『QED 白山の頻闇』 高田崇
《白山の頻闇》と言う題名で、なんとなく、・・・ただ何となく購入。
購入してビックリ。“QED”というシリーズもので、2011年に、すでに本編は完結しているんだそうですね。そこまでに17巻、さらにその後、外伝としてこの《白山の頻闇》が3巻目。あわせて全20巻にもなるんだそうです。
もちろん、読むのははじめてです。そこそこ楽しく読んでしまったんですが、さてどうしましょう。さかのぼって読んでみましょうか。そこまですることもないような気もしないではないんですが・・・。
“QED”は "quod erat demonstrandum" (クウォッド・エラット・デーモーンストランドゥム)の頭文字で、「証明完了」という意味なんだそうです。
・・・なんだかいけすかないですね。ミステリー小説らしいっていえばらしいですが、生意気な奴が出てきそうですね。・・・実際、出てきました。もちろん、物語としてはその方が面白い。
生意気な奴ってのが萬冶漢方勤務の薬剤師桑原崇。“崇”が“祟”に似ていることから“たたる君”と呼ばれる。桑原で“たたる”ですから、当然、あっち方面。神話や歴史にやたらと詳しく、その知識をひもといて難事件を解決していく、・・・らしい。なにしろ、これ一冊しか読んでませんからね。
だいたい、殺人事件が起こるようなんですが、それに絡んで神話や歴史の知識をひもとくということになると、その殺人事件自体が、何らかの形で神話や歴史がらみと言うことなのかな。


この、『白山の頻闇』のテーマは“白”なんですね。この本にも出てくるけど、今でこそ、葬式と言えば黒だけど、ちょっと前までは白だったんですよね。黒を使うようになったのは昭憲皇太后の国葬に際して西洋式が用いられて以降とか。それまでは白。白は神に通じる色だった。ある意味では、それを象徴するのが白山神社ということか。
白山神社と被差別部落の関連が出てくる場面がありましたね。たしかに関連するけど、“たたる君”が「決してそうとも言い切れない」ってるけど、私もそう思う。だからと言って、白山神社と被差別部落の関連を避けて通るのは、「寝た子を起こすな」と言うだけのこと。
黄泉の国で死穢に侵されたイザナギは禊を行って三貴神を生んだ。死に穢を感じる感覚はすでにあった。しかし、様々に穢が取りざたされるようになるのは奈良時代からで、仏教の影響が強いという。そういえば、イザナギが侵された死穢は、水で洗い清められた。
だけど、仏教は、最初からその役割を鎮護国家に求められ、支配と結びついたものだった。自然と国家の支配の網にとどまらない者を排除することにも、仏教の思想は使われていったわけだ。
この場合、“仏教の”というよりも、“インドの”と言い換えた方がいいかもしれない。アーリア人はインドにおける支配を確立する中で、自分たちの支配の正当性とそれにともなう差別の構造を宗教の中に潜り込ませた。アージア人に逆らったものは“不可触賤民”に貶められた。それは自然と仏教のなかにも流れ込んだ。
日本で仏教がその地位を確立していく時期は、律令制が日本全体に網をかけに行く時期と一致しているからね。
さらにその差別が、組織化され、構造化されて、社会を支えるシステムとして地盤を固めたのもインドの影響かな。
・・・事件と謎解きの面白さの関係は唐突だし、謎解きそのものにもそんなにも厚みは感じない。歴史の本じゃないんだから厚みのなさに文句付けても始まらないですね。
ただ、上のようなことを考える機会を与えてもらったのは事実。題名を見て、面白そうなところをかいつまんで読んでみようかな。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
購入してビックリ。“QED”というシリーズもので、2011年に、すでに本編は完結しているんだそうですね。そこまでに17巻、さらにその後、外伝としてこの《白山の頻闇》が3巻目。あわせて全20巻にもなるんだそうです。
もちろん、読むのははじめてです。そこそこ楽しく読んでしまったんですが、さてどうしましょう。さかのぼって読んでみましょうか。そこまですることもないような気もしないではないんですが・・・。
“QED”は "quod erat demonstrandum" (クウォッド・エラット・デーモーンストランドゥム)の頭文字で、「証明完了」という意味なんだそうです。
・・・なんだかいけすかないですね。ミステリー小説らしいっていえばらしいですが、生意気な奴が出てきそうですね。・・・実際、出てきました。もちろん、物語としてはその方が面白い。
生意気な奴ってのが萬冶漢方勤務の薬剤師桑原崇。“崇”が“祟”に似ていることから“たたる君”と呼ばれる。桑原で“たたる”ですから、当然、あっち方面。神話や歴史にやたらと詳しく、その知識をひもといて難事件を解決していく、・・・らしい。なにしろ、これ一冊しか読んでませんからね。
だいたい、殺人事件が起こるようなんですが、それに絡んで神話や歴史の知識をひもとくということになると、その殺人事件自体が、何らかの形で神話や歴史がらみと言うことなのかな。
『QED 白山の頻闇』 高田崇 KODANSHA NOVELS ¥ 950 白山信仰は雪をかぶったその姿への信仰 つまり「白」に対する信仰だ |
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この、『白山の頻闇』のテーマは“白”なんですね。この本にも出てくるけど、今でこそ、葬式と言えば黒だけど、ちょっと前までは白だったんですよね。黒を使うようになったのは昭憲皇太后の国葬に際して西洋式が用いられて以降とか。それまでは白。白は神に通じる色だった。ある意味では、それを象徴するのが白山神社ということか。
白山神社と被差別部落の関連が出てくる場面がありましたね。たしかに関連するけど、“たたる君”が「決してそうとも言い切れない」ってるけど、私もそう思う。だからと言って、白山神社と被差別部落の関連を避けて通るのは、「寝た子を起こすな」と言うだけのこと。
黄泉の国で死穢に侵されたイザナギは禊を行って三貴神を生んだ。死に穢を感じる感覚はすでにあった。しかし、様々に穢が取りざたされるようになるのは奈良時代からで、仏教の影響が強いという。そういえば、イザナギが侵された死穢は、水で洗い清められた。
だけど、仏教は、最初からその役割を鎮護国家に求められ、支配と結びついたものだった。自然と国家の支配の網にとどまらない者を排除することにも、仏教の思想は使われていったわけだ。
この場合、“仏教の”というよりも、“インドの”と言い換えた方がいいかもしれない。アーリア人はインドにおける支配を確立する中で、自分たちの支配の正当性とそれにともなう差別の構造を宗教の中に潜り込ませた。アージア人に逆らったものは“不可触賤民”に貶められた。それは自然と仏教のなかにも流れ込んだ。
日本で仏教がその地位を確立していく時期は、律令制が日本全体に網をかけに行く時期と一致しているからね。
さらにその差別が、組織化され、構造化されて、社会を支えるシステムとして地盤を固めたのもインドの影響かな。
・・・事件と謎解きの面白さの関係は唐突だし、謎解きそのものにもそんなにも厚みは感じない。歴史の本じゃないんだから厚みのなさに文句付けても始まらないですね。
ただ、上のようなことを考える機会を与えてもらったのは事実。題名を見て、面白そうなところをかいつまんで読んでみようかな。


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