近現代へ『逆説の日本史23 明治揺籃編』 井沢元彦
《『逆説の日本史』においては近現代史の始まりを、1878(明治11)年の大久保利通が暗殺された時点ととらえている》で、23巻は始まる。つまり、西南戦争までは、近世の脈絡の中で語れる歴史であるということだ。依存はない。
明治維新は、世界史の中で見回しても、おどろくほどの大変革だ。しかも日本は、それをいともたやすく成し遂げた。・・・大変革のきっかけとなった黒船来航からたったの15年。旧勢力との戦争とは言っても、人・場所・時の観点から見ても限定戦の枠に留まる。
そして変革が成った時、日本人は一斉に同じ方向を向いていた。
ただ、最初の10年間は、そうはいかなかった。それはそうだ。一見単純に見えるこの変革は、実は、本当に複雑な背景と、分かりづらい思想の対立の中で遂行されたものであった。決してたやすく成し遂げられたものではなかった。今の日本もそうだが、かつてに日本も、大変革を成し遂げるのが難しい環境があった。なにより、日本人の思想が、大変革を難しいものにしていた。それを打ち破るには、巨大な力が必要だった。
西郷隆盛は、幕末の最後の数ヶ月、この大変動における“悪”のすべてを引き受けたのだろう。数々の矛盾を、その大きな体に吸収し、大変革の体裁を整えたのだ。“維新の三傑は”と言い換えてもいい。彼らは“悪”を引き受けたまま、明治に移行した。多くの者たちが敵味方に分かれて闘い、そして倒れた。彼らは新たな世を迎えることができなかったのに、彼ら三人だけが生き残ったのだ。
彼らは申し合わせたかのように、時期を同じくして、しかもまったく違う状況のもとに死ぬ。その10年間は、生き残った三人が、残された役割を遂行するために必要な時間だったのだろうか。
そして明治10年に始まった西南戦争が終わった時、日本人のほぼ全てが、同じ方向を向いて進もうとしていた。その先頭に立ったのが、伊藤博文、大隈重信、板垣退助といった、かつての小僧っ子たちだった。
この黒船来航からの15年、将来の日本を背負うべき多くの者たちが、新たな世を迎えることなく倒れていった。もしも彼らが、新たな時代に力を発揮することができていたら、日本の歴史は違うものになっていただろう。彼らが倒れた理由の背景には、多くの場合朱子学がある。それでも日本は、なんとか15年で変革に向けての体制を作り上げた。そのために15年かかった。この15年は、短くて済んだ15年なのか、長すぎた15年なのか。


『文部省が教科書検定において「侵略→進出」の書き換えを強制した』という誤報を流し、日中関係、日韓関係が著しく損なわれた。その時の朝日新聞中川昇三東京本社社会部部長の言い訳
《一部にせよ、誤りを犯したことについては、読者にお詫びしなければなりません。・・・ところでここで考えてみたいのは、中国・韓国との間で、外交問題にまで発展したのは、この誤報だけが問題なのか、という点です。つまり事の本質は、文部省の検定の姿勢や検定全体の流れにあるのではないでしょうか》
朝日新聞はひどいな。
「ソ連は労働者の天国」、「文化大革命は人類の壮挙」、「北朝鮮経済は韓国を凌駕している」いずれも朝日新聞がまき散らかしてきた報道だそうだ。そうやって朝日新聞は、日本国民をミスリードしてきたんだ。ミスリードは朝日新聞だけじゃない。岩波書店の安江良介は、「金日成は北朝鮮を豊かにした偉大な政治家だ」と言い続けた。朝日新聞も岩波書店も、ソ連や中国共産党や北朝鮮を愛する進歩的文化人を育て上げた。
仕事場で同室の方、私より4歳上の方なんだけど、本質的にはいいおじさんなんだ。文武両道で学生時代を過ごし、残念ながら、上記の進歩的文化人に与する立場にある。一緒にニュースを見ていて、選挙で安倍政権が大勝したことに、言い捨てる。「日本人は民度が低い」
「中国や韓国よりも低いですか」って聞いたら、嫌な顔をしていた。
でも、その姿勢はおんなじなんだ。国民から真実を遠ざけた大本営発表や、自らを正義として間違いを犯しても謝ることを知らない朝日新聞。
さて、朝日新聞+岩波書店+進歩的文化人は、基本の世論形成に極めて強い影響力を持ってきた。だけど、彼らが持ち上げてきた文化大革命が多くの人を死なせたことが明らかになり、ソ連がつぶれ、北の拉致事件が明らかになっても、彼らは一切謝らない。今度は、北を持ち上げるためにこき下ろしてきた韓国に、かつてこき下ろしていたことは誤りもせず、恩着せがましく味方につく。そして焚き付けたのが、「従軍慰安婦は性奴隷」って話だった。
おい、孫。悪いことばっかりやってると、朝日新聞が来るよ❢

