東西の中世『誰も教えてくれない真実の世界史講座 中世編』 倉山満
近代という時代区分に入るまで、人類の歴史における世界の先進地域はオリエントだったんですね。この本はが対象にしているのは中世という時代ですが、長きにわたって人類の文明を引っ張っていたのはオリエント、アッバース朝というイスラム帝国が頑張ってましたね。
その首都として建設された都市がバグダッド。直径3kmの円城都市で、これを建設した第二代カリフのマンスールは「メディナ・アッサラーム」と命名したそうです。その意味は“平安の都”ということですから、桓武天皇の平安京と一緒ですね。
全盛期は、第五代カリフのハールーン・アッラシードの時代。在位は786~809年。アッラシードは学問、文芸や芸術を保護し、アレキサンドリアのムセイオンにあったギリシャ語の文献をアラビア語に翻訳している。これがのちのイスラム文化の大発展を産むんですね。
翻訳は学問や文芸、文化全般の発展のキーワードなんだな。やはり、英語を話せるようにならなきゃ世界の発展から取り残されるなんて思い込みは、最初から負け犬根性で臨んでるようなもんで、おそらくどうにもなりゃしない。
英語ができるやつは、率先してそれを翻訳して、日本語で世界最先端の事物に接触できるように頑張ってくれないといけないですね。
アラッシードの時代の翻訳があったればこそ、古代から受け継がれたさまざまな知識とそれを土台にイスラム圏で発展した知識が継承されたんですものね。ヨーロッパの近代は、それをさらに翻訳することでもたらされたわけだから、アッラシード時代の翻訳がなければヨーロッパは中世の暗黒から抜け出せていなかったかもしれないですね。
ちなみに、ハールーン・アッラシードとカール大帝は同時代人だそうです。交流もあったそうですが、世界の文明の中心たるオリエントとずっと格下のユーラシア大陸の西の辺境では、まるっきり相手にもなりませんね。

かたや、ユーラシア大陸の東の方はどんな様子だったかっていうと、古代に大きな力を持った秦漢帝国が滅んで後は、分裂と異民族の侵入が延々と繰り返されていきます。その間に、古代秦漢帝国を形成した人々を漢民族と呼ぶならば、彼らは絶滅していきますね。
そして6世紀の後半に隋が登場し、唐へとつながります。隋の楊氏も唐の李氏も、鮮卑族の北魏が元ですから遊牧民族の北魏が出自ですね。最終的には、わずかに漢民族の文化を継承していた南部の陳を隋が根絶やしにしたことで、古代からの漢民族の歴史はとどめを刺されたわけですね。
唐王朝はアッバース朝と、中央アジアで戦ってます。タラス河畔の戦いですね。玄宗の時です。玄宗時代の後半は安史の乱でめちゃくちゃになり、あとはどうにもなりません。どうにもならない状態でその後150年も持ちこたえるわけだから、習近平政権はどうなるでしょう。
持ちこたえたとはいえ、混乱は時とともにひどくなり地方軍閥が首都に侵入して王朝は終わりを迎えるという、チャイナ独特のパターンにはまり滅亡します。唐のあとは、五代十国時代。五つの王朝が建っては滅び、その周辺にいくつもの国が泡のように膨らんでははじける時代ですね。
五代と呼ばれたのは、“後梁・後唐・後晋・後漢・後周”で、唐が滅んだのと同じように、内部の軍人が主家を滅ぼして新たな王朝をひらきます。最後は後周の軍人趙匡胤が主家を滅ぼして宋王朝を建て、宋が同じように滅ぼされることのないように、軍部の力を徹底的に弱体化したんですね。
たしかに、そのせいで、宋は軍人に滅ぼされることはないんですが、モンゴル系契丹族の建てた遼や女親族の金に繰り返しカツアゲにあい、どんどん領地をけずられて、最後はモンゴル帝国に滅ぼされるんですね。
著者の倉山さんは言っています。
《どこが「中国ウン千年の歴史」なのか呆れます。そんなものは真っ赤なウソで塗り固められたプロパガンダだということを、あらためて強調しておきましょう。そもそも、チャイナ大陸は漢民族だけでなく、いろいろな民族が通り過ぎたり居座ったりしています》
・・・たしかに、そこは、現在に続く歴史が積み重ねられたのではなくて、いろいろな民族が攻防した、ただの“場”に過ぎないんですね。いかに中国共産党が巧妙にそれを塗り固めようとも・・・。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
