『大人のADHD』 福西勇夫 福西朱美
「なぜこの本を?」って、唐突に思われるかもしれない。でも、私にとっては唐突でもなんでもなくて、以前からけっこう気になっていた。そこへ、とても分かりやすそうな本があったので、入手した。
仕事の関係で、定時制高校に通うADHDの生徒に関わったことがある。化け物じみた(・・・決して悪い意味じゃなく、心の底から驚いて、こういう言い方をしてる)運動能力と反射神経を持った生徒で、30年も若い連中に関わる仕事をしているけど、あんな奴、他にいない。オリンピックレベル、それもメダル級と、今でも確信している。
そいつがADHDで、思ったことはすべて言動に出てしまう。抑えられない。中学校までは、学校の指示もあり、薬を飲んで登校していた。母親が、これもこの子の個性と、市立高校へ進学して薬をやめて登校した。半年で、女性教諭とのトラブルを起こして退学し、定時制に入り直した。
授業を見たが、ひどかった。いくつも問題をおこしたが、それでも何とか4年間かけて卒業した。
この本によれば、ADHDというのは、注意欠如・多動性障害といって、多動性や衝動性、注意欠如を特徴とする発達障害で、20人から25人に1人の割合で該当するという。
上記の生徒は、“衝動性”の「思い付きをすぐ言動に移す。がまんが苦手」という説明にぴったり該当する。それでもそいつ、私の言うことは聞いたんだ。1~2カ月付き合ううちに、そういうふうに仕向けた。で、その運動能力と反射神経を買われて自衛隊に入隊した。入隊後、最初の運動能力測定で、ソフトボール投げで90m投げて化け物ぶりを発揮した。こいつ、子どものころから特定のスポーツを長く続けたことなんかないんだ。ボール投げればそんなだし、走って跳ばせりゃ上履きで6m。初めて卓球のラケットにぎって1時間で私を退けた。自衛隊でも期待されて当たり前。
でも、入隊後半年で、上巻をぶん殴って首にされたそうだ。


子どもの頃、なぜか母親が小学校に迎えに来て、小学校から病院に連れて行かれたことがある。しかも、病院に行ったことは、誰にも言っちゃダメってことになっていた。
正直あまりよく覚えているわけではないんだけど、かかったのは精神病院で、今考えれば祖父母の目をはばかって内緒ということになっていたんだろう。ただ、ひたすら怖かった。私は、「タキコと同じ特殊学級はいやだ」と母に泣きついた。
子どもの頃、私は、すぐにどこかに行ってしまう子だった。“どこか”というのはどこでもいいわけではない。目的を持って行動しているのだ。「あそこに行こう」と思って行っているのだが、誰にも「行く」とは言ってない。だから、一度は行ったことのある場所なんだけど、家にたどり着く前に夜になってしまって、どこかの大人に連れて帰ってもらったり、電話してもらった場合は母が迎えに来た。
忘れ物はひどかった。何年生の時だったか、先生が棒グラフの好きな方で、忘れ物まで棒グラフにしていた。私の棒は、模造紙を軽く突き抜け、壁にぶつかって折り返していた。
なにか楽しいことを思いついたとき、机に向かって座っていることが難しかった。もう、先生の言うことも上の空。
でも、学校って、先生の言うことを聞いてないと、とんでもない目に合う。とんでもない目に何度もあって、学校に行くのが嫌になることも多かった。
中学校でもそうだったけど、高校に入ったことから少し変わったと、自分では思っている。もともとが、私があった定時制の生徒なんかに比べれば程度が軽かったんだろう。自分でも何とかしなきゃと思う部分はあって、少しずつ、自分なりの方法でコントロールすることができるようになったんかな。
もちろん、何の心配もいらないなんてことじゃなく、それなりに、自分のそんな部分とうまく付き合うことができるようになってきたんだと思うけど。もちろん、その後も失敗はいくらでもあるけど・・・。
最近の私の悩みは、そのコントロールが、なかなかうまくいかないことが時々あるってこと。そんな不安から本書を読んでみた。でも、この本は、“コントロールガイド”だからね。コントロールが、時々難しっくなった私が読んでわかったことは、私はやっぱり、今ならADHDって診断されてたろうなってこと。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
