めんどくせぇことばかり 『死者と先祖の話』 山折哲雄
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『死者と先祖の話』 山折哲雄

《マッチ擦るつかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや》

寺山修二は1935(昭和10)年生まれで、お父さんはセレベス島で戦死されているんだそうです。この歌を詠んだのは、寺山さんが23歳の時、昭和33年ですね。私が生まれるちょっと前だな。

この本の著者、山折哲雄さんは1931(昭和6)年で、27歳で寺山さんのこの歌に出合ってるんですね。心の震えるような衝撃を受けたそうです。

私の父は1928(昭和3)年の生まれで、終戦の年はまだ16歳、12月の誕生日で17歳ですね。父の親友の奥田さんは17歳をの誕生日を期に志願してたそうです。父もそんな気が合ったかも。祖父と大喧嘩になったってことは聞いたことがあるような、ないような。いずれにしろ、自分は遠くない将来に戦争で死ぬとは思っていたでしょうね。

そういう思いを抱いていた人は、たとえば実際に戦死した寺山さんのお父さんは、《身捨つるほどの祖国はありや》と考えることがあったでしょうか。

山折さんの衝撃は、「祖国のために犠牲になることがお前にできるのか」という問いとして受け止めたところからくるものだったようです。

私は寺山さんの歌を違うように理解していたんだけどな。
敗戦による占領と、戦勝国の都合による戦争観のお仕着せによって、戦後の日本は本当に向き合うべきものと向き合わないまま来てしまいました。その上、史上まれな経済成長を遂げたことで、向き合うべきものに向き合わずに来てしまったという思いすら、置き去りにしてしまいましたね。

官民合わせて、310万人もの日本人が死んだっていうのにね。

『死者と先祖の話』    山折哲雄

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無葬無墓・散骨葬・寺院消滅・脱宗教…死を棚上げにしたまま肥大化する社会現象
第一章  戦後と東北
第二章  英霊と鎮魂
第三章  供養と骨
第四章  折口と柳田
第五章  往生と看取り
第六章  死と生

死者は何も語りません。それ以上に責められることはないが、かと言って慰めてくれるわけでもないですね。近しい人をなくして悲嘆にくれる人を慰めるのは、亡くなった人ではなくて、同じ悲しみを知っている隣人。生きた人ですね。

著者は、「挽歌とは、生き残った者たちが、同じ生き残った者たちに向けて差し出す悲しみと慰めの歌だった」と言っているのですが、それはよくわかりますね。

私の祖母や母は六三さまに通じるなにがしかの技量を受け継いでいて、とくに祖母は霊感の強い人でした。私も祖母と一緒にいるといろいろなものを見ました。私がそれらを見なくなったのは、あの家を出てからで、私は祖母から離れたからだと思っています。

その祖母が言っていたのは、ご先祖さまっていうのは、けっこう近くで子孫のことを見ているんだということだった。「だからわりーこたぁするもんじゃあねぇんだでぇ」と私を戒めていました。でも私は聞かない子でしたので、良く納屋に閉じ込められました。自分の鼻先さえ見えない暗闇で、私はご先祖様を身近に感じたものでした。

本書に、柳田国男が『祖先の話』に書いた日本人の霊魂観の四つの特質が紹介されています。
  1. 人間は死んでも、その霊はこの国の中にとどまって、遠くには行かない
  2. この世とあの世の交通が繁く、単に春秋の祭りだけではなく、いつでも招き招かれる関係にある
  3. 死に臨む人間の今わの際の念願は、必ず死後には達成されると信じられていた
  4. 人は再び三たび生まれ変わって、同じ事業を続けるものと信じられていた
祖母は、まさにそういう信仰の中にいたような気がします。

六三さまに通じるなにがしかの技量は、私の生家の惣領の嫁に伝えられるものでした。生まれつき足が悪くみんなから哀れまれている私が実は嘘つきな悪い子だと見破っていた聡明な母は、その俗信を自分の代で終わりにしました。長男に嫁いできた兄嫁は、それをわたしの母から受け継ぎませんでした。つくづく聡明な母ですが、今になると「俗信の中にこそ大事な何かがあったのかな」なんて思ったりしています。
“死”に変わりはないのですが、戦争で死んだ310万人の日本人の中には、ずいぶんとひどい死に方をした人がたくさんいます。男の人も、それから女の人もですね。

もう一度、やはりもう一度、日本人が自ら向き合う人用があるんだと思います。

《身捨つるほどの祖国はありや》と寺山さん問いかけた昭和33年。彼の父が“身を捨てた”ほどの祖国は、少なくとも寺山さんはそれに確信を持つことはできなかったんでしょうね。




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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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