めんどくせぇことばかり 葬れない社会『死者と先祖の話』 山折哲雄
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葬れない社会『死者と先祖の話』 山折哲雄

私の父母は兄弟が多く、私にはたくさんの伯父伯母、叔父叔母がいました。父は長男で本家を継ぎ、私はその家の三男、末っ子として生まれました。子どものころから足が悪く、何とか治ったものの、父母、祖父母、たくさんの伯父伯母、叔父叔母たちにとって私は、いつまでたっても“足の悪い不憫な子”だったようです。

可愛がられましたが、どっか味噌っかすだったんですね。

私自身それに甘えるところがあって、気持ちの上で、いつまでたっても大人になり切れない部分を抱えていました。もともとの精神的な部分も多分にあったように思いますが・・・。

いろいろな問題を抱えた“家”でしたが、いろいろな感情を持った家族や親類縁者であっても、誰もかれも、私のことは、みんな可愛がってくれてました。

誰もかれも、とは言わない者の、家族や親類縁者の多くが、私に家族や親類縁者のかげ口をききましたが、私はそのたびに悲しくなるものの、なすすべなく聞き流すだけでした。

高校のころに、祖父が寝たきりになりました。可愛がってくれた祖父がだんだん弱っていくのを見るのが、私が死を意識した始まりだと思います。

しかし、高校卒業とともに、都内で学生生活を送るため、いろいろな感情を引きちぎるように家を出ました。祖父が亡くなったのは、それから4年後です。その間、祖母や母、そして父は、いろいろな行き違いを抱えながら祖父の面倒を見ていました。

私は、大人になんかなれっこない。・・・そう思いました。


『死者と先祖の話』    山折哲雄

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無葬無墓・散骨葬・寺院消滅・脱宗教…死を棚上げにしたまま肥大化する社会現象
第一章  戦後と東北
第二章  英霊と鎮魂
第三章  供養と骨
第四章  折口と柳田
第五章  往生と看取り
第六章  死と生


そのあと、祖母が死に、母が死に、父が死んだのは、私が45歳の時でした。その前後からは、たくさんの伯父伯母、叔父叔母たちが、時には順番を間違えてなくなっていきました。

同居していた連れ合いの母が亡くなったのは私の父が亡くなる1年前でした。そして昨年末、とは言っても、ほんの二か月前ですが、連れ合いの父が亡くなりました。生きていれば、今年の2月4日で90歳を迎えようという長寿を全うしてのことでした。

父は複雑な幼年期を過ごしており、空襲された東京の空の下を、炎にまかれながら逃げまどい、清澄庭園の池に飛び込んで九死に一生を得たのが18歳の時です。その後、転変を経て連れ合いの母と結婚して娘をもうけ、東芝の工場に勤務して家族を支え、そのまま定年を迎えて、娘夫婦と同居することになった人でした。

縁者がないわけではないのですが、葬儀に参列できるような状況の人はなく、一人娘の連れ合いと私、それから私たちの子どもと孫で見送りました。私の兄たちには、私が丁重に話を通しました。通夜の晩に父の弟が、都内の自宅から自分の息子に伴われて突然現れたのは、私たちにとってはハプニングでした。なにしろ、認知症が進んでいて、とても参列できないと言っていたのですから。

通夜の晩、ご自宅に連絡すると、他のご家族の知らないうちに出掛けてしまったらしく、翌日の告別式にはいらっしゃいませんでした。告別式で父を見送ったのは、連れ合いと私、娘と娘婿、幼い孫が二人、息子の7人でした。いずれにせよ、連れ合いと私、双方の両親すべてを見送りました。・・・つぎは、私たちの順番と言うことですね。

家族葬・直葬・樹木葬・散骨葬・遺骨漂流・無墓時代・寺院消滅

亡くなった方の見送り方には形というものがあって、それを知らないということは、大人として恥ずかしいことでした。だから、それを知っている大人が教えてくれました。それが親類縁者であり、地域の付き合いでもありました。それを通すということが、他者とともに“生きる”ことにつながっていました。

無くしたもの何なのかは、はっきりしています。残っているのは、大人になることを拒否できる社会ということでしょうか。・・・私にぴったりですね。




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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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