『残された山靴』 佐瀬稔遺稿集
高校の時、山岳部の副主将だったんだけど、主将のお兄さんがロッククライミングをされていて、何回か、真似事をさせてもらったことがありました。荒川の崖で懸垂下降させてもらったり、確保してもらってほんの10mほど登らせてもらったり、・・・本当に楽しかった。
だいたい、高校入学前に、新田次郎の『孤高の人』を読んで、高校一年の夏休みには北鎌尾根の取り付きで怖気づいてたくらいですからね。もともと興味関心は強かったですからね。
それが・・・。その時、登攀道具もいろいろと見せてもらって、胸をときめかせてしまった。その直後、値段を聞いて、途方に暮れた。
ごく当たり前に山に登るだけでもお金がかかりますからね。先のことは分からないけど、とりあえずロッククライミングは忘れて、今までどおりの山登りを続けていければいいやって気持ちでしたね。
育ちのせいか、何かにつけお金のことが頭の中で先行してしまうんです。だから、何かに“ひたすら”になるってことは、私にはできないんですね。お金がかかるから。だから、何事かを成し遂げるってことは、・・・私には、ちょっとね。
でも、足がダメになるまでは、“それなりに”は山に取り組んできたんですよ。“それなりに”ってところが、私らしいところです。
そんな、“それなり”人間の私でも、こういう本を読んでしまっては、なにか、掻き立てられてしまうわけです。心の奥の方に、灰をかぶったその中で、熾火が・・・、ちょっとだけね。


森田勝さんがグランド・ジョラスで死んだのは二十歳の時、加藤保男さんがエベレストで死んだのは22歳のときだった。どちらも学生の時で、海外なんて思いもよらない登り方をしていたので、二人とも自分の延長線上にいる人という感じは受けなかった。
“すごすぎる”って感じですね。
だけど、“すごすぎる”のは同じなのに、植村直己さんは、なぜか延長線上に感じていたんです。やっぱりそれは、植村直己さんがロッククライミングを追求するのではない道を歩んでいたからでしょうね。もちろん、《背中も見えないくらい、ずーっと先を》ではありますけどね。
それから、ろくなお金も持たずにアメリカに旅立ってしまう植村直己さんはと比べれば、私は当然のように別種類の人間ですけどね。
それでも、森田、加藤、長谷川といった巨人に比べれば、同じ巨人でも植村直己のほうが親しみが湧くって程度の話です。
植村直己さんが、今はデナリと呼ぶようになったマッキンリーで消息を絶ったのは23歳のときです。もうすぐ24歳になるときですね。正規の仕事について1年が経った頃ですね。
大学を出て、1年プラプラして、正規の仕事についたんですが、そのプラプラのときは、何かと植村直己さんを意識することがああって、それだけに植村直己さんの遭難はショックを受けて、それ以上にショックだったのは、正規の仕事に追われる毎日の中で、植村直己遭難のショックを忘れていったことでしたね。
長谷川恒男さんがウルタルで死んだのは、もう私は31歳。足がだめになりつつ在るのを自覚して、登れるのか登れないのかって、ガバガバ酒を飲んでるころですね。
それだけに、強く印象に残りました。羨ましくて、悲しくて、腹立たしくて、残念で、・・・やっぱり羨ましくて・・・。
すべて事実なのに、不思議はお話でした。それにしても、どうしてこうも不思議なめぐり合わせを作り上げるんでしょうね。山ってところは。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
だいたい、高校入学前に、新田次郎の『孤高の人』を読んで、高校一年の夏休みには北鎌尾根の取り付きで怖気づいてたくらいですからね。もともと興味関心は強かったですからね。
それが・・・。その時、登攀道具もいろいろと見せてもらって、胸をときめかせてしまった。その直後、値段を聞いて、途方に暮れた。
ごく当たり前に山に登るだけでもお金がかかりますからね。先のことは分からないけど、とりあえずロッククライミングは忘れて、今までどおりの山登りを続けていければいいやって気持ちでしたね。
育ちのせいか、何かにつけお金のことが頭の中で先行してしまうんです。だから、何かに“ひたすら”になるってことは、私にはできないんですね。お金がかかるから。だから、何事かを成し遂げるってことは、・・・私には、ちょっとね。
でも、足がダメになるまでは、“それなりに”は山に取り組んできたんですよ。“それなりに”ってところが、私らしいところです。
そんな、“それなり”人間の私でも、こういう本を読んでしまっては、なにか、掻き立てられてしまうわけです。心の奥の方に、灰をかぶったその中で、熾火が・・・、ちょっとだけね。
『残された山靴』 佐瀬稔遺稿集 ヤマケイ文庫 ¥ 950 グランドジョラスの森田、エベレストの加藤、デナリの植村、ウルタル長谷川、そして・・・ |
森田勝さんがグランド・ジョラスで死んだのは二十歳の時、加藤保男さんがエベレストで死んだのは22歳のときだった。どちらも学生の時で、海外なんて思いもよらない登り方をしていたので、二人とも自分の延長線上にいる人という感じは受けなかった。
“すごすぎる”って感じですね。
だけど、“すごすぎる”のは同じなのに、植村直己さんは、なぜか延長線上に感じていたんです。やっぱりそれは、植村直己さんがロッククライミングを追求するのではない道を歩んでいたからでしょうね。もちろん、《背中も見えないくらい、ずーっと先を》ではありますけどね。
それから、ろくなお金も持たずにアメリカに旅立ってしまう植村直己さんはと比べれば、私は当然のように別種類の人間ですけどね。
それでも、森田、加藤、長谷川といった巨人に比べれば、同じ巨人でも植村直己のほうが親しみが湧くって程度の話です。
植村直己さんが、今はデナリと呼ぶようになったマッキンリーで消息を絶ったのは23歳のときです。もうすぐ24歳になるときですね。正規の仕事について1年が経った頃ですね。
大学を出て、1年プラプラして、正規の仕事についたんですが、そのプラプラのときは、何かと植村直己さんを意識することがああって、それだけに植村直己さんの遭難はショックを受けて、それ以上にショックだったのは、正規の仕事に追われる毎日の中で、植村直己遭難のショックを忘れていったことでしたね。
長谷川恒男さんがウルタルで死んだのは、もう私は31歳。足がだめになりつつ在るのを自覚して、登れるのか登れないのかって、ガバガバ酒を飲んでるころですね。
それだけに、強く印象に残りました。羨ましくて、悲しくて、腹立たしくて、残念で、・・・やっぱり羨ましくて・・・。
すべて事実なのに、不思議はお話でした。それにしても、どうしてこうも不思議なめぐり合わせを作り上げるんでしょうね。山ってところは。


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