その首都として建設された都市がバグダッド。直径3kmの円城都市で、これを建設した第二代カリフのマンスールは「メディナ・アッサラーム」と命名したそうです。その意味は“平安の都”ということですから、桓武天皇の平安京と一緒ですね。
全盛期は、第五代カリフのハールーン・アッラシードの時代。在位は786~809年。アッラシードは学問、文芸や芸術を保護し、アレキサンドリアのムセイオンにあったギリシャ語の文献をアラビア語に翻訳している。これがのちのイスラム文化の大発展を産むんですね。
翻訳は学問や文芸、文化全般の発展のキーワードなんだな。やはり、英語を話せるようにならなきゃ世界の発展から取り残されるなんて思い込みは、最初から負け犬根性で臨んでるようなもんで、おそらくどうにもなりゃしない。
英語ができるやつは、率先してそれを翻訳して、日本語で世界最先端の事物に接触できるように頑張ってくれないといけないですね。
アラッシードの時代の翻訳があったればこそ、古代から受け継がれたさまざまな知識とそれを土台にイスラム圏で発展した知識が継承されたんですものね。ヨーロッパの近代は、それをさらに翻訳することでもたらされたわけだから、アッラシード時代の翻訳がなければヨーロッパは中世の暗黒から抜け出せていなかったかもしれないですね。
ちなみに、ハールーン・アッラシードとカール大帝は同時代人だそうです。交流もあったそうですが、世界の文明の中心たるオリエントとずっと格下のユーラシア大陸の西の辺境では、まるっきり相手にもなりませんね。
PHP研究所 ¥ 1,620 ヨーロッパとチャイナ中心の歴史観を根本からくつがえす、知っておきたい“教養としての世界史" |
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かたや、ユーラシア大陸の東の方はどんな様子だったかっていうと、古代に大きな力を持った秦漢帝国が滅んで後は、分裂と異民族の侵入が延々と繰り返されていきます。その間に、古代秦漢帝国を形成した人々を漢民族と呼ぶならば、彼らは絶滅していきますね。
そして6世紀の後半に隋が登場し、唐へとつながります。隋の楊氏も唐の李氏も、鮮卑族の北魏が元ですから遊牧民族の北魏が出自ですね。最終的には、わずかに漢民族の文化を継承していた南部の陳を隋が根絶やしにしたことで、古代からの漢民族の歴史はとどめを刺されたわけですね。
唐王朝はアッバース朝と、中央アジアで戦ってます。タラス河畔の戦いですね。玄宗の時です。玄宗時代の後半は安史の乱でめちゃくちゃになり、あとはどうにもなりません。どうにもならない状態でその後150年も持ちこたえるわけだから、習近平政権はどうなるでしょう。
持ちこたえたとはいえ、混乱は時とともにひどくなり地方軍閥が首都に侵入して王朝は終わりを迎えるという、チャイナ独特のパターンにはまり滅亡します。唐のあとは、五代十国時代。五つの王朝が建っては滅び、その周辺にいくつもの国が泡のように膨らんでははじける時代ですね。
五代と呼ばれたのは、“後梁・後唐・後晋・後漢・後周”で、唐が滅んだのと同じように、内部の軍人が主家を滅ぼして新たな王朝をひらきます。最後は後周の軍人趙匡胤が主家を滅ぼして宋王朝を建て、宋が同じように滅ぼされることのないように、軍部の力を徹底的に弱体化したんですね。
たしかに、そのせいで、宋は軍人に滅ぼされることはないんですが、モンゴル系契丹族の建てた遼や女親族の金に繰り返しカツアゲにあい、どんどん領地をけずられて、最後はモンゴル帝国に滅ぼされるんですね。
著者の倉山さんは言っています。
《どこが「中国ウン千年の歴史」なのか呆れます。そんなものは真っ赤なウソで塗り固められたプロパガンダだということを、あらためて強調しておきましょう。そもそも、チャイナ大陸は漢民族だけでなく、いろいろな民族が通り過ぎたり居座ったりしています》
・・・たしかに、そこは、現在に続く歴史が積み重ねられたのではなくて、いろいろな民族が攻防した、ただの“場”に過ぎないんですね。いかに中国共産党が巧妙にそれを塗り固めようとも・・・。


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