『気力をうばう「体の痛み」がスーッと消える本』 富永喜代
この記事を書いたのは2年前。股関節痛の痛みの真っ只中で苦しんでいる頃だな。今日は10月27日。1年前の今日、私は股関節の手術を受けた。
こんな題名の本に、ついつい引かれてしまう。50をとっくに過ぎてる私あたりの年齢なら、どっかに悪いところの一個や二個あったって当たり前。大病を患うことだって珍しくない。そんなことは分かってるんだけど、嫌になるのはこの“痛み”なんだよね。題名がすごいでしょ。『気力をうばう「体の痛み」がスーッと消える本』だもんね。はなっから“スーッと”痛みが消えるなんて思ってないけど、でも、ほんの少しでも良くなるなら・・・。「体の痛み」に、日夜、気力を蝕まれつつある私にしてみたら・・・、わらにでも何でも縋りたくなるわけです。
著者は貧乏で、医療の世界に何のコネも持たない漁師の町から医師を目指したそうで、そのために希望者の少ない場所を求めて麻酔医、つまり痛みの専門家になったんだそうです。そんな医者ズレしてない世間から患者を見ているこの人なら、もしかしたら私の股関節痛も和らげてくれるかもしれない、でしょ。そう思って目次を見てみたら、ありました。『股関節痛は「脳内道草散歩」でやわらげる❢』っていう項目が・・・。“わら”よりもよっぽど頼りになりそうじゃありませんか。
「股関節痛の延長線上には要介護状態に陥るリスク」があるって。うわ~、イヤだ~❢
ほんのちょっと前まで、毎朝走ってたんですよ。さらに休みの日なら昼間は自転車で50キロ位こいでた時期もある。3年前まで勤務していた10キロ離れた職場には自転車で通ってたんだよね。
時々激痛に襲われて、それがとくに冬場は頻繁になってきて、走らない日、自転車こがない日がだんだんと多くなってさ。家族たちも、そんなに痛いんなら走るのやめた方がいいって言うしね。当たり前だよね。まるっきり走らなくなった頃から、鈍い痛みをいつも抱えるようになった。もちろん激痛も頻繁になった。
夕方まで仕事をすると、もう、帰りたくてたまらなくなる。・・・痛くて。周りからどう見られているか、とても気になる。仕事がつらくなる。
これって、まさしく私の現状。今の私は、“要介護”まっしぐら状態。著者の助言に従おう。「脳内道草散歩」をする。股関節に負担をかけないゆっくりした早さで歩く。野の花を愛で、風を感じながら歩く。でも、15分も歩くと股関節がけっこう痛くなる。今まではそれでやめた。でも、これからはそれでも歩く。
『脳は喜びを感じると痛みの抑制に関係する内因性オピオイドを分泌。痛みを感じにくくなり、歩行距離が無理なく伸びていくはずです』という著者の言葉を信じて歩く。そう思って、もう上の写真のストックを購入した。
第3章で取り扱われている異常は以下のとおり。
『偏頭痛』、『慢性腰痛』、『冷え性』、『肩こり』、『腰部脊柱管狭窄症』、『股関節痛』、『手足のしびれ』、『耳鳴り、めまい、フラつき』

まずは第3章に目が止まったんだけど、でもこの本、全体を読んで意味のある本ですね。実は大事なのは第4章と5章。大事なのは朗らかに生きること。「杖、ストックをついて歩くなんて嫌だ」ってゴネてたら、連れ合いが一緒にストックついて歩いてくれた。・・・やはり、そういうことなんだろう。
先天性の股関節脱臼で、母方の伯父がようやく歩き始めた私を見て、《足が悪そうだ》ということに気づいてくれた。50年以上前の話だから治療は大変で、1歳児が足から胸くらいまでのギブスで固定されて、そんなのを抱きかかえるようにして母が秩父から病院のある飯能まで通ってくれた。今でこそ秩父から飯能は西武線一本だけど、当時は西武線が秩父まで来てなかったので、秩父線で寄居に出て八高線で東飯能、そこから飯能だから大変だった。
半年後にギブスをとったとき、赤ん坊の脚はまっすぐじゃないからね。ギブスにあたっていた膝の外側から、どす黒い血が噴き出したんだそうだ。「左足はもう駄目だろうな」・・・、母はそう思ったそうだ。
でも、ずいぶんよくなってね。3歳くらいからは外で遊んでいる写真がある。それまでの写真はいきなり生まれたばかりの赤ん坊なんだ。ギブスをしている姿は写真に写せなかったらしい。よく転ぶけど走れるようにもなった。3月生まれの心配もあったらしいけど、そのうち、運動もできる部類になったしね。
だけど、母は、わたしが運動するのを嫌がった。中学でサッカー部に入るんだけど、泣いて反対された。高校で山岳部に入るのも大反対されたし、その後も、なんかあるたびに足の心配をされた。私の股関節がおかしいのは自分のせいだと思っていた母は、最後まで言わなかったけど、いつか私の足がダメになることは分かってたんだろうな。 ・・・案の定、今、そうなった。