仕事の関係で、定時制高校に通うADHDの生徒に関わったことがある。化け物じみた(・・・決して悪い意味じゃなく、心の底から驚いて、こういう言い方をしてる)運動能力と反射神経を持った生徒で、30年も若い連中に関わる仕事をしているけど、あんな奴、他にいない。オリンピックレベル、それもメダル級と、今でも確信している。
そいつがADHDで、思ったことはすべて言動に出てしまう。抑えられない。中学校までは、学校の指示もあり、薬を飲んで登校していた。母親が、これもこの子の個性と、市立高校へ進学して薬をやめて登校した。半年で、女性教諭とのトラブルを起こして退学し、定時制に入り直した。
授業を見たが、ひどかった。いくつも問題をおこしたが、それでも何とか4年間かけて卒業した。
この本によれば、ADHDというのは、注意欠如・多動性障害といって、多動性や衝動性、注意欠如を特徴とする発達障害で、20人から25人に1人の割合で該当するという。
上記の生徒は、“衝動性”の「思い付きをすぐ言動に移す。がまんが苦手」という説明にぴったり該当する。それでもそいつ、私の言うことは聞いたんだ。1~2カ月付き合ううちに、そういうふうに仕向けた。で、その運動能力と反射神経を買われて自衛隊に入隊した。入隊後、最初の運動能力測定で、ソフトボール投げで90m投げて化け物ぶりを発揮した。こいつ、子どものころから特定のスポーツを長く続けたことなんかないんだ。ボール投げればそんなだし、走って跳ばせりゃ上履きで6m。初めて卓球のラケットにぎって1時間で私を退けた。自衛隊でも期待されて当たり前。
でも、入隊後半年で、上巻をぶん殴って首にされたそうだ。
『マンガでわかる大人のADHD』 福西勇夫 福西朱美 法研 ¥ 1,728 誰にでも役立つ 精神科医が教える成人期ADHDコントロール法 |
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子どもの頃、なぜか母親が小学校に迎えに来て、小学校から病院に連れて行かれたことがある。しかも、病院に行ったことは、誰にも言っちゃダメってことになっていた。
正直あまりよく覚えているわけではないんだけど、かかったのは精神病院で、今考えれば祖父母の目をはばかって内緒ということになっていたんだろう。ただ、ひたすら怖かった。私は、「タキコと同じ特殊学級はいやだ」と母に泣きついた。
子どもの頃、私は、すぐにどこかに行ってしまう子だった。“どこか”というのはどこでもいいわけではない。目的を持って行動しているのだ。「あそこに行こう」と思って行っているのだが、誰にも「行く」とは言ってない。だから、一度は行ったことのある場所なんだけど、家にたどり着く前に夜になってしまって、どこかの大人に連れて帰ってもらったり、電話してもらった場合は母が迎えに来た。
忘れ物はひどかった。何年生の時だったか、先生が棒グラフの好きな方で、忘れ物まで棒グラフにしていた。私の棒は、模造紙を軽く突き抜け、壁にぶつかって折り返していた。
なにか楽しいことを思いついたとき、机に向かって座っていることが難しかった。もう、先生の言うことも上の空。
でも、学校って、先生の言うことを聞いてないと、とんでもない目に合う。とんでもない目に何度もあって、学校に行くのが嫌になることも多かった。
中学校でもそうだったけど、高校に入ったことから少し変わったと、自分では思っている。もともとが、私があった定時制の生徒なんかに比べれば程度が軽かったんだろう。自分でも何とかしなきゃと思う部分はあって、少しずつ、自分なりの方法でコントロールすることができるようになったんかな。
もちろん、何の心配もいらないなんてことじゃなく、それなりに、自分のそんな部分とうまく付き合うことができるようになってきたんだと思うけど。もちろん、その後も失敗はいくらでもあるけど・・・。
最近の私の悩みは、そのコントロールが、なかなかうまくいかないことが時々あるってこと。そんな不安から本書を読んでみた。でも、この本は、“コントロールガイド”だからね。コントロールが、時々難しっくなった私が読んでわかったことは、私はやっぱり、今ならADHDって診断されてたろうなってこと。


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