年くらいの間隔で亡くなった。父が亡くなったのは46の時か。実際には、それなりに間が空いているはずなのに今思うと、祖父が亡くなってから、続けざまで、葬式ばっかりやっていたような気がする。
母の時までは、家で葬式を出した。あの時は、暑い夏だった。喪服の中を汗が流れてたもんな。金仙寺の坊主が「ビールがぬるい」とか言い出しやがって、頭に来たのを覚えている。
うちの方では、坊主がお経をあげている間、親族の男は頭に白い△をつける。お化けが出てくるときにつけてるやつだな。秩父の外から参列してくれた人は、びっくりしているよ。それから、お通夜に参列してくれた人への振る舞いや、葬儀の後の直会は、完璧な飲み会になる。坊主も、喪主も飲む。まかり間違えば、何人ひっくり返るかって感じになりかねない。
私にとっては、それは紛れもない仏教の姿だった。
『仏教って何ですか』 池上彰 飛鳥新社 ¥ 600 誕生、伝来から、葬式や戒名の意味、新興宗教まで。仏教にまつわる疑問に池上 彰が答える |
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ブッダは、悟りを開いた。生老病死の苦しみがどこからきているのかをつきとめ、その原因である煩悩をすべて消し去り、一切の苦しみから解放された。輪廻転生の繰り返しから解き放たれ、二度と生まれることのない涅槃寂静の世界に入った。
どうすれば、ブッダと同じ高みに至ることができるか。それが仏教の教えであり、修行であった。
それは当時のインドの人々の求めるものであり、それに答えたからこそ、仏教は広まった。ただ、人が変わり、時が移って人々の求めるものは変わり、それにこたえる仏教の教えも生まれた。一神教ならば、神の教えを変えることは難しかったろうが、ブッダは人である。のちの人々は、ブッダならこう考えるであろうことを類推し、教えに組み入れた。
ブッダの教えは本来、生きる人が悟りに行きつくためのものであり、葬式には関係ない。それが葬式と結びついたのは、チャイナでのことであったらしい。やはり、儒教に由来する先祖供養の思いが強いからね。仏教の僧侶が先祖供養に関わったらしい。仏壇に供える位牌も、本来、儒教の習慣に由来するんだという。
平安時代、庶民の間では、河原や海岸、林の中に遺体を捨てることが一般的だったという。自然に返す、インドのやり方に近い。やがて、河原に捨てるにしても、供物を施すようになり、死者の送り出しに僧侶が関わるようになっていく。
鎌倉仏教を生み出した法然、親鸞、日蓮、道元といった僧侶たちは、仏教が国家に奉仕した時代にあってはドロップアウト組。どうしても国家よりも、庶民に目を向けるようになる。その庶民は、僧侶たちに葬儀を望むんでいた。
当時、大流行していた浄土信仰によれば、「南無阿弥陀仏」と唱えれば浄土に行ける。成仏できる。それに加えて僧侶がきちんと葬式をしてくれれば、より確実に成仏できる。庶民は、葬式に最後の救いを求めたんだな。
母の葬式の時、父が母の顔にささやいてた。「先にいいところに行ってろいな」って。
そうして、葬式を出して送り出してもらえらば、万々歳で成仏していくわけだ。葬式仏教の何が悪い。よかったよかったって、酒を飲んで何が悪い。


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