痛みは20代から出始めていた。最初に医者に行ったのは30歳の時。大きな病院に行くと、半年前に手術を受けたというお年寄りが松葉づえにすがりながら歩いていた。それでもずいぶんよくなったんだそうだ。診察を受けると、「まだ、そんなに痛いはずはない」って言われた。
もっともっと悪くなって、どうしようもなくなって、手術を受けて、松葉づえをついて何とか歩けるようになって、「これでもずいぶんよくなった」って漏らすのか。・・・その時は絶望した。医者には行かないことにした。34歳で山をやめた。
状況は歳とともに悪くなった。我慢できない痛みが頻繁になった40代後半、心配になって医者に行った。この時も、「そんなに痛いはずはない」って言われた。強い痛み止めを大量にもらって帰った。この医者には、薬が切れたときだけ行った。
50代になり、寝ていても痛みで起きてしまうことが多くなった。この本に出合ったのは、そんな状況の中だった。朗らかに過ごしたいと思った。
その直後、「早期であっても手術を受けて、健康な日常生活を取り戻すべきだ」と考える医師がいると聞いた。しかも、地元の市民病院にいた。診てもらいに行った。昨年の2月である。残念ながら、直接その医師に診てもらうことはできなかった。でも、1年後には仕事の区切りをつけて手術を受けたいという意志を伝えて、3か月後にその医師に診てもらえるよう予約をした。
3か月後、その医師に診てもらうと、「早く手術を受けないと、車いすの生活になりかねない」と言われた。仕事のことが頭に浮かんで即答できなかった。7月、手術を受けたい旨、医師に伝え、10月27日に手術を受けることになった。
手術はつらかったけど、今、私は新しい人生を手に入れた。なによりもうれしいのは、私が元気で暮らせることを、連れ合いが喜んでくれていることだ。
今年の8月、奥武蔵の武川岳の山頂であった30歳くらいのお兄さんがいた。一緒に昼飯を食べながら話をした。この夏どんなところに登ったか聞いたら、ここのところ股関節が痛くて、今日が久々の登山だということであった。私と同じ、股関節変形症だ。私は、不覚にも涙してしまった。お兄さんも不思議に思ったろう。わけを話し、顛末を語った。
もしも、お読みいただいた中に、股関節の痛みで苦しんでいる方がおられたら、私は手術を薦める。お聞きいただければ、なんでも答える。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
こんな題名の本に、ついつい引かれてしまう。50をとっくに過ぎてる私あたりの年齢なら、どっかに悪いところの一個や二個あったって当たり前。大病を患うことだって珍しくない。そんなことは分かってるんだけど、嫌になるのはこの“痛み”なんだよね。題名がすごいでしょ。『気力をうばう「体の痛み」がスーッと消える本』だもんね。はなっから“スーッと”痛みが消えるなんて思ってないけど、でも、ほんの少しでも良くなるなら・・・。「体の痛み」に、日夜、気力を蝕まれつつある私にしてみたら・・・、わらにでも何でも縋りたくなるわけです。
著者は貧乏で、医療の世界に何のコネも持たない漁師の町から医師を目指したそうで、そのために希望者の少ない場所を求めて麻酔医、つまり痛みの専門家になったんだそうです。そんな医者ズレしてない世間から患者を見ているこの人なら、もしかしたら私の股関節痛も和らげてくれるかもしれない、でしょ。そう思って目次を見てみたら、ありました。『股関節痛は「脳内道草散歩」でやわらげる❢』っていう項目が・・・。“わら”よりもよっぽど頼りになりそうじゃありませんか。
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ほんのちょっと前まで、毎朝走ってたんですよ。さらに休みの日なら昼間は自転車で50キロ位こいでた時期もある。3年前まで勤務していた10キロ離れた職場には自転車で通ってたんだよね。
時々激痛に襲われて、それがとくに冬場は頻繁になってきて、走らない日、自転車こがない日がだんだんと多くなってさ。家族たちも、そんなに痛いんなら走るのやめた方がいいって言うしね。当たり前だよね。まるっきり走らなくなった頃から、鈍い痛みをいつも抱えるようになった。もちろん激痛も頻繁になった。
夕方まで仕事をすると、もう、帰りたくてたまらなくなる。・・・痛くて。周りからどう見られているか、とても気になる。仕事がつらくなる。
運動不足は筋肉の衰えに直結。慢性的に痛くなった股関節の場合、動かさなくなったことで関節がかたくなり、可動域が制限され、ますます筋力が低下する廃用症候群となっていきます。 本書P114 |
