『日本市のツボ』 本郷和人
まだ、《第一回 天皇を知れば日本史が分かる》しか読んでないんですけど、ここまでで感じた、ちょっとした違和感を書いておきますね。
この章、・・・回の最初の小項目が《「王」としての天皇》という題名なんですけど、なんだか引っかかるものがありました。その時は確かめもせずに先に進んだんですけど、あとから調べて確認しました。著者の本郷和人さんは、2012年の大河ドラマ『平清盛』の時代考証をされてた方でした。あの時、話題になったじゃないですか。番組の中で皇室のことを“王家”と読んでいることについて。
そんなことで物議を醸した本郷和人さんの書いた本が、これですね。
まだ、“第一回”を読んだに過ぎないんですが、“天皇”の捉え方に、私とは相容れないものを感じます。
・・・私、違うと思います。“地域の王”としての天皇というのを、どれくらいのレベルの支配者と想定しているかわからないけど、天皇と呼ばれるようになる前から、それは豪族連合を束ねる象徴的存在だったろうと思います。
世界史的に見た「王」と同じ存在であったなら、それは世界の王たちとお同じく、世界私的に見た「王」としての運命をたどったはずだと思うからです。


白村江の戦い、幕末維新、昭和の敗戦を取り上げ、天皇は、日本が“外圧”による危機にさらされたときも新しいビジョンをかかげる役割を果たしてきたと主張します。
なかでも白村江の戦いとその敗戦を、その後の幕末維新、昭和の敗戦以上の危機的状況であったといいます。日本人は、この敗戦により自分たちは何者であるかというアイデンティティ・クライシスに陥り、天智、天武、持統天皇は、相次いで新しいビジョンを打ち出していったと、著者は言ってます。
そのへんにもやはり違和感がありまして、先回りをしてしまえば、著者は著者の恩師である東京大学の歴史の先生方の上に立ち、その範囲内で理屈を展開しているように思うのです。
たとえば、この白村江の戦いと前後する時代を考えれば、隋唐帝国の脅威に対する施策は遥かに前から始められており、成果を上げつつあり、それをぶち壊しにしたのが天智天皇であったということが、なにも語られていません。
つまり、隋唐帝国に対する施策を進めていたのは大臣蘇我氏政権であり、それに挑戦して蘇我本家を滅亡させたのが後の天智天皇であり、前政権が進めてきた全方位外交を百済一辺倒外交に切り替えて、白村江の敗戦という大和朝廷の一大事を招いたのが天智天皇本人であることがなにも語られていません。
天智、天武、持統を一辺倒にして話を勧めてしまうのも、ちょっといい加減に過ぎると感じます。まあ、天皇家のことなんか、そんな大雑把な掴み方で十分ということなのでしょうか。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
この章、・・・回の最初の小項目が《「王」としての天皇》という題名なんですけど、なんだか引っかかるものがありました。その時は確かめもせずに先に進んだんですけど、あとから調べて確認しました。著者の本郷和人さんは、2012年の大河ドラマ『平清盛』の時代考証をされてた方でした。あの時、話題になったじゃないですか。番組の中で皇室のことを“王家”と読んでいることについて。
そんなことで物議を醸した本郷和人さんの書いた本が、これですね。
まだ、“第一回”を読んだに過ぎないんですが、“天皇”の捉え方に、私とは相容れないものを感じます。
世界史的に見たとき、「王」には共通してになってきた役割があります。民から税を徴収し、大規模な治水事業を行うこと、法律を定めること、兵馬を率いて戦争を指揮すること、神の言葉を民に伝え、神に五穀豊穣を祈ること、暦を定めること、宮廷において芸術や文化を育むこと・・・。天皇も「地域」の王として、かつてはこれらの役割を一手に担っていたと考えるのが自然です。 しかし、天皇が持っていたそれらの力は、時代を経るにつれ、他の勢力に次第に奪われ、その役割は限定的なものになっていきます。今日、私たちが天皇に対して抱く「日本の安寧を祈る神官」「雅な宮廷文化の主催者」というイメージは、もともと天皇の本質というよりも、「王」としての権力を大幅に削がれた天皇家が、残された役割を洗練させたことによって形成されたと考えるべきです 本書p14 |
世界史的に見た「王」と同じ存在であったなら、それは世界の王たちとお同じく、世界私的に見た「王」としての運命をたどったはずだと思うからです。
『日本市のツボ』 本郷和人 文藝春秋 ¥ 907 七つのツボを押さえれば、歴史の流れが一気につかめる。最もコンパクトな通史 |
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白村江の戦い、幕末維新、昭和の敗戦を取り上げ、天皇は、日本が“外圧”による危機にさらされたときも新しいビジョンをかかげる役割を果たしてきたと主張します。
なかでも白村江の戦いとその敗戦を、その後の幕末維新、昭和の敗戦以上の危機的状況であったといいます。日本人は、この敗戦により自分たちは何者であるかというアイデンティティ・クライシスに陥り、天智、天武、持統天皇は、相次いで新しいビジョンを打ち出していったと、著者は言ってます。
そのへんにもやはり違和感がありまして、先回りをしてしまえば、著者は著者の恩師である東京大学の歴史の先生方の上に立ち、その範囲内で理屈を展開しているように思うのです。
たとえば、この白村江の戦いと前後する時代を考えれば、隋唐帝国の脅威に対する施策は遥かに前から始められており、成果を上げつつあり、それをぶち壊しにしたのが天智天皇であったということが、なにも語られていません。
つまり、隋唐帝国に対する施策を進めていたのは大臣蘇我氏政権であり、それに挑戦して蘇我本家を滅亡させたのが後の天智天皇であり、前政権が進めてきた全方位外交を百済一辺倒外交に切り替えて、白村江の敗戦という大和朝廷の一大事を招いたのが天智天皇本人であることがなにも語られていません。
天智、天武、持統を一辺倒にして話を勧めてしまうのも、ちょっといい加減に過ぎると感じます。まあ、天皇家のことなんか、そんな大雑把な掴み方で十分ということなのでしょうか。


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