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
明治維新は、世界史の中で見回しても、おどろくほどの大変革だ。しかも日本は、それをいともたやすく成し遂げた。・・・大変革のきっかけとなった黒船来航からたったの15年。旧勢力との戦争とは言っても、人・場所・時の観点から見ても限定戦の枠に留まる。
そして変革が成った時、日本人は一斉に同じ方向を向いていた。
ただ、最初の10年間は、そうはいかなかった。それはそうだ。一見単純に見えるこの変革は、実は、本当に複雑な背景と、分かりづらい思想の対立の中で遂行されたものであった。決してたやすく成し遂げられたものではなかった。今の日本もそうだが、かつてに日本も、大変革を成し遂げるのが難しい環境があった。なにより、日本人の思想が、大変革を難しいものにしていた。それを打ち破るには、巨大な力が必要だった。
西郷隆盛は、幕末の最後の数ヶ月、この大変動における“悪”のすべてを引き受けたのだろう。数々の矛盾を、その大きな体に吸収し、大変革の体裁を整えたのだ。“維新の三傑は”と言い換えてもいい。彼らは“悪”を引き受けたまま、明治に移行した。多くの者たちが敵味方に分かれて闘い、そして倒れた。彼らは新たな世を迎えることができなかったのに、彼ら三人だけが生き残ったのだ。
彼らは申し合わせたかのように、時期を同じくして、しかもまったく違う状況のもとに死ぬ。その10年間は、生き残った三人が、残された役割を遂行するために必要な時間だったのだろうか。
そして明治10年に始まった西南戦争が終わった時、日本人のほぼ全てが、同じ方向を向いて進もうとしていた。その先頭に立ったのが、伊藤博文、大隈重信、板垣退助といった、かつての小僧っ子たちだった。
この黒船来航からの15年、将来の日本を背負うべき多くの者たちが、新たな世を迎えることなく倒れていった。もしも彼らが、新たな時代に力を発揮することができていたら、日本の歴史は違うものになっていただろう。彼らが倒れた理由の背景には、多くの場合朱子学がある。それでも日本は、なんとか15年で変革に向けての体制を作り上げた。そのために15年かかった。この15年は、短くて済んだ15年なのか、長すぎた15年なのか。
『逆説の日本史23 明治揺籃編』 井沢元彦 小学館 ¥ 1,728 木戸孝允が病死し、西郷隆盛が戦死し、大久保利通が凶刃に倒れた。そして、日本の近代が始まる |
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『文部省が教科書検定において「侵略→進出」の書き換えを強制した』という誤報を流し、日中関係、日韓関係が著しく損なわれた。その時の朝日新聞中川昇三東京本社社会部部長の言い訳
《一部にせよ、誤りを犯したことについては、読者にお詫びしなければなりません。・・・ところでここで考えてみたいのは、中国・韓国との間で、外交問題にまで発展したのは、この誤報だけが問題なのか、という点です。つまり事の本質は、文部省の検定の姿勢や検定全体の流れにあるのではないでしょうか》
朝日新聞はひどいな。
「ソ連は労働者の天国」、「文化大革命は人類の壮挙」、「北朝鮮経済は韓国を凌駕している」いずれも朝日新聞がまき散らかしてきた報道だそうだ。そうやって朝日新聞は、日本国民をミスリードしてきたんだ。ミスリードは朝日新聞だけじゃない。岩波書店の安江良介は、「金日成は北朝鮮を豊かにした偉大な政治家だ」と言い続けた。朝日新聞も岩波書店も、ソ連や中国共産党や北朝鮮を愛する進歩的文化人を育て上げた。
仕事場で同室の方、私より4歳上の方なんだけど、本質的にはいいおじさんなんだ。文武両道で学生時代を過ごし、残念ながら、上記の進歩的文化人に与する立場にある。一緒にニュースを見ていて、選挙で安倍政権が大勝したことに、言い捨てる。「日本人は民度が低い」
「中国や韓国よりも低いですか」って聞いたら、嫌な顔をしていた。
でも、その姿勢はおんなじなんだ。国民から真実を遠ざけた大本営発表や、自らを正義として間違いを犯しても謝ることを知らない朝日新聞。
さて、朝日新聞+岩波書店+進歩的文化人は、基本の世論形成に極めて強い影響力を持ってきた。だけど、彼らが持ち上げてきた文化大革命が多くの人を死なせたことが明らかになり、ソ連がつぶれ、北の拉致事件が明らかになっても、彼らは一切謝らない。今度は、北を持ち上げるためにこき下ろしてきた韓国に、かつてこき下ろしていたことは誤りもせず、恩着せがましく味方につく。そして焚き付けたのが、「従軍慰安婦は性奴隷」って話だった。
おい、孫。悪いことばっかりやってると、朝日新聞が来るよ❢


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