『脳は喜びを感じると痛みの抑制に関係する内因性オピオイドを分泌。痛みを感じにくくなり、歩行距離が無理なく伸びていくはずです』という著者の言葉を信じて歩く。そう思って、もう上の写真のストックを購入した。
第3章で取り扱われている異常は以下のとおり。
『偏頭痛』、『慢性腰痛』、『冷え性』、『肩こり』、『腰部脊柱管狭窄症』、『股関節痛』、『手足のしびれ』、『耳鳴り、めまい、フラつき』
まずは第3章に目が止まったんだけど、でもこの本、全体を読んで意味のある本ですね。実は大事なのは第4章と5章。大事なのは朗らかに生きること。「杖、ストックをついて歩くなんて嫌だ」ってゴネてたら、連れ合いが一緒にストックついて歩いてくれた。・・・やはり、そういうことなんだろう。
先天性の股関節脱臼で、母方の伯父がようやく歩き始めた私を見て、《足が悪そうだ》ということに気づいてくれた。50年以上前の話だから治療は大変で、1歳児が足から胸くらいまでのギブスで固定されて、そんなのを抱きかかえるようにして母が秩父から病院のある飯能まで通ってくれた。今でこそ秩父から飯能は西武線一本だけど、当時は西武線が秩父まで来てなかったので、秩父線で寄居に出て八高線で東飯能、そこから飯能だから大変だった。
半年後にギブスをとったとき、赤ん坊の脚はまっすぐじゃないからね。ギブスにあたっていた膝の外側から、どす黒い血が噴き出したんだそうだ。「左足はもう駄目だろうな」・・・、母はそう思ったそうだ。
でも、ずいぶんよくなってね。3歳くらいからは外で遊んでいる写真がある。それまでの写真はいきなり生まれたばかりの赤ん坊なんだ。ギブスをしている姿は写真に写せなかったらしい。よく転ぶけど走れるようにもなった。3月生まれの心配もあったらしいけど、そのうち、運動もできる部類になったしね。
だけど、母は、わたしが運動するのを嫌がった。中学でサッカー部に入るんだけど、泣いて反対された。高校で山岳部に入るのも大反対されたし、その後も、なんかあるたびに足の心配をされた。私の股関節がおかしいのは自分のせいだと思っていた母は、最後まで言わなかったけど、いつか私の足がダメになることは分かってたんだろうな。 ・・・案の定、今、そうなった。
痛みは20代から出始めていた。最初に医者に行ったのは30歳の時。大きな病院に行くと、半年前に手術を受けたというお年寄りが松葉づえにすがりながら歩いていた。それでもずいぶんよくなったんだそうだ。診察を受けると、「まだ、そんなに痛いはずはない」って言われた。
もっともっと悪くなって、どうしようもなくなって、手術を受けて、松葉づえをついて何とか歩けるようになって、「これでもずいぶんよくなった」って漏らすのか。・・・その時は絶望した。医者には行かないことにした。34歳で山をやめた。
状況は歳とともに悪くなった。我慢できない痛みが頻繁になった40代後半、心配になって医者に行った。この時も、「そんなに痛いはずはない」って言われた。強い痛み止めを大量にもらって帰った。この医者には、薬が切れたときだけ行った。
50代になり、寝ていても痛みで起きてしまうことが多くなった。この本に出合ったのは、そんな状況の中だった。朗らかに過ごしたいと思った。
その直後、「早期であっても手術を受けて、健康な日常生活を取り戻すべきだ」と考える医師がいると聞いた。しかも、地元の市民病院にいた。診てもらいに行った。昨年の2月である。残念ながら、直接その医師に診てもらうことはできなかった。でも、1年後には仕事の区切りをつけて手術を受けたいという意志を伝えて、3か月後にその医師に診てもらえるよう予約をした。
3か月後、その医師に診てもらうと、「早く手術を受けないと、車いすの生活になりかねない」と言われた。仕事のことが頭に浮かんで即答できなかった。7月、手術を受けたい旨、医師に伝え、10月27日に手術を受けることになった。
手術はつらかったけど、今、私は新しい人生を手に入れた。なによりもうれしいのは、私が元気で暮らせることを、連れ合いが喜んでくれていることだ。
今年の8月、奥武蔵の武川岳の山頂であった30歳くらいのお兄さんがいた。一緒に昼飯を食べながら話をした。この夏どんなところに登ったか聞いたら、ここのところ股関節が痛くて、今日が久々の登山だということであった。私と同じ、股関節変形症だ。私は、不覚にも涙してしまった。お兄さんも不思議に思ったろう。わけを話し、顛末を語った。
もしも、お読みいただいた中に、股関節の痛みで苦しんでいる方がおられたら、私は手術を薦める。お聞きいただければ、なんでも答